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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

友達親子の闇

NHKのドラマが地味に怖い。

 

www.nhk.or.jp

 

いわゆる友達親子でやってきた25歳の主人公とその母親。
仕事の悩みもすべて母親にLINEする。

途中からデートを尾行する母に気づいて、自分が母親の支配の下にいることを薄々感じてきているところ。
娘に気付かれても尾行をやめない母に恐怖しかない。

 

このドラマのここかしこで、娘が母親の顔色を見て自分が母親の望む答えを選んでいる。ドラマの最初の方では娘自身がそれを自覚していないかのよう。

少しずつ現状に違和感を抱いていって、これからどうなっていくのかとても気になる。

 

この感じ。娘の立場として少しだけわかる。

でも私は一人っ子ではないし、母は厳しい面もあって、私はあそこまで母にベタベタとされていたわけではない。

それでも、休みに二人で旅行したり、遊びに行ったりしました。母は妹とも旅行したりしていたし、すべて干渉されていたわけではない。

 

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月と金星と火星の共演

今日は、築地あたりを夕方ぶらついて、築地本願寺のライトアップに誘われたあと、月と金星がとってもきれいだったので、写真を撮りました。

 

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↑一応火星も写っているんですよ! 見えますか? 金星から10時の方向あたりでしょうか。

 

帰ってニュースを見たら、今日は月と金星と火星が近づく日なのですね。

www.nao.ac.jp

 

 

急いで写真を見直したら、火星も写っていました! よかった!

時間も18:00前でちょうどいい感じ!

 

都会はなかなか星空が楽しめませんが、街の風景とのコラボレーションもまた素敵なんです。

 

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↑こちらは火星が切れちゃった。火星の存在を知らなかったので残念。

もともと撮影に出かけたわけではないので、手持ちでクオリティ低くてごめんなさい。

早く写真がまともに撮れるようになりたいです。

 

星空には魅了されますね。

先日羽田空港の国際ターミナルでプラネタリウムのカフェに行ってきました。

別ブログにアップしました。

magumagu.hatenablog.jp

 

取り急ぎ。 

別ブログはアクセスがまだまだとっても少ないので、子育てには関係ありませんが、こちらに載せてみました。

 

楽しい飲み会、疲れる飲み会

とりとめのない人間関係話です。

 

先日息子の学校関係のお母さん方と飲み会をした。こういう交流は時々あるのだが、先日は少しきつかった。

 

なんでだろう。と、ちょっと冷めながら参加していて気づいたこと。

結局自分が話したいだけの人が多い

  • 人の話を奪い取る
  • 人数が増えると奪い取る率があがるわけで、私のように「聞かれたら答えるけど」的な人間は話をする機会がない(まさに奪い合いで、前の人の話の途中にかぶせる感じだったので、とてもできない)
  • 中には子ども同士も親しくなく、そのお子さんのことを知らないから、いろいろ聞かされてもあまり興味がわかない
  • 二人などで話せば結構話せる話も、奪い合いになっているので話がころころ変わって深い話などにはならない
  • 同調圧力(先生のやり方のここが気にくわない、と誰かが言えば、そうだよねー。)そもそもそんなに真面目に是非を議論する場ではないだろうから、返事も適当
  • 参考になる話が少ない

昔から、どういった集団でも、相手がそこまで興味がないであろう話をする気にならない。(聞かれればいくらでも話しますが。興味ないデショ。)
つまらない話をする人ほど、発話回数を気にして、散々話した後に、「君、おとなしいねー」なんて言ったりする。(そもそもそこの配慮ができる人は自分ばかり出しゃばらずに相手に話す機会も与えるだろうから、だれかが聞きっぱなしになることもない)

おとなしいんじゃなくて、話が一方的だしつまらないんだよ。と、腹の中で思ってしまうのだけど。

 

先日は怒涛の勢いでメニューを決められ、私はしばらく様子をうかがっていたら、

「なんか頼みたいのないのー? なんか、こういう感じ合わなそう。」

などと、その怒涛の渦に入らないことを遠回しに非難されたのかな、と思った。

 

そういえばメニュー選びも会話と似ていると思う。
私は自分個人のメニューはわりと直感でさっさと選ぶが、シェアする場合はわりとどうでもいい。こだわりもなく、好き嫌いもないから。誰も決めたがらなければ決めるし。

 

義母がすごい勢いで勝手にみんなでシェアするものを選びまくるのだが、散々選んだ後に、

「あなたも好きなの選んでー」

という。

いや、もうそれだけあれば食べきらないでしょ。しかも、それでも言われるのでとりあえず選んだら、小食なのに食べろ攻撃がすごい。最終的には

「これはあなたの担当だから残さず食べて」

とか言われてびっくりした。

「無理です〜。」ってもちろん言うけれど。

 

中にはここ知り合う必要あるの? というくくりでの食事会なんかもあったりする。

もちろん自由参加だけれど、結構参加率は高い。

最初は、周りを気にして参加してみるが、人数多すぎて、この人とまた話す機会ってあるのだろうか、というような縁遠い人と2時間近く席をともにしなければいけない。そんなにがんばって話しても次に会った時には名前を覚えているだろうか。またその中には部活などのくくりで親しい人同士が馴れ合いの会話をしたりもする。わからないのだけど。

参加し続ければ幹事側になる必要もある。

というわけでそろそろ引退を考えました。

  • 人脈的にもその食事会に出て今後広がるとは思えない(→ある程度できあがったあとの人脈はなにか共通の縁でもなければ広がらないでしょう)
  • 話がつまらん(役に立つのは最初のころだけか。他に情報共有できる人脈はすでにある)。
  • 知らない子の話を聞き続けることの不毛さ(中には一割くらいは役立つこともあるけれど)
  • だいたいそういう不特定の集団で話題となるのが、学年トップで何かができる人の話とかだということがわかってきたが、私がそのことにほとんど興味がない。

でもなんでみんなそんなに参加するのだろう。
話を奪い取れる人は楽しいのだろうな、そもそもその話がほかの人に喜ばれているかどうかなんてそんなに気にしないからこそ喋り続けられるのだろう。

 

先日はある人が悩みを話し始めたところで本題に入る前に

「うちもねー」

と、奪い取っている人がいた。(おお、とった!)と心の中でつぶやいた。

 

最近昔の息子関係のお母さんと新年会しようなんて話をいただいたが、確かによく飲みに行ったりしていたから、最初はうんうん、行こう! と思ったのだが、ふと。

「何話すんだろう。また子どもの愚痴を延々聞かされるのか。」

散々そういう話は聞いてきたし、私も話せるだけの反応は返してきた。
だからといって私が話したことでなにか改善されるわけでもないし、その話をまたされてもどうしようもない。もちろん全然聞く気がないわけではないが、8割くらい相手の愚痴だったりすると辛い。

 

そういえば息子が幼児のころ親しくしていた親子のお母さんは、とにかくトラブルメーカーで愚痴が多かった。それを親身に聞いていたつもりだが、小学校で別れて数年したら自然消滅した。もともといろいろなしがらみの中でできた関係だが、やはり私に合う友達ではなかった。そのとき吐き出す相手がいればよかったのだろう。何のために長い時間よく知らない人や先生(息子とは違う学校)の愚痴を聞かされたのか。

 

同じ息子がらみのお母さんとして出会っても、有意義な会話ができる相手も何人もいる。その違いはなにか?

まずあまり大人数で話さないこと。大人数は先に述べたように話題がコロコロ変わる。結果、わりとどうでもいい話になる。もちろん、「あなただから話すのだからね!」なんて会話はありえない。

悩みは愚痴とは少し違って、問題を共有することができたりもする。解決に繋がることも。相手を尊敬できているというのも大きいかも。やること、考えること、ブログを読んでいても、「この人好きだなぁ」と思う人はいたりする。

 

一方時々飲む中学時代の友達。三人でその日や前日でもちゃちゃっと集まって飲むのだが、なんのストレスもないし楽しい。

やはり、子どもじゃなくて自分が主役だからかもしれない。それと、間合いが合うのかもしれない。旧友は馬鹿話もできるのがいい。
友達の友達がライブをやると云うので出かけたら、その知人以外の出演者がお水業界の人ばかりで観客も出勤前の方々が着物で同伴していたりして、その場違いさ(むしろ私たちがアウェー)に途中抜けてから三人で居酒屋で爆笑した。未知との遭遇。

 

ほかにも学生時代の友達、高校時代の友達など、旧友とは当たり前だが選んで続けている関係だから、気も合うし、話題のセレクトも合っているのかもしれない。
それになによりツマラナイ話題なら、さらっと変えることもできる。人間関係も何十年続くと遠慮もない。

 

新しく知り合った人でも、その人の生きてきた道や、してきた選択を聞くのは楽しい。自分と違う環境にいる人の話を聞くのは大好きだ。

絶対的に、そう変わりばえもしない子どもの話より、様々な経歴を持つ大人の話を聞いた方が面白い。そういう人とじっくり話をするのはむしろ好きだ。
それで、つい、どこに言っても顔を出してしまう。

 

また、小学校時代までのお母さんたちと話がそれなりに楽しいのは子どもをよく知っているからだ。やはり知らない子、我が子と接点がない子には、なにか特徴でもなければそう興味はわかない。

さらに大人数でワイワイしたいタイプには合わないことがわかった。
仲のいい保護者の人が、同じ委員会だった人たちがとても気さくだから一緒に飲まない?と誘ってくれた。行ったら10人くらい親子ともども知らない人で、その知らない子どもやその兄弟の話、果ては当日欠席した人(これまた知らない人)の話まで聞かされて終わりだった。次回は断った。

こういうことをやっているときに、「嫌われる勇気」を手に取ったのだった。

いいんだよね? 断っても。

 

↓本の感想は下記記事で 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 気取っているわけではない。そんなつもりはないのだけれど、最近気づいたことがある。

私は話せば気さくだとは言われる方だし親しくなれば情深いほうかも。
だが大勢いる中で華のあるタイプでは全然ないし、ワイワイタイプは騒ぎたいのだから、いわゆるノリがいい方が好きなのだろう。私はそういうたいして親しくないのにやたらベタベタと慣れ合い感を出すタイプがあまり好きではないらしい。

高校時代、会ったこともない元彼のお母さんに、電話越しで冗談で笑いながら電話を(元彼に)代わりませーん(笑!と言われた時は本気で怒って電話を切った。

 

そういえば、幼稚園のとき仲良くしていたお母さんに、道化をする人がいた。
いつも面白おかしく自虐をしたりもしていて、話していて面白いこともあった。
だけど、その人が委員会で親しくなった若いお母さん二人組と最初はうまく盛り上がっていたのだが、その人たちに軽く見られて下品なツッコミを入れられたりするようになって、彼女は激怒した。

道化をすると、ぱっと人気者になれるけれど、本当はプライドが人一倍強い彼女。許せなくなって絶縁を申し出たらしい。
道化をしなければいいのに。いつもどちらかというとそれを呆れて見ていた私は、そう思うけれども、馬鹿にされていやな気持ちになる彼女の方に共感をした。

 

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誰にでも優しくて親しげな人がいる。私はそうではない。線引きをしていて、きっと中に入った人のことは、喧嘩しようが不義理をしようがちょっとやそっとじゃ切らない。喧嘩やトラブルが線引きの中に招き入れるきっかけだったりもする。

 

別に自分と合わない人を否定するつもりはない。
合わない人と無理に付き合うのは不毛だと気づいたという話。
基本的には人好きなので、保護者会後颯爽と一人で帰るお母さんとかに、

「かっけ〜」とは思うけれど、

ついつい

「お茶してこうか〜」

なんてやってしまう。

親しい内輪なら楽しいんだけど、なんかそうでない、みんな探り合いみたいな時がある。そういうときは帰る勇気を持ちたい。

 

考えてみれば、誰でも趣味や興味はいろいろで、話のバランス(聞く量と話す量)にどのくらい配慮できるか、など気持ちいい具合は人それぞれ。

いい出会いがあればよし、自分にとって時間の無駄と考えられるようなものは、よく吟味して考えたいな、と改めて思ってしまった。

 

 

 

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

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勉強ができるかどうかと仕事ができるかどうかは全く違う問題

とあるブログで読みました。

受験をする子どもの話から、定番の

「高学歴だからといって仕事ができなかったりする」

だから、そんなにこだわらなくても。

といった話。

 

 

その話の結論自体には特に反論もないのですが、

そもそも高学歴と仕事ができるって相関関係にあるのか?

と疑問が生じました。

 

一般的にはそう言われることが多く、多いからこその、

「高学歴なのに使えねー。」

という、なにか複雑な感情からくる批判のようなものが当たり前のこととして語られていたりします。

 

自分も昔は親に少なからずそれに似た価値観を与えられていて疑問も感じませんでした。

 

でも、実際自分が子育てをしてみて、周りの子をみてきて感じたことは、

一般的な頭の良さ=受験に強いいわゆるIQをベースとしたもの

というのと、

周りをみて自分がいまどう動くべきかという、仕事に欠かせない能力ってかなり違う分野ではないか、と思うのです。

そして、後者はどんな仕事にも必要ですが、IQ的なものは分野によってそう高いレベルが求められないもののほうが多いのでは?

 

私は息子が後者のような、周りを見てテキパキ動いたり、時間管理を上手にして効率よく進めるという能力が他の子に比べて低いと就学前から心配していました。未だにそれは治りません。

その代わり知識的なIQはおそらく平均よりは高いと思われ、多くの人よりは苦労をしないで勉強をすることができる、と判断しました。

 

この子が社会に出て行く時、

こんなに時間感覚がなくて、

こんなに周りに目を配れなくて

一体どこの会社に勤められるのかしら?

 

それで、取り柄として選ぶなら、勉強なのじゃないか、彼は苦手なことを努力することが人一倍辛い様子。それなら苦手じゃないことを。

 

そう考えて子どもに勉強の道を進ませる親がいることもわかってほしいなぁ。

 

だからこそ、後者のように動ける、いわゆる優等生タイプのお子さんなら、必ずしも超高学歴を得なくても道は明るいと思うのです。

 

そういった友達のお母さんが、学校の偏差値にこだわりすぎて親子とも傷ついていらっしゃるのを見て、なんとも複雑な気持ちになりました。

多分その子は社会に出て生き生きと活躍できるよ、わりとどんなところでも。

 

それが望めそうもないから、せめてなにか得意を見つけて、進学校に進ませているのです。

「高学歴なのに使えねー。」

 

って、言葉にちょっと複雑になりました。

 

以前茂木健一郎さんが東大生に勉強ばかりしていたってダメと言い切っていて、東大生が「こんなに頑張ってできるようになったのだから、そこで評価するのが公平だ」的なことを言っていました。
茂木さんの言いたいことはよくわかりますが、今思えばそれは彼らなりの不器用さでもあって、ちょっと気の毒でさえあります。

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もちろんこれから問われるのは、というか今までだって問われてきたのは、臨機応変に動けたり、新しいアイデアを生み出せたり、またはちょっとやそっとじゃへこたれなかったり、勉強以外の能力が多かったと思います。

 

それでも就職活動では高学歴が優遇されてきたからか、勉強が得意な子への世間の目ってわりと厳しかったりしますよね。

以前書いた、アスペルガーの方の連載でも、著者のご友人が大変優秀な反面、職場になじめず苦労されていました。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

勉強が得意って全然最強じゃないですよ。
むしろ、突出してできる方には、突出してできないこともあったりするのだな、と知りました。

 

ですからそういう方への揶揄は減るといいなぁ、と改めて多様性を認める社会になってほしいと思ってやみません。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

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