悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

中学受験ってどんなもの?(3)大学受験、そのさきを考えて

前回、前々回の続きです。

中学受験を考えるにあたり、参考になる書籍をご紹介しています。 

 

 

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ブログのサブタイトルだけ変えてみた。今回は中高生にも役に立つ内容。

 

第六章は難関大学に合格できる学力について。

主に予備校の先生である天流仁志先生の教えを元に書かれている。

天流仁志先生は『親と子の最新大学受験情報講座』の著書があり、これはわが家でも大学受験の概要を知るために文系編、理系編ともに持っている。


 

もともと、このブログも私の備忘録的なものとして書いているので、この書籍についても改めて読み直してまとめたいと思う。
 

具体的にはどの学校へ行くとどこの大学を目指せそうか

時代により大学受験の様相も変わっているから、実際子どもが小さいうちは、どの学校へ行けば、どの大学へ進めそうかという実態は掴みにくい。
面白いのは、上位3分の1に入るかどうかという程度の生徒の進学先を表にしているところ。トップクラス1割を除いた「まあ上位」くらいの生徒としているのは納得だ。
先の記事にも書いたが、小学生は未熟で受験コーディネート能力がないからこそ、そして中学受験が難しいものだからこそ、「まさかの不合格」が生じてしまう。
そして、そういうまさかの不合格をした子らは、滑り止め校に入学する。
 
私が子どもの中学校見学をしている頃、偏差値的にはそう高くない学校でも東大に数人合格していることに気づいた。
 
今の都内の私立中学校はその偏差値が大変細かく輪切りのように分類されている。
そこで、各学校の進学実績も偏りがちになると思うのだが、ここで難関クラスでない学校から例えば東大合格者が出るということは、本来最難関校へ行くはずだった子が滑り止め校へ入学し、本来の力を発揮して大学に合格したということではないか。
そう考えると、その学校のトップクラスの実績は、本来その学校がレベル的に合っている子にとってはあまり参考にならないデータなのだろう。
 
本書の表のように、そういったトップクラスだけではない、まあまあ優秀層の進学実績を考えると、だいぶ行きたい大学に対して目指すべき学校が見えてくる。
 

大学受験生の学力の低下

大学受験生の学力は低下しているという。
ゆとり教育が終わってもあまり変わらないと。
確かに周りで高校受験をした人の話で、中堅の都立の学校だったが、受験する学校の倍率がほとんどないので、そう無理して勉強しなくても合格できてしまったと聞いている。そしてその学校からそこそこの大学へ実績もある。聞くと推薦で大学へ行けることが多いとか。彼らは受験勉強を必死にすることなく、そこそこの大学へ進学できるということになる。
↓今年は都立高で定員割れが多くあったという。
 
どこかに入れるなら良いと考える人には楽な選択肢かもしれないが、子ども時代のゴールは就職するまでと考えると、本当にそれでいいのか、と疑問が生じる。
 

大学受験に向けて必要な高校での学習は、在籍する高校によって大きく異なるという。
だから、大学受験を考える時には高校受験から見なくてはいけない。
ゆとり教育が知識を身につける量を減らしてしまった。知識が少ないと深刻な影響を持つのが、世界史や世界地理だという。
また、数学などでも応用問題を扱わないまま高校に入ると、高校数学でつまづくことになるという。
 

基礎学力をつけることの大切さ

基礎学力をつける教育が充実している名門中高一貫校を紹介している。
公立中学校にいても、これらの学校のやり方を意識して勉強していれば、漫然とゆるいカリキュラムで満点近く取れてしまい、それ以上勉強せずに高校へ入ってから苦労することもなくなるだろう。(これはまさに私の経験談)
 
やはり中高一貫校の方がいい?
ただ、天流先生によると
「学力が十分つく」難関校に該当する学校は全国でも10校あるかないか。それ以外の学校はたとえ中高一貫校でも、学校だけでは基礎学力に不足も出るし、中だるみの悪影響もある
と言う。
「学校だけ」で十分な基礎学力をつけられる学校はこれらだけと言い切ってしまう。
だからこそ、親はそこを目指すのか、そうでないのなら、自分の子が進んだ学校で
最初から「足りないであろう」ことを前提に、子どもの学校のカリキュラムを親がよく見たり聞いたりして、補う方法を考えることではなかろうか。
結局親がしっかり子どもの能力やその学校のカリキュラムをよく理解する必要がある。
 
中堅以下の中高一貫校を選ぶなら、先取りしていないところか、先取りがとても緩やかなところ、英数で検定教科書を使っているところを選んで、まず学校の勉強はわかると言う状態を作り、それができていたら上乗せしていくのがおすすめだ。
 過去記事で取り上げた安河内先生の本でも触れられていたのと同じだ。背伸びした教科書が逆に弊害となる。
 
保護者はとかく、子どもの能力を無視して、「これだけ先取りしてくれるならきっと学力が伸びるのだろう」と思いがちだ。ついていけているならいいが、あっという間にハイレベルの授業が進んで、なんだかわからないうちに終わってしまった、ということのないように。

そういうわけで著者も中学校のはじめのころは親がサポートをしてあげるのが良いとしている。 
 

学習の作法を早く身につける

ここで、天流先生の著書『学習の作法』を紹介して、具体的に何が必要なのかを語られている。
「学習の作法」とは、すなわちどうやって勉強していくかなのだが、親世代と違い今の子は学習量が減ったことにより、この作法が自然と身につくわけではないという。
 
ここで著者は自ら身につけていた「学習の作法」を息子にうまく伝えられなかったと言うが、私もそれに苦労している。
 
いまだに時々試験前にフォローをすると、「どうしてこんなやり方しているのか」と愕然としたりする。これは、息子の特性にもよるのかもしれない。要領よくやる子なら嬉々として取り入れそうなことを教えても、本人はすぐ忘れてしまう。と言うか、その時の自分のやりたい方に流されてしまう。これはまた別の問題になるので詳細は避けるが。
このように、作法を知ったからといってすぐ取り入れられる子ばかりではないので、地道にクセづけしていくことが大事なような気がする。これを塾や家庭教師に頼めればいいが、それだけでは自習時間までフォローできないだろうし、結局親のフォローが要求されるところもあると思う。
まあ、これが自分でできている子は書籍を読ませるだけでいいので簡単で羨ましい。
ちなみに以前も書いたが、わが子ができないことにうんざりするときに、アスリートもコーチをつけて管理してもらっているのだと考えるようにしている。
 
私が中学生に勉強を教えることをするとき、できればなるべく早く進めたいと思っているが、それは、本格的に自分で学習を始める中学生こそ、これらの「作法」を知っているべきだと思うからだ。

天流先生の著書は読んでいないので、全て同じとは思わないが、そう言うわけで最近本棚に『学習の作法』を追加した。またこれはそのうちに。。
 
この章ではこの「学習の作法」を具体的に紹介している。

また、天流先生によると漫画『ドラゴン桜』のような残り一年で東大合格というケースはかなりまれで、東大合格者の多くはA判定を連発してきた秀才だと言う。まれに合格するのは
『もともと名門難関校の出身である』、もしくは『2年以上継続的に集中して勉強してきた』、あるいはその両方と言うことです。

 受験勉強に2年はかかるというのは私も実感している。2年はないと間に合わない。

名門校の中でも浪人生の進学実績が高い学校は、入試で「作法が身についているか」を重視する傾向が強くなっています。

つまりそれらの学校に入るなら中学入試、高校入試で作法が身についているかを問われているということだ。
 
「学習の作法」について大人になればできるようになることをどれだけ早くできるようになるか、の差が、やはり学力の差なのだろうかと考えさせられる。
 と著者もまとめているが、だからこそ、中学受験時の作法を意識した勉強が役に立つと言えるのだろう。

就活を見据える子育て

第七章では、大学受験からそのさきへ。その後の人生で要求される力について。
大学受験は今やゴールではない。

いい大学へ入れただけでは、望む職につけなかったり、思うように活躍できない。

それは今まで読んできた本にも書いてあった。

 

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東大は公立出身の子どもが欲しいと言っているという気になる意見を紹介している。
「百ます計算」でおなじみの隂山英男先生の意見として、「中高一貫校出身の子どもたちは、かなり無理して難関校に入ったような場合、テストで点を取るための勉強しかしていないから、伸び代がない」と言った感じ。
この辺は、まあなんとも一概に言えないんじゃないかと思うのだけれど。
息子の周りを見ていても、受験勉強と全く関係ない知識にやたらと詳しかったり、好きなことを突き詰めているような子も多いからだ。
中高一貫校の生徒がみんな同じタイプでは決してない。ただ、親が学校名、偏差値ありきで尻を叩いて勉強をさせてきたような子はそうなってしまうのかもしれない。
 
教育学者の汐見稔幸先生からは、東大数学科の学生が卒業する頃にアメリカの学生にかなわなくなる理由として、
数学の世界を新たに作り出す「感性」が育っていないからだというのです。感性を育てるのは子どものころの豊かな「体験」です。
 と、子ども時代の体験の必要性をあげています。
 
また、 隂山先生によると、教育の終わりは大学入試ではなく、就活になっているというが、同感だ。実際東大を出ていても就職できない人も珍しくないという。学歴がある上での豊かな経験が必要なのだという。汐見先生によると真の学力をつけるために子どもの頃にどうしてあげればいいのかというと、本当に必要なのは、
混沌とした現実(カオス)の中からある法則(コスモス)を少しずつじっくりと見つけ出していくという面白さを教えてくれる
ことだという。 
日常生活の中で、カオスからコスモスを導き出すおもしろさを体験する会話、あるいはそういうことを実際に体験するおもしろさを大事にしてやらないと、土台がしっかりした知性になっていかない
家庭でおもしろい会話をすることでカオスからコスモスを作り出していく練習になるという。子ども扱いをしない知的な会話を日常生活の中ですること。 
小学生時代は、年齢が小さければ小さいほど、そういうことの体験をしっかりしながら、つまり考えることのおもしろさを少しずつわかりながらコスモスの論理に接するということがないといけない。そうしないと、絶対後伸びをしない子になっちゃう。
 恐ろしい。でも、これはなんとなく子どもが小さい時から感じていた。
詰め込みをして、ほんの少し他の子より知識が多くたって、そんなことは学ぶの楽しい、もっと知りたい! 考えたい! という興味を持った子にはあっという間に抜かされるだろう。 
 
子どもは基本的になんでも知りたがり。
勉強については知的会話を増やすことで、もっと知りたい、考えたいと思えるように寄せていくことができるのじゃないか。 
後伸びするためには、学力にも土台が肝心だという。
 

学力と心の土台を作る

汐見先生は、知的な力の伸ばし方として4段ブロックをあげていて、その一番下の土台部分には「生活の豊かさ・体験(疑問・驚き・感動)」があり、その上に「熱中度・集中度」があるという。
 また、『わが子の「やる気スイッチ」はいつ入る?』の著者である菅野純先生のいう心の土台とは、まず〈人間のよさ〉体験だと言う。その上に「心のエネルギー」として「安心感・楽しさ・認められる」が入り、一番上に「社会生活の技術」がある。 この学力と心の土台をしっかりさせることが必要。
 
さらに、中学時代には自分は社会の中でどこで、どんな人と生きていくかを考える時だと。その時期を過ごすのに汐見先生は公立中学校の多様な中で過ごすことをオススメしている。
社会が多様であることを知ることで「自分はどういう土俵で人生の相撲をとるのかを考える素材をきちんと持っている」ようになる。
 
確かに、息子は公立中学で過ごした私に比べて、そういう多様な人がいることの理解はしづらいのかもしれない。例えば医者や教師を目指すとしたら、自分が将来向き合うのは本当に色々な立場の人であろうから、その時初めてそんなことを知って驚く、または自分と違う立場価値観の人のことを想像できないなんてことは少ない方がいい。
 
ただ、今は読書したり、テレビを見たりすることで社会に自分とは全く異なるような生活をしている人がいることを知る機会はもてる。
割と意識的にそういうドキュメンタリーなどは見せてきたつもりだ。
本書でもオススメしているが、大学時代にアジアに行かせるとか、世界を見てまわる時期があることが必要だと思う。
 
夫は学生時代にインドをしばらく放浪していた。もともと世界にことさら関心があるタイプではなかったのだが、大して考えもなくふらっと出かけた。
小さな村を訪れて毎日そこの子らと遊んだりしていたそうだ。
今あまりその片鱗が見えるわけではないのだが、現地からの手紙にはマザーテレサのことを改めて尊敬するというようなことが書いてあって、その場を訪れることの影響力を感じた。
当時の彼は勉強も将来のことも何も考えていないチャラい大学生だった。予想外の反応だったのだ。
 
というわけで、この夏息子には『十五の夏』という本を読ませた。
息子は併読派で、20冊くらい抱えているので、夏も終わったというのにまだ読み終わっていないらしいのだが。
本書はのちに外交官から作家・神学者となる佐藤優氏の高一の夏のソ連・東欧ひとり旅の記録。息子も今とても極東からロシアに行きたがっていて、大学へ入ったら友達と数人でロシアを旅すると約束している。ぜひアジアも訪れてもらいたい。
 
公立か私立か、人は皆どれか一つしか経験できない。このことについては、自分なら、わが子ならどうすればいいか、と考えるしかないと思っている。学力だけではなく、私立に入れることに多大なメリットも感じているからだ。
 
汐見先生は、中高の6年間を通してやりたいことを見つけて進路を選ぶのが中高生時代の一番大事な課題だという。初めから大学ありきだったり、自分の成績や得意科目で進路を決めるだけの6年間にしてはダメだと私も思う。

就活で求められる力をつける

隂山先生は立命館付属高校の例をあげ、様々なグローバルなボランティア活動をやる機会の多い彼らが就職試験にとても強いと言う。

 

著者も言う。

多くの人と面接すると、きれいに表面だけ取り繕われた言葉の化けの皮はあっけなく剥がれてしまうのは想像にかたくない。だから就活は厳しいのだ。それまで生きてきた人生のすべてが問われるからだ。

(中略)

言葉で自分のすべてを語るための掘り下げ機関としては、就活までの大学生活の3年間はあまりに短い。とてもそれだけの期間では間に合わないのだ。

 だからこそ、子どもの時からの体験や知的会話など、土台作りが大切になってくるのだろう。

 

そして、勉強ばかりやってきてやっと東大へ入るような、勉強以外に何もなかったような子では、社会で求められる人材とはなり得ない。

 

著者も考える。

「こういうふうに、充実した子ども時代、中高時代を過ごしてなおかつ東大に入れる人が本来東大に入るべき人なのだな」と。「そうでなかったら東大に無理して行かず、その子の分にあった大学に行った方がよほどその先の人生にとってよかろう」と。

 

そうなのだ。なんとなく感じていたことが言葉になっていた。

 

ちなみに今や海外でボランティアプログラムに参加した程度だとふつうになってしまっているのだとか。それらの体験をどれだけ深く掘り下げたかどうかということなのだ。わかる。お金を出してそこに参加するという受身だけではなく、自ら行動を起こすことが望まれるのではないか。

 

かといって、学歴は関係ないわけではない。今の就活はある程度以上の偏差値の大学に入れることに加えて、人生に必要な体験も十分に持っているハイスペックな人が求められている。

だから内定をもらえる人は何社からももらい、一方もらえない人は全然もらえないという事態になっている。

 

これから子どもの進路を考えるその時々に目指すのは就活で問われる力だということ。そこを求めて中学受験をするのかしないのか考えてほしいとまとめられている。

 

初めはたまたま手に取った本だったが、この六章七章は高校生の保護者としても改めて考えることが多かった。

 

少し前だが実際テレビ番組での企画でやった模擬面接をしたのだが、3人の学生の受け答えには恐ろしいほどその人のバックグラウンドが垣間見えた。立候補してやるくらいだから自分のアピールに自信がある人たちだったのだろうが、具体的な体験をうまく語れている人、抽象的なこれからやっていくと言った話だけの人、どちらを取るか迷うまでもない、という感じを受けた。

 

先日先輩の保護者の方と話していて、入学した時に勉強の話が来るかと思ったら、校長先生からは「高校は社会に出る準備をするところ」というお話があったと聞いた。

「心の土台」を思い出す。

 

親が就活までの20年間あまりで与えられる教育の目標は、その後の人生の礎となるその子の土台を学力、心ともにしっかり作り、就活で望まれる自分で考えて行動する力をつけるべく勉強だけでなく体験も充実させるということ。

就活まで数えるともう少しあるが、大学入試まではあとほんの少し。ここまで過ぎてみればあっという間だ。

 

先の見えないきょうび、確かなレールはあるようでない。

真に望まれる能力の基準はとても高い。流されている暇はないように思う。

 

息子はどちらかというと、体験の方はまあまあできているように思う。大学時代に補強していってほしい。問題は学力の方だ。

というわけで改めて、『学力の作法』を読んで見たいと思う。

 

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文理選択を真剣に考える

文理選択、うちでも真剣に考えねばならない時期になりました。
少し前に校長先生のお話を聞く機会があり、「文系か理系か迷っているなら、理系の受験できる科目を取っておきなさい」と言われました。それでも、できればきちんと将来について考えて決めたいものです。先送りにしたとしても一度はきちんと考えなくてはならないことなので。

さて、うちの息子は特に成績が良い方ではないのですが、国語は秀でていて、課外活動などでもそういったものに関わることが多いので、典型的な文系みたいに思われているのですが、今は理系も視野に入れています。

 

自分たちの時代とは明らかに違う社会人生活を送るであろう子どもたち。
そう考えると、得意だからだけで進路を考えるのは無謀だと思っています。

先日Z会の塾で開催するイベントで文理選択を考えるものにいってきました。
文理決定の時期は、やはり高1秋がダントツで多いですが、一割くらいは中学生からという子もいました。

大人からのアドバイス

思えば、息子の興味も歴史や政治→宇宙科学や物理学→国語や言語学→法学から今は社会インフラ系の研究を友達と続けています。

いちいちハマるので以前はオタク系かと思っていましたが、意外と色々なことに好奇心旺盛で、自分でも「マニアックな人には叶わない」とは言っています。

なるほど、長い目で見てみないととわからないものだ。

一方で、要領よくなんでもこなすが、オタク的に追求するとかハマることがない、あまり趣味のない友達が、医学部も視野に入れていると聞くと、なんとなく違うんじゃないかと思ったり。
実はうちも法律系にハマった時は、法学部へ行くと言ってましたが、いや〜四六時中勉強するイメージで、合わなそうだと思いました。
中高生くらいって、そんなに自分を客観視できないのだな、と改めて。実際仕事がどんなものかもわからないでしょうし。
そう考えると、社会に出て働いている親ともっともっと将来について話し合った方がいいと思うのです。

もちろん、一見合わなそうだけれど実際入って見たら変わった、ということもあるかもしれませんが。

 

ただ、自分や夫の進路選択を考えると、やはり大人から良いアドバイスがもらえたらもっと良かったと思うのです。大学時代の過ごし方、はたまた学部選びから考え直すでしょう。夫の出身学部は、資格が取れるものでしたが、興味を持てず資格取得はせず。そして全く違う技術職に就いてから大変勉強するようになりました。
私は高校時代に希望の職に就くために大学受験を選びましたが、結局在学中に方向転換して技術系の職に就きました。

いずれも最初からその技術系に直結した学部を選んでいたら、今以上に職に恵まれていたと思うのです。遠回りです。やり直すのはいつでも良いといっても、キャリアは確実に違ってきます。二人とも文系理系の枠すら超えた違いです。

イメージだけで希望職を考えていたことが原因かなと思います。今は当時と違い、生の情報だって色々調べることができます。

何を重視して文理選択すべきか

Z会でのイベントの資料には、Z会OB・OGアンケートとして、「文理選択で一番重視したこと」という項目があり、文理選択に満足している人としていない人がそれぞれ何を一番重視したかのグラフがあるのですが、両者で結構違うのです。
満足している人の半数は興味のある学部・学問を選美、さらに三割が将来就きたい職業。さらに好きな教科の3つで94%を占めています。
ところが、満足していない人にはその3つでは六割強で、得意不得意で選んでいる人が25%ほどいます。

 

周りに聞いてもまだ「うちは数学苦手だから文系」「国語が苦手だから理系」という答えがほとんどでした。まだそこまで将来の仕事に就いて子どもが考えられていないから仕方ないのかもしれませんが。

選択のポイントとして、将来就きたい職業から考えるために社会で起こっていることやニュースに興味を持つことも挙げられていました。
また、興味ある学問についてより理解を深めるためにその分野の書籍を複数読むことも大事と。

 

さらになるほどと思わされるのには、志望大学のアドミッションポリシーを確認し、なぜ入試科目に選ばれているかを確認する、という点。

少し前に早稲田大学の政治経済学部で21年度から地歴数学からの選択で良かったものが、数学は必須に変更になると発表がありました。

 

biz-journal.jp

「早稲田大学、政経学部の入試で数学必須化の衝撃…他の私大文系学部で追随の動きかhttp://biz-journal.jp/

 

上記記事でも、 数学が苦手と言って文系を選ぶ学生が多いと書いてある。

大学での勉強に数学が必要なのに数学を勉強しないまま入学してしまえば、あとで苦労することになり、こんなはずじゃなかったということになります。
このニュースは他の大学へも影響するかもしれません。

 

大学へ行けばより高度な難易度の高い勉強をします。好きである、興味がわく、将来役に立つと思ってのぞむのと、とりあえず大学入れて良かったけど、この学部で良かったのかな、と思うのとでは大きく成績も違ってくるでしょう。

 

社会・理科の科目選択

塾で配られた資料では、どんな特徴があるかがまとめられていました。
全てご紹介はできませんが、例えば、現代社会では、「学習範囲が非常に多岐にわたり、センター試験で問題の難易度にムラがあることが多い」とか、倫理では「抽象的な内容を自分の理解することが求められるので読解力を高めることが重要といったどんなものが求められているかなども考える材料になるのだと考えるポイントが整理されます。

 

そのほか、文系だったらこれ、理系だったらこれ、という定番がある一方、これを選ぶと受験できる学部が少ないといったことも重要な判断基準になることがわかります。

 

高1の間にやっておくことは

・英数国の中で苦手なものをつぶすこと。
・学校の地歴・公民・理科の授業はしっかり聞いておくこと。

だそう。

高2になったら

・文系は地歴、理系は理科・数Ⅲの学習をスタートさせる。

 

簡単な無料セミナーでしたが、少しだけ見通しがたった気がします。

 

Z会のウェブサイトでも入試情報が載っています。また資料請求で大学案内なども無料で送付してくれたりと、大学受験にも役立つことが多いので、ぜひのぞいてみてください。

 

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小学生、塾に行く前にやっておくといいこと

夏休みがやってきますね。母としてはストレスが多い夏休み。でもうまく使えば、他の時期にはできないことにもチャレンジできる。ぜひ有効に使ってほしいです。中学受験を目指す子もそうでない子も。

中学受験を目指す子は、夏期講習もあることでしょう。
中学受験塾に入れた動機はそれぞれでしょうが、小学校と違っていきなり順位の出るテスト、クラス分けのある日常に放り込まれて、一喜一憂が始まったりもします。

今は小学三年生くらいから塾に通う人が多いようですが、そこでのクラス分けに神経質になっているお話を聞いて、もっとほかに今のうちにやっておくといいのじゃないかなと思うことがありました。

 

受験塾に通うことを早く始める方がいる一方で、高学年になってから受験を考える人もいます。今の偏差値で学校がどこというのはあまり意味がないような気がします。 

それより、わが家でやっておいてよかった、またはやっておけばよかったということはこんな感じ。

 

◎《理科》植物や鳥などが豊富に見られる公園などの散策、観察

住んでいるところにもよりますが、積極的に触れないと大人にとって当たり前と思っていた昆虫や花の名前がインプットされておらず、あわてて子ども用図鑑を買いました。

東京でも私が子どもの頃よりぐっと昆虫などは減ってしまい、実際見る機会が減っています。

でも、図鑑で見る経験より、その前に実際に触れることが記憶の定着には大きいのじゃないでしょうか。植物はかなり種別を覚えるのが大変そうでした。その中でも、実際触ったことのある花かどうか、というのはとっかかりやすさに大きな違いがあります。

◎《理科》天体観測

これも星座から天体の動きなど、かなりたくさん覚えることがあるので、行ければ実際の天体観測。プラネタリウムなら春夏秋冬それぞれの季節に行くことをお勧めします。天体の動きに興味を持っていれば、何月何日の何時にどんな風に月が見えるか、なんて問題にも気後れしなそう。

気軽に星に親しむなら双眼鏡がおすすめです。

◎《社会》大河ドラマや時代劇・歴史物

歴史なら、大河ドラマはおすすめでしょう。ただ、うちはあまり大河ドラマを見続けることはできませんでした。年齢的にもあまり小さい子には理解できませんね。が、大河を好きで見ている友達にはそのあたりの歴史はすんなり入っていたようです。
男の子などは特に、それを見て甲冑がかっこいいとか、そういうきっかけでも良いのではないかと思います。
息子は幼稚園時代にプラスチックの刀のおもちゃをいくつか持っていて、友達がくるとたいていそれを振り回して遊んでいましたね。それで小学校卒業くらいまでは大事にしていました。男の子って基本ちゃんばら好きなんですね。

ま、うちが歴史好きになったきっかけはドリフのコント(忠臣蔵とか水戸黄門パロディ)でしたので、何がきっかけになるかわかりません。大河ドラマを最後まで見て全部吸収させようなんて気負わなくても、興味のある子ならそこそこ歴史が好きになってくれるでしょう。

以前も紹介しましたが、「まんが日本史」は「歴史好きになった子」にはかなり面白いです。

息子が中学に入ってから歴史の授業で、マニアックな人が出てきたりして、テスト前に問題を出す時に、息子が

「まんが日本史で出てきたじゃん!」

と言ったりするので、好きな子なら記憶に残るのかも(私は毎度そうだっけ?ですが)。

jp.history.com

 

有料チャンネルでやっていて、以前契約中に全部録画して保存版にしています。
わりと詳しくやってくれるので、小学校の歴史にはバッチリすぎるほど。中学生くらいでもいいのじゃないでしょうか。

ヒストリーチャンネルでは目下放送中。

 

◎《理科・社会》まち歩き

最近時々まち歩きをしますが、どこもかなりの賑わいですね。
以前はレジャーといえば遠出して観光地を訪れるイメージでしたが、今はちょっとした近所の街を訪れる方も多いようです。散歩番組が多いのも納得です。
今息子はすごくまち歩きが好きなのですが、これはボーイスカウトの影響もあるかと思います。
ボーイスカウトは夫の担当でしたので私はあまり参加しなかったのですが、キャンプばかりではなく、玉川上水に沿ってハイキングなどに行ったことがありました。あとは皇居東御苑とか。息子は「松の廊下」(忠臣蔵「殿中でござる」の舞台)跡なんかに興奮していました。

tokyo-trip.org

意外や今の学校の友達にも同じ趣味の子がいたりして、時々あちこちに散策に出たりしています。川の流れや暗渠、家康の治水事業まで興味が広がります。

まち歩きといえば、NHK「ブラタモリ」ですね。
これを見ると、歴史はもちろん地形とかにもたくさん触れるので、息子は小学生のときはそう興味もなかった地学に興味を持ち始めていますが、受験で使えないかもと残念がっています。

中学受験時は岩石の種類や火山の分類など苦労して覚えたけれど、もっと早く興味を持っていればだいぶ楽だったかと。

 

「ブラタモリ」をご覧になった方はご存知でしょうが、まち歩きと言ってもただの散歩ではなく、なぜその地域が今のようになったかを歴史や地形と合わせて考える番組です。

www.oricon.co.jp

というわけで、日本地質学会から表彰されたそうですが、見ていてもその分野に多大な貢献をしているなぁと思わされます。 

 

 

今息子はこのまち歩きから、地形や都市のシステムなどにも興味を持っていて、将来の仕事にしたいものの一つになっています。実際まだ時間があるので、進路が変更する可能性もありますが、そのために頑張ると言うモチベーションにはなっているようです。

 

◎《社会・理科》旅行

まち歩きに通じますが、地理的・歴史的・理科的にも経験の有無が大きく影響するのが旅行のような気がします。
パッケージではなく自分で計画をたてて訪れることで、そこに何があり、どんな産業が栄えているのか、のちに子どもの地理の勉強をしていたときに大きな存在感をもたらしたのが自分の旅行経験でした。
私は幸か不幸かあまり長い休みがとれなかったので、海外より国内の旅行が多く、国内はかなり訪れているのですが、地理で名産から工業から地形から、目で見たものはすんなり入ってきます。
旅行時詳しく知らなくても、旅を思い出して、景色や食べ物、土産物、建築物などという記憶と結びつけられることは、覚えるのに強力であると痛感しました。
というわけで、息子が子ども時代にはそこまで旅行ができなかったので、私だけ妙に納得したりして、もっと旅行させてあげたかったと強く思いました。
特に受験生になると、夏期講座だけで何十万とお金もかかり、時間的にも金銭的にも旅行に行くのは大変です。
小学校4・5年生くらいまではまだ時間に余裕があるので、ぜひ出かけてほしいです。

◎《全教科》本を読む習慣

定番ですが、これほどその後の知的好奇心に影響のあることはないでしょう。
読書が好きか嫌いかでは世界が大きく異なるでしょう。
小さい子に無理やり文字を教えたり知識を詰め込むようなことをする前に、子どもが本に興味を持つように導くことが大事かと思います。
本来の子どもは知的好奇心が旺盛のはずですが、何か苦手なことがあると認識すると、それを避けるようになったりもします。就学前にひらがなを読めるようにしておくことの効果は、苦手意識を持たせないことじゃないかと思います。
 

◎何かを作ること

女の子なら手芸やお菓子でも、男の子ならプラモデルやブロックでも。
はじめはパッケージセットでも、そこからだんだん手作りへ…。
何を作るにはどうしたらいいか、工夫を凝らしてやってみること。
これはわが家ではあまりできておらず、若干ジャンルが異なりますが、大学の物理教室で、毎回手作りで物理の仕組みがわかるものをて作業していました。手が遅い息子はいつも学生さんを煩わせていたと思いますが。

どちらかというと息子よりお友達に、勉強はあまり興味がないが、ロボット作りとか、工作とか舞台セット的なものに興味を持っている子が何人かいました。
ものづくりが糸口になって、将来の仕事を考えたりできそうだし、そうなると本人も工学系へ進みたいなど受験への興味も湧いてくるようでした。

◎公共交通を使って自分の足で歩く

勉強のためというか、生きるためですが、小さい頃からやっておくといいかなと思います。

息子はたまたま鉄道が好きだったのと、家が都心にあるので様々な鉄道やバスを乗り継いで行くことが多かったのもありますが、幼稚園の頃くらいから、地下鉄を降りたらどの出口か、それはどこの階段を上ればいいのか、どこで調べればいいのか、わからない時は誰に聞けばいいのかなどを息子に先導させながら学ばせていました。

文字を覚えるのも早いですし、方向感覚を意識することもできました。
たとえば受験の時。ただでさえ緊張する場面。そこでどうやって行くかにストレスがあるのとないのとでは大きく違うと思います。特に不測の事態が起こった時。

備えても方向音痴という子はいるかもしれませんが、震災などの非常事態、電車で一時間の距離に通っていて歩いて自宅まで戻れるか。スマホが広まって知らない人に道を聞く、何か教えてもらうという機会も少ない子どもたちがきちんと誰かに助けを求められるか。

◎まとめ

まだ子育て中ですが、ここまで育ててみて、周りのお子さんもみて感じることは、幼少期はその子の素地を作ることが大事ということ。

本好きに育てられればかなり楽。本が好きということは、ものを知る一番手っ取り早く簡単なこと。また、自分だけではできない経験値を大幅にあげることができる。

体力をつけるために水泳をやらせるのと基盤を作ると言う意味では同じではないでしょうか。

 

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大事なのは表面的に「なにができてすごい」(計算だったり楽器だったりスポーツだったり英語だったり)ではありません。

それは、先取りしてやればある程度できるようになって、「すごい」と言われますが、大きくなってみれば誰でもやろうと思えばできる程度のレベルだったり。

そういう目先の親の自己満足を満たすものではなく、たとえば上にあげたものでも無理に覚えさせて「鳥博士」や「星博士」にするのでもなく、知的好奇心をどんどん広げること、中にはそこではまってマニアになるのもいいでしょうが、いろいろなことにアンテナをたてて知ることに喜びを持たせることじゃないかしら。

中学へ入ってからではかなりその辺を変えていくのは難しいと感じています。
それまでにどういった器を作っておくか。たくさん入れられる器か、何にも興味がなく、自信もないからチャレンジもしない閉じた器か。

 

中高生になると個人の持っているポテンシャルというか、知識も能力もそうですが、大きな違いになります。

この子はこれがすごい。これは誰にも負けない。それが学校の成績には直接結びつかないものでも。そしてそれが、将来の可能性が透けて見えるのも中高生です。大学生ならもっと違いは顕著ですね。

 

↓似たような観点で書いた過去記事です。 

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学校は偏差値で選ぶものではない〜中学・高校・大学

気づけば二ヶ月ほど記事を書かなかった。学校関係の仕事が重なってそちらに神経を使っていたので、記事作成のために時間を作るのをやめた。
そこまで忙しいのもどうかと思うが、やはり、他の保護者と時間を共にすることは、子どもの学校について多くを知る貴重な機会でもある。
記事更新がなくても中学受験についての検索で来られる方が一定数いらっしゃるので、少しそちら関係について。

先日今年入学した新入生のお母さんと少しだけお話しすることがあった。

何人かと話したが、いずれも学校が楽しい楽しいと言っていて、ひとまず安心されていたようだ。
確かに、学校が楽しいという子の割合がとても高い学校だと思う。

勉強に熱心な子、スポーツに打ち込んでいる子、課外活動に熱心な子、ゲームばかりやっている帰宅部の子。色々な子がいるが、いずれも楽しいというのは、どんな子にも居場所がある雰囲気が、楽しいと感じさせるのかもしれない。

ただ、いずれもみなさん受験まではそれなりに勉強漬けの受験生生活をしていたのだが、入学後勉強をしないことに驚いていた。

私もずっと書いてきたが、小学生の時はなんだったの?と思うくらい勉強をしない。テスト前の一夜漬けばかり。もちろん高校に入ると塾へ行く子が増えるので、それなりに自習している子も多いのだろうが、それでも熱心とは言えない子が多い。先日の期末試験中の週末も、「うちは寝てる〜」「何もしないでW杯サッカーをオンタイムでみてる」なんて声も聞くと大差ないなと。

 

そこで、新入生のとあるお母さんが、真面目な表情で、「進学校だと思って入れたのに一体どういうこと?」と言った質問を投げかけてきた。
その方のお話では何回も「進学校」という言葉が出てきて、一般的なこの学校のイメージというのはまだまだ「進学校」でしかないのかな、と思った。

 

時々、偏差値や進学実績だけで学校を考えているのかなと思われる意見をネットなどでも目にする。
そもそもの進学の基準が進学のためなのだろうか。
確かに公立の小学校や中学校は近所だからというだけで通わせるシステムなので、学校の違いで親が注目しがちなのは、どんな対策をしてくれるのか、補習は手厚いのか、といったことになりがちだ。

 

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私も初めて中高一貫校の進学フェアに出かけた時、なんの情報もないまま学校別のブースに腰掛けた時に何を聞いたかと言えば、受験対策や塾へ通っている子の割合などだった。

それが大事な要素の一つではあるけれども、一番大事なものではない。

 

学校を何回かいくつか巡ってみて感じることは、学校によりかなり雰囲気は違うということ。
我が家の場合は小学校も公立だが選べたので、公立小学校でさえ、雰囲気は大きく違っていた。

自分の子がそこに通うことがイメージできるか、どんな生活をしているだろうか、そういうことを思い描けるのがいいのじゃないか。

私の場合は、息子が少し個性的であったため、幼稚園に通っているときにその後に不安を持ったのがきっかけで、割と学校の違いは敏感になっていたと思う。
実際息子が通った学校はとても息子にはあっていたが、他の学校だったら同じではなかったと思う。

どこへ行ってもそつなくこなす子であれば、親はさほど心配する必要はない。
それでも中学校や高校は、部活もあるし、一番人生に影響を与えるような重要な時期。その時にどんな価値観に包まれて生活するかは、その子の人となりに大きく影響すると思う。

 

入学時から卒業時までに大きく実力を伸ばしている学校がある。
うちは、行ってみなくても合わなそう、と思って志望校から外したが、そこに知人の子が通った。

トップからビリまで成績を公表するその学校では、中学で退学する子も珍しくないという。

 

是非についていうつもりはない。私自身は自分の高校はまさに、ガリガリ勉強させるところを選んで、そのおかげで現役で大学へ行けたし、自分のキャラにあった自由な高校へ行っていたら、人生はまた大きく違っていたと思うので。 

ただ、私も自分と学校のギャップにかなり悩んだが、その学友でさえ蹴落とす対象かのような環境で合わなくて退学してしまうのは残念だ。

 

真剣に「進学校」を連呼したお母さんは、こういう学校がお望みだったのではないか。本人はどうだろう。
「夏休みの課題はどれくらいあるんですか?」と気にされていた。
それなりにやりごたえのありそうなレポートなんかは出るが、目に見えた受験対策的なものはそう多くない。きっとたんまり出してくる学校からすれば、驚くほど少ないかもしれない。
入学直後の連休に「山のような宿題を泣きながらやってたよ〜」と、知人の子(上とは別の学校へ行っている子)のお母さんから聞いたことがある。多くの上位校はそうなんだと思う。

良くも悪くも自由な息子の学校は、その辺の匙加減も含めて個人に任されている。だからこそ、真面目にやっている子だって塾でトップクラスをとっている子だっているのだ。
やはり、強制的な課題の少ない中で、本人や保護者が積極的にどうすべきかを考えて動くことが望まれる。

「学校がやってくれないせいで、我が子が勉強しない」という考え方は、自ら学校を吟味し選んで通わせる中学受験をさせた保護者からはそこまで出てこない。
もちろん小さな愚痴や要望はあるけれど。
受験対策への手厚いフォローを期待するなら偏差値を下げてでも他の学校へ行かせるだろう。

 

そのお母さんのお子さんがどうなのかはわからない。
流されてだらけているだけなのか、学校生活を堪能しているのか。

最近何についても考えるのは、なんでそうなのか、ということ。
そう考えることで見えてくることはある。
なんでこの学校はこういう自主性を徹底させているのか。確かに入学時同レベルで、勉強中心の生活をさせていたらもっともっと進学実績は上がるかもしれない。

 

そして、これから求められる人材を考えれば、知識を詰め込んでいればいいわけではない。

dot.asahi.com

 

そうは言っても、大学がよければ就活は有利と思われるかもしれない。
でも、大学のレベル(偏差値)に大きく差がある場合はそうかもしれないが、例えば、第一志望校か、第四志望校か程度の差であれば、本来のその子が持っている経験値の方が大きいかもしれない。
それに新卒で入った会社にずっとい続けるかどうか、その辺もどんどん変わっていくように思う。入社後もバージョンアップし、自分のやりたいことのために動けるかどうか、そういうものの一つに中高での経験も大きいのじゃないかと改めて思う。

やはり先のお母さんには言いたい。せっかくこの学校に入ったのだから、まずこの学校の良さを堪能してほしい。

 

二つの意味で偏差値で選ぶものじゃない、というまとめになる。

偏差値だけで選んだら、自分の求める学校ではない可能性がある。よく校風をみて選んだ方がいい。

一方偏差値が高い=今後生きていくのに必ずしも有利とは限らない。

 

偏差値とは、単に志望校を決めた後、自分がそこに入れるかどうかの指針に過ぎない。

 

ただ、難関校を目指そうとすることを否定するわけではない。
難関校に無理して入って「深海魚」になるより、レベルを落としてトップにいた方がいいという考えも時々耳にするが、それは人による。
頑張って這い上がった、そのおかげで受験が楽になった、という人もいる。
私自身も嫌な学校と思いつつ、高校時代に偏差値を20近くあげた。

 

結局、本人が高校・大学・そのさきの進路をどう考えるか、その進路にあった選択をすべし。それを考えず、周囲の評価や偏差値だけに頼って選ぶのは勿体無いという、これに尽きる。

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シブヤ大学の学生になってみた

学生の頃よく訪れた渋谷。
散々見慣れたスクランブル交差点が見渡せる駅の通路には、外国人観光客が人種も様々、交差点を行き交う人の写真を撮るべくずらっと並んでいた。駅の近くには高層ビルも増えつつあり、時の流れを感じる。

 

平日の夜から開講される講義に参加すべく、家族で渋谷駅で待ち合わせた。息子は学校から、夫は会社から。

シブヤ大学は渋谷の街をキャンパスとした入学試験のない誰でも学びたい時に入れる「大学」。

シブヤ大学とは | シブヤ大学

 

2006年にできたというが、はじめて知った。
この手の大人が学べる「大学」という名の団体は、大人になってから訪れる機会の多い丸の内にあるのは知っていたが、こちらは2009年にできたというから、シブヤ大学の方がさきがけということか。

asadaigaku.jp

 

まあ、丸の内は活動時間が朝と聞いて、午前中は半分寝ている私にはあんまり馴染まないなと思っていたのだが。

シブヤ大学を知ったのは、今回参加した講座の講師である山形浩生さんの書籍を夫が息子へ読むように言っていて、まさに彼が読み進めている途中だったという偶然。

『アメリカ大都市の死と生』はアメリカの女性ジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブズによって1961年に書かれた。
その後、黒川紀章氏が抄訳、山形さんは2010年に全訳している。

都市論としては大変メジャーな本。

今月からこのジェイン・ジェイコブズの映画が公開されるのに合わせて映画上映と山形さんのトークが講座となったのではないか。

janejacobs-movie.com

映画については、切り取り方も、編集方法ももうちょっとと思うこともいくらかあったが、訳者である山形さんがその後のトークでその辺のモヤモヤをスッキリ解消してくれて全体的には楽しめた。

映画をみる前に本を読んでおいた方が良い(分厚いけど)。
未読の私は終了後に息子の持参した本をめくって見出しをさらった。
映画は都市論そのものよりも、専門家でない女性が都市のあり方に疑問を呈して市民運動が広がったと言う側面の方がより強調されている。
ダメな都市の例はたくさん出すのだが、彼女の理想が映画だけではよくわからなかった。

また彼女自身の考え方にも疑問は持った。それで、どちらかと言うと映画より山形さん本人に興味を持った。広い視点でものを冷静に観ている印象。映画がかなり偏っていたので、余計に。
彼女が否定するのじゃないかと思える街に暮らしている身としても。
彼女が批判したル・コルビジェは、今改めて評価されている。どちらが好きと言うことではない。私は下町に育ち下町が好きだが、実際暮らしているのは、隣接はしているが下町のど真ん中ではない。むしろコルビジェ的な建物ではないか。
時代や環境によっても何がいいかなんて変わってしまうのじゃないか。

 

精力的と言うほどではないが、これも、以前書いた木村草太さんのブックトークや安藤忠雄展と同様、息子の進路探しの一環でもある。

単純に我々もそれに乗じて色々知る機会となる。
子育ての楽しみはこういう出会いがもたらされることにもある。 

遅い夕飯を食べながら感想を話しあったが、大して気の利いたことを言わない息子だが、何か考えを巡らせてくれればいいと思う。

 

シブヤ大学。申し込みは個人単位で、申し込むと学籍番号が与えられる。
今回は傍聴のみの講座だったが、この大学のほかのメンバーとの取り組みなども興味深い。

大学に入って時間ができてからでも、何かしら興味関心を広げるような機会を持ってほしいと思っている。

 

 

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中高6年間をどう過ごすか

前回記事から我が家を振り返って考える。

 

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中高一貫校に在籍し、高校受験のない6年間を過ごしているが、それも半ばを過ぎ、受験まではきっとあっという間。
学校での様々な仕事を請け負う息子。この分量で仕事をしていると、ゲームをして遊んでいる暇さえない状態。仕事を少し減らしなさいと話した。

ただ、部活も仕事もやめろとまでは言えないでいる。

なぜか。

やはり、得たものが大きかった。

入学当初からイベントを仕切る役割で苦労した。

返事が返ってこない、予定通りに進まない、予算を立てるのが難しい。必要なものの購入をいつどうするか。

中学一年生だから当たり前なのだが、大人から見てとてももどかしかった。

どうすればいいかを家で話し合ったこともあった。

毎年何かしら大仕事を請け負って、だんだん人にうまくやってもらう術や業者とのやりとりなど様々なものに慣れてきた。

締切に間に合いそうもなくなった時、どうやって他の人の力を借りるか、そもそもの計画が杜撰なのじゃないか、今後どうするか、そんな話もした。

昨年度は息子が企画立案し始めは反対者もあったものの賛同を得て予算を通し、協力者を集めて動かしたものがあった。

さらに、その仕事があるにも関わらず、別の仕事も請け負ったのでなぜかと聞くと、友達に頼まれたという。その友達自体も似たようなもので、その仕事を先生から一任されている。

 

学校の仕事はほとんど希望制、当たり前だがボランティアで、仕事をすることで勉強時間を削っている現状、要領のいい子からしてみたら時間の無駄と思われるかもしれない。

思った以上に全然勉強は進んでいないし、人に頼まれることはいわば本人にもやりがいにつながるので、地道にひとりで勉強することより魅力的なのだろう。

勉強からの逃避じゃないのかと話したこともあった。

そのために体を壊したこともあり、常に私の中では悩ましいことだった。

成績の下落も経験し、ただそこで少し危機感もあったようで昨年末には復活した(勉強時間はさして増えてはいないのだが)。

 

一方で、ほかの保護者の方には賞賛されることもあったが、それは社交辞令も多いのだろうと思っていた。
だが、やはり人によっては、どうせダラダラしているのなら何かしてほしいとか、何もやろうとしない子どもに、何かチャレンジしてほしいと先生に相談している親御さんもいた。

そもそも大学受験の勉強だけをさせるためにはあまり向いていないとされる学校であるから、そう考える保護者の方も多いのかもしれない。もちろん淡々とやるべき勉強をやっているお子さんもいるから、人それぞれだが。

 

何か活動するにあたって、それは大学へ入ってからでもいいのではという思いもある。
他の進学校があれやこれやと適時ふさわしいと思われるカリキュラムをかなりの負荷で与えていると聞くにつけ、「小学生の時の方がよほど勉強していた」と多くの保護者が言うような、一見のんびりした環境でその中で安穏としていていいのかという焦りもある。

 

ただ、部活では目標に向かって鍛錬し、できなければ叱咤されることもあり、仲間と協力して作戦を練るなど、すべてが経験になる。
部活では(部長などリーダー格にならなければ)おおよそやることは決まっていて、部活によっては顧問に従って進めるため、どちらかというと忍耐力や努力に焦点があたりがちだが、自主活動になるともっと経験の範囲は広がる。

それこそいつどこでどんなタイミングで打ち合わせをするか、どんな方法で先生や周りに納得してもらうか。
生徒だけでの話し合いなど、聞くとずいぶん不毛なやりとりも多かったりする。そこからどう練り上げて完成させるか。さらに時間管理。役割分担…。

 

以前息子がまだ小学生の頃だったか、会社を起した高校生が世界で評価されて立派にプレゼンをしているのを見たことがある。

その時は堂々としていてまるで大人のようだと感心したが、高校の先輩たちのやっていることを見れば、ああ、これくらいのことってやらせる場があればできることなのかもしれないと思った。

 

大学へ行ってからでも遅くはない。
ただ、大学でできるとしたら、わりと一つのプロジェクトだけになっていくのじゃないか。自分がいるサークルなり、有志で集まったグループなり。そもそもそこには賛同者だけが集まって、やりたいことをやっている。

中高でやることの意義は、そういう賛同者ばかりでないところで、如何に話を聞いてもらうか、納得させられるか、また自分がやらなくてもいいところで手を挙げるか。

ちょっと意味合いが違ってくるように思う。逆に言えば中高で何もやらなければ、大学へ入っても自分の好みや損得で動く以外の一歩を踏み出せるだろうか。

やらない人からよく聞く言葉に「そういうの私は/うちの子はできない」というのがある。

でも、そんなことはない。前記事で紹介したスタント先生の本では、まさにどちらかというと常に「お客さん」であっただろう、受け身で学力もやる気もない学生たちが、自分の研究で特許をとったり英語で時間きっかりのスピーチができるようになっている。

 

そういう場にいたかどうか。これが大きな影響を与えるのだといろいろ見て感じた。

 

そろそろ息子も進路を考えなくてはいけない。志望校しかり、受験方法しかり。
残りの高校生活をどうやって過ごすか。

私自身は、受験予備校的な進学校へ行き、やれ部活はするな、やれスキー教室はいくなと先生に禁止され(一年次の成績が悪くて)、まああまりにも自分のキャラクターに合わなくて辛かったのだが、開き直って成績をあげた。

それが今につながっているので全否定するつもりもない。

ただ、様々な友達と影響を与え合い、意見の相違に時には揉めたりしながらも互いにそれを認めている息子を見ると、かけがえのない時間を過ごし、いい経験をしたのだと思う。

 

要はさじ加減だと思うのだが、その辺を親子で付き合わせていくのは意外と難しい。

今から受験予備校よろしく勉強に専念すれば、おそらく志望校は目指せると思う。
ただ、それがあまりにも息子には現実的に感じられないし、一方今までと同じように勉強時間を犠牲にしていては、確実に志望校は現実的ではなくなると思う。

いままでと同じではダメだということは息子も承知しているようだが、どの程度変えられるかは本人もわからないと思う。

両立させたいからこその6年間だったが、なかなか思うようにはいっていないのが現状。やっぱり悩ましい。

 

ちなみに部活の先輩は、高三秋で引退した人、高二秋で引退した人、受験結果に大差はなかった。というか、微妙に高三組の方がよかった。

先生は、高三までやることを評価しているが、何しろ学力も要領のよさも集中力にも個人差があるから鵜呑みにするつもりはない。息子にもあなた次第だと言っているし、息子自身もどうするかわからないと言っている。高三までやりきって志望校合格をとれるのは羨ましい限りだが…。

 

 

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これから求められる人材とは〜大学入試改革から考える

息子にも大学受験が年々近づいてくるが、残りの学校生活をどう過ごすかはなかなか悩ましい。

 

こんな記事があった。

『「エリートの条件」が2年後のセンター試験廃止で大きく変わる』(ダイヤモンドオンライン)』

diamond.jp

 

「文部科学省(以下、文科省)では、『学力の三要素を大学入試で評価する』という方針を掲げています。『知識・理論』、『思考力・判断力・表現力』、そして『主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・協働性)』の3つです。これまでの筆記試験では、評価できる領域が『知識・理論』『思考力・判断力・表現力』に留まっていました」

『「エリートの条件」が2年後のセンター試験廃止で大きく変わる』(ダイヤモンドオンライン)』より)

 それに伴い、高校の授業もレクチャー型からアクティブラーニング型に変わっていくだろう。

 

もちろん、どういった入試方法になって、何をしたらその入試に強くなれるのかということは関心事ではあるが、こういった傾向が進めばなおさら、どの大学へ入ったかよりその人が何をしてきたかが大事になってくるような気がする。

 

これまでは1つのことを実直に積み上げる力があり、ストレス耐性もある人材が優秀とされてきましたが、これからはイノベーションが求められる時代です。そのため、新しいことに頭を突っ込んで色々な人と積極的に繋がって、ワイワイ楽しく生きている学生の方が優秀だと定義されるようになる

『「エリートの条件」が2年後のセンター試験廃止で大きく変わる』(ダイヤモンドオンライン)』より)

 

結構問われるもののレベルが高くなってきて厳しいな、と思うが、実際少し前に読んだ本に書いてあったことにも結びついた。

本書についてのインタビュー記事が参考になると思う。

careerhack.en-japan.com

 

インタビューでも書いてあるが、30代以下の世代について語っている。
上の世代は、社会にないものを生み出し、社会を作ってきた、そのことが幸せだったが、若い世代はすでにできあがってしまった社会にいるので、大きな枠組みを変えることができない。そこで、身近な家族や自分の生活などを大事にするようになるという。世代を「乾いている世代」「乾けない世代」と分けている。

 

上の世代と今の世代のモチベーションの違いを理解していないと、価値観やモチベーションの持ち方の違いゆえ不幸が起こります。

「乾けない世代」が自分自身をダメだとおもってしまったり、上の世代が下の世代を理解できず新しい可能性を摘んでしまうことがあります。

『モチベーション革命』より引用)

 

このような前提で、これからの働き方に触れている。

『人間がAIを使うか、AIに人間が使われるか、それすらもまだ分からない』という節があるように、従来評価されてきたやるべきことを真面目にきちんとやるだけの人材はいらなくなるのかもしれない。

AIの進化は予測がつかないと言いつつ、これからの仕事の価値についてこのように言っている。

ひとつだけ確実なことは、いわゆるワークだけの「サラリーマン的な仕事」の価値はどんどん落ちていくだろう、ということです。

『モチベーション革命』より引用)

 

そして、これからの強みとして、自分が何を好むのかという「偏愛」を突き詰めることだという。この辺は解説を省きます。

 

一番印象に残ったのは、『変化を生き抜く3つの選択肢』という節。

じゃあこれからどうしたらいいの? に3つの提案をしている。

ひとつめは、変化していくことをチャンスと捉えて、ずっと最先端を走り続ける生き方。「ライフワークバランス」を極め、ただひたすらに好きなことをやっていく道です。

『モチベーション革命』より引用)

「ライフワークバランス」というのは、仕事と好きがリンクしていて、それこそライフに仕事が溶け込んでいる。ゆえにいつでも仕事のことに考えを巡らせていることができ、それが結果に結びつくという幸せ。

 

 あとふたつは、宮大工のような伝統職でコツコツと働く、ベーシックインカムを享受して、フリーターとして生きること。

あとのふたつはどちらもそう多数の人が目指せるものではない。フリーターには現物支給のベーシックインカム社会としてインドネシアの話を出しているが、著者自身もAIやロボットなどによるベーシックインカム社会の実現など、先々どうなるのかは見えないという。

 

結局現実的に選ばざるを得ないのが、一つ目なのではないかという。

つまり、極端な選択肢を除けば多くの人達にとって、これからは「変化をチャンスと捉え、最先端を走る生き方」にシフトしていかなければならない、ということでもあるのです。

『モチベーション革命』より引用)

 

子どもや自分の将来を見据えて、この先どうなるのだろうと考えていて、実はうすうすそうなんじゃないかとは思っていた。

 

私も夫も技術系で、常にバージョンアップし続けないと成り立たない仕事をしているせいもあるが、息子が以前文系の学者になりたいと話した時に、そもそも興味を持って進んだからといってなれるのか、なれたとしたらどんな仕事をしていくのだろう、と漠然と疑問に思った。そこからこれからの社会がどうなっていくのか、40年後もある仕事ってなんだろうと興味を持った気がする。

 

話を戻すが、ずっと最先端を走るのはかなり大変だ。この節のインパクトは強かった。

ただ、様々なことに興味を持って、一歩踏み込んで学んでほしいと思うし、新しいことをやってできるようになっていくことの楽しみは味わってほしいと思う。

 

ここまでは『モチベーション革命』の第1章、第2章だが、この本はさらに、第3章でチームの作り方、第4章で個人の働き方について述べられていて、どれも面白い。

やはり働くことには人との信頼がベースになってくる。

 

 

本書でも、上に紹介した著者尾原さんのインタビュー記事でも人とのつながりについて語っている。  

社会が向かう先としても「金融資本主義」から「信用資本主義」に変わっていっているということ。岡田斗司夫さんがわかりやすく「信用の世界で上場する」と説明をされていました。つまり「あいつと一緒に仕事すると楽しい」とか「あいつと仕事をすると新しいことができる」と思われた人は“上場”する。放っておいても仕事が寄ってきて、また新しいことができ、新しい仲間ができる。好循環が起こりつづけていく。もちろん全てがトランスオーバーするわけではありませんが、そういったカタチで生きやすくなる人が増えていくのだと思います。

careerhack.en-japan.comより引用)

 

冒頭の入試の話とずれていると思われるかもしれないが、この先10年、20年どうなっていくのかと考えていくと、大学入試は一つの過程にすぎないという思いが強くなる。

 

それは以前読んだ本からも影響を受けている。

昨年読んだのだが、中高生の親向けにいい。
大学に入ってからさてどうしようかでは遅い。
いい大学に入れさえすればよかった時代ではないとすると、中学・高校・大学をどういう心構えで過ごしたらいいか。考えるきっかけになる。

 

さらに最近一気読みした本。

一流大学の大学生でもないのに、いち早く希望の就職を決めてくる。優良企業の採用担当者や、社長までもが、「おたくの大学生が欲しいのですが」とやってくる。自慢ではない。これは事実だ。「できが悪い」とまわりから見られ、やる気も見せなかった二流大学といわれている大学生たちが、一年間、私の講義を受けると、企業がノドから手が出るほど欲しい「人材」に変わるのだ。彼らは、就職試験用の勉強をしたのでも、面接のテクニックを知ったわけでもない。少数精鋭を求める企業側が、「こういう人なら絶対に大丈夫だ」「一緒に仕事がしたい」と思う人間的魅力や価値を身につけ、全身から発散しているからである。彼らがどうやって「自立して生きる力」を身につけ、自分の魅力を磨いていったのか。その記録をご覧いただきたい。

 (『「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか』bookデータベースより)

 

この本の前半の学力もやる気も自信もないと思われる学生達の講義風景に最初に著者がショックを受けるところ、いくつかのエピソードはドラマチックであっという間に読めてしまったが、少なからず大学時代に私が感じた講義と学生の悪循環を思い出した。
学生のやる気が先生のやる気も奪うのかどちらが先かわからないが、とても興味が持てるような講義は少なかった。
7、8年前だろうか、母校の講義をテレビで見て、以前とはずいぶん変わったものだと思っていたが、本書は2006年初版。少しずつ大学側も企業側も求める人材は変わってきたのかもしれない。この本を読んでいると、大学でどれくらい真剣に学ぶ姿勢を身につけさせてくれるか、学生がそれに応えられるかが大きくその後の社会人としてのスタートに影響すると思わされる。

日本の大学も入ってさえしまえば楽、という時代は終わりつつあるのかもしれない。
実際入試も附属校や推薦・AOなど、そもそも学力のバラツキは大きくなりつつあるだろうし、この大学だからこれくらいという指針がなくなりつつあるのじゃないか。 

 

書き始めは、中高6年間の過ごし方について書くつもりだったが、その前段階でその考えのベースになったものだけでお腹いっぱいになってしまった。
次回に続きます。

 

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大学全入時代の考え方〜中学受験をすることに意味はない?

こんな記事があった。

gendai.ismedia.jp

大学「全入」時代に難関私立中学を目指してどうするの?(週刊現代)

 

要点は、もはや大学はそう苦労しなくても入れるのに、なぜ大変な努力をして小学生の子に中学受験をさせるのか。勉強漬けに意味はない。

 

そこで、中学受験の極端な例だけを全面的に出して、「むしろデメリットになる」と言う。

 

そして、入試で問われる能力も変わってきているから、

その学歴はこれから役立たなくなり、むしろ学生自身の主体性や充実した経験が求められる世の中になっていくとすれば、子供につぎ込んできたおカネや時間は、子供と楽しむ趣味やスポーツに費やしたほうが建設的だとさえ思える。 

 (上記記事より引用)

 

という。

 

この記事が中学受験についてしっかり調べて書かれているものとはとても思えないので、まともに受け取る必要もないと思うのだが、多くの無関心層の意見もこうなりがちではないかと思いあえて取り上げた。

 

ちなみに、ここからは都内の話として読んでいただきたい。

 

都立高校で定員割れのために3次募集をするというニュースがあった。

www.yomiuri.co.jp

 

実際に周りで、低倍率のおかげで本人の実力以上のところへ入れたようなことを聞いた。
さらに、その勉強が嫌いな子があまり苦労をせずに入学できた学校の偏差値は平均より上で、進学実績はある特定の大学への推薦が多い。
実際にそこの高校へは、以前知人の子で中学時代不登校を続けた子が入学して、その大学へ推薦合格した話を聞いたことがある。
その子は中学時代はほとんど学校へ行かず、かといって家でも勉強をあまりせず、お母さんは困っていると聞いていたので、高校、さらに大学へも進学できたことを嬉しく思った。

もちろん、受験で苦しんだり、どこにも進学できずに困ることがないのは喜ばしいとは言えるが、一方大学を選ばなければそう苦労して勉強する必要性がない、ということに、不安も感じる。が、それはまたの機会に。

 

そんなわけで都立高校受験はずいぶん様相が変わってきたと感じてきたところだった。

都立高の定員割れは、都が世帯年収760万円以下の家庭の私立高校の授業料の実質無償化を始めたことも影響していると見るが、授業料がかからないなら私立に進ませたいと考えている方がそれなりにいるということではないか。

 

しかも、都内の私立では高校募集をしない学校も多い。

下記記事は昨年のものだが、男子校の3割強、女子校の4割強が高校募集をしない。
これらの男子校や女子校には進学実績の優れた学校も多く名を連ねている。
記事には具体的な学校名が挙げられている。

 

www.asahi.com

 

高校からの募集をしない完全な中高一貫校にした理由の一つには六年間で完結する教育のメリットがある。
実際高校受験がないことで、先取りする優位だけではなく、受験とは距離をおいたカリキュラムをする余裕があるとも言える。
また、それぞれのレベルにあった授業が受けられるのも公立中学校に比べてメリットではないか。

結果、私立の学校の教育方針やカリキュラムに魅力を感じて行かせたいと思えば、高校受験ではなく中学受験をすることになる。

 

冒頭の記事には、私立の学校の魅力について全く触れられておらず、時間とお金の無駄と言い切ってしまっている。

 

確かに中学受験には悲劇もあれば、後悔もある。金銭的負担も少なくない。
だからこそ、覚悟して臨むべきだし、安易に勧める気もない。

ただ、この記事でなんとなく矛盾していると感じられるのは、まさに引用部分の「その受験に費やすお金や時間や労力を趣味やスポーツに費やした方がいい」というあたり。

息子の学校では男子校だがピアノ経験者が半分くらいいるという。部活で運動部に入っている子もとても多い。
周りをみて、むしろトータルでこの記事の言わんとする「人間力」を意識しているのは中学受験をさせた親に多い気がする。
実際、都内に住むためには共働きは当たり前になりつつある。塾に行かせないとして子どもと趣味やスポーツを楽しむ時間的余裕がある親がどの程度いるのだろうか。
そもそも趣味やスポーツというが、それを習い事に丸投げしていれば人間力があがるというわけでもないと思う。
本当に人間力というのなら、一つの習い事だけに特化するのではなく、いろいろな経験をさせるべきだと思うし、その経験の程度も「ちょっと体験してまあ楽しかった」程度でなにものかになる可能性は少ない。

スポーツや楽器をある目標を設定してそこまで自分を律しながら努力ができれば、それは意味があるだろうが、スポーツ漬け、楽器漬けというのであれば、受験勉強漬けと同じ意味での価値と言えないか。

そもそもスポーツも楽器も勉強も決められた与えられたカリキュラムをこなしていればいいのだとしたらそれだけで人間力になるとは思えない。意味は大いにあると思うけれど。 

 

news.livedoor.com

 

ところで、実際冒頭記事の言っている「難関校」は、多くがこの上の記事のように、独特で、むしろ受験にとらわれず中高六年間に様々な経験をする。決して勉強漬けではない。
彼らが勉強漬けなら今までの知識を問う形の入試での進学実績はもっともっと高くなっていたのでは?
そして、じゃあ、そういった勉強漬けの進学校へ行っておけば大学受験をもっと良い結果で終えられたからよかった、と後悔する生徒は少ない気がする。

 

毎年出される東大合格者ランキングしか見ておらず、勝手にこれらのランキング常連の学校が勉強漬けで大学予備校のようなのではないかという思い込みをする方が多いのであればもったいない。

 

数年前まで私は「誰もがそう努力もせずにそんなに簡単に有名大学には入れない」と思っていた。
ただ、今は大学へ入るということは難しくないのだと思う。

しかし、冒頭記事でも書いているように、大学なんて道の途中にすぎない。
東大だろうが私立大学だろうが、その先仕事について、働いていくその過程で強いのは、どういう人材か、自分の子がどんな舞台で能力を発揮できるのか。それが大事であって、目先のランキングや偏差値、有名大学有名企業、コスパ…。
すべて私にはそう重要でない。

 

ただ、気になるのは、ちゃんと食べていけるだけの収入を、まともな生活をして得られるかということ。労働環境が悪かったり、その職場のせいで体や心を壊してしまったり、楽しいけれど収入が自立できるには厳しいものだったりでは難しい。
少し前に読んだ本で、企業も二、三十年で栄枯盛衰があるという。
確かに国際競争力も大きく変わったし、自分たちが学生の頃とは大きく異なる。
これから数年でも大きく変化するのだろうと思う。

だからこそ、大学へ入れるからって人生有望なんて何十年前の話だと思う。企業への就職さえ、これだけ人が減っていればそう難しくないかもしれないが、「どこかに入れれば安泰」だったのは、もう過去のことなんじゃないか。

 

↓学校名などで検索してたどっていけば、どんな学校かが紹介されている本は難関校ほど多い。読んでいないものもあるので、内容の保障はしません。難関校に限らずこういった本があるといいのに。個人的には難関校じゃなくたっていい学校はかなりあると思う。

 

 

 

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進路を考える〜大学受験学部選び

先日、息子に誘われて、憲法学者の木村草太さんのブックトークを聞きに行きました。
テレビでお見かけすることもあり、今は毎日小学生新聞に連載もされている木村氏。
生で見ても端正なお顔立ちでした。
憲法学は、息子が少し前に興味を持っていたのですが、まだまだいろいろな進路を知らないなか、視点を広げてみようと、いまだ法学部受験に決めているというわけではありません。

 

ただ、実際の人の話を聞くことはなんらか刺激になるのではと思いました。
内容は憲法の教科書的なものばかりではなく、木村さんが好きなマンガやライトノベルなどにも触れていました。法律というと堅くて理解しにくいけれど、実際の生活に法律は密接に関わっている。ストーリーから改めて考えるということをおすすめされていました。

こちらは、あらゆる虐待や保育、学校、その他制度など子どもを取り巻く問題についていろいろな方が書いています。

 

↑こちらは紹介された本ではありませんが、個人的にはこちらが面白そう。社会人になってから、大学時代もっと学んでおけばよかったと考え「ジセダイ教官」4人に話を聞きに行くという学問入門書だそう。

 

そろそろ理系か文系かははっきりしなければいけないのですが、大学受験より先のことを考えると、安易に興味のある学部でいいとも思えません。

大学が就職予備校化すればいいとは全く思いませんが、技術系で進もうとすれば、資格取得など学部と切っても切り離せません。

 

そんなところでこんなサイトを見つけました。

www.eibi-navi.com

 

10分くらいでテスト終了です。
質問に5段階で答えるよくあるタイプ。

 

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息子の適性グラフ。「法」は性格も能力適性も同じくらい。あと、興味のある「ハイテク(工学)」もまあまあ高いが、以前興味を持っていた「文化・語学」は低め。「スポーツ」高いんだけどなんでだろう? あまりこのグラフの細かい解説はありません。

教育の適性低!

 

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性格は、問題の性質上、答えた通りに出ています。勤勉性低いのがあたりすぎ。
外向性すご!

 

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これまた極端に育成力がない。マイペースに自分でなんでもやってしまうところがまさにこれなんだと思います。生徒会らしく、企画力などは高い。

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こんな風に適した系統が出てきます。

実は国際系は昨年くらいに希望していました。まあ、そこまで語学スペック身につかなそう(勤勉さの不足)だからあまりおすすめとは思えないのですが、性格的にはあっているのかなぁ。

 

 

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こちらは私。私も「教育」が低い。やはり「勤勉さ」が関係するのかしら。私は文化・語学・人間系学部学科でしたが、やはりあっていなかったなぁ。学部テキトーに選んだ(大学によりバラバラ)ので仕方ないですね。

 

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私は協調性と情緒安定性が高く、管理力が高かったので、まさかの生命・医療系が向いているらしいと。個人的にはうっかりが多いのでこういう仕事はとてもできないです。
職種は全く違うけれど、人の話を聞き適切に提案、などは、今の仕事とかぶっています。

 

好きなことと、将来を見据えた適性もまた少し違うような気がします。
勤勉性低いので(私も低めでした!)、法学部はどうなのかなあと思ったりもしますが。

アドバイスはするけれど、決めるのは本人。こういうのを受けてみて、信ぴょう性はともかくとして、自分を俯瞰してみるのは何がやりたいか、何が向いているかを考えるのにいいきっかけになるのではないでしょうか。

高校生向け進路指南〜幅広い選択肢から自分に合うものはどれか

『高1からの進路教室』は、高校一年生に向けて進路全般を書いた本です。

「進路を自分の意志で決めているか」という章から始まり、まずはおおまかな進路について考えるきっかけを与えてくれます。

専門的な仕事に必要な資格取得などを考えて進路を選んだ人には中退者が少ないそう。

取りあえずで進路を選んではいけないと言っています。

「偏差値やブランドに踊らされない進学選び」では、冷静に進路を見つめるようにと言うメッセージがあり、高卒の進路を説明しています。

 

その後、大学、短大、専門学校、その他教育機関について概要をそれぞれの章で説明し、最後に将来の産業について、目を向けさせます。

 

高校生向けだけあって、平易な言葉で、基本からそれなりに詳しいところまで丁寧に紹介されている印象です。特にこれといった目標もない高校生には全体的に参考になるでしょう。

 

そういう意味では進路を考える第一歩としてはとてもいい本ですが、だからこそ、中学生で読んでおきたいな、と思います。

なぜなら、すでに高校に入る時点である程度の線引きはしている人が多いからです。

 

例えば高校を被服や工業など技術系に進む、高専に進むという時点で、すでに数ある進路のひとつへ進んでいます。

また、進学校かそうでないかで、ある程度その後の受験は決まってきます。

内容は中学生でも十分読めるようになっています。

なんとなく学校の成績で入れる高校へ行き、その高校の一番多い進路を選ぶなんて、もったいない!

 

この本は2013年に出版されたものですが、この先の展望や大学の入試改革などにも多少ですが触れています。

これからどんな仕事が成長していくだろう、そういう中で自分はどこにいけばいいだろうということを考えるには、高校に入ってからではちょっと忙しい気がします。

 

全体を見渡す本なので、個人的にはそう参考になったところは少ないのですが、むしろあまり普段子どもの進路などに無頓着であり、子どもも特段勉強が好きではない、といった人には、大学へ行かなくても様々な進路があるということを知るには有用です。

 

奨学金を借りて大学へ行く人が半数近くいるという昨今。

無理をしてまで四年制大学でなくても、もっと堅実な選択肢がいろいろあることを知りました。

公共職業能力開発施設として、

職業能力開発校(六ヶ月・一年間)

職業能力開発短期大学校(六ヶ月・一年間・二年間)

職業能力開発大学校(二年間・四年間)

があります。

www.uitec.jeed.or.jp

 

職業能力開発総合大学校(東京)の総合過程のみ、卒業生に大卒と同じ学士の学位が授与されるそうです。

授業料免除制度などあるところもあり、金銭面の不安がある人にも考えられる進路の一つでしょう。

 

さらに、大学などの夜間学部も紹介されています。
そういえば自分の身近でも仕事をしながら夜間大学に通っていた人は何人か知っています。

現在減りつつある夜間大学ですが、目的意識を持ってやる気のある社会人学生などもいて、刺激になるという見方も。また、学費も安いそうです。

www.toyo.ac.jp

www.toyo.ac.jp

 

東京理科大学工学部第二部

 

奨学金を借りて昼間に通うか、夜間に行くか、考える余地はありそうです。

 

さらに省庁大学校についても。

こちらは学費がかからないうえ、それぞれの省庁の職員として採用されるために、給与や賞与を受けながら学ぶことができます。

www.mod.go.jp

 

防衛医科大学校

国家試験に受かって、卒業後9年間は自衛隊病院や医官として部隊で働けば、授業料が無料になるそうです。

 

www.mc-jma.go.jp

気象大学校は卒業後は学士の学位が授与されるそうです。

 

海上保安大学校

海上保安大学校は広島の呉にあるそうです。

こちらも学士の学位が授与されます。

 

航空保安大学校トップページ

航空保安大学校は国土交通省の職員となります。

航空管制官などの基礎研修などがあるそう。

 

防衛大学校は知っていましたが、他にもいろいろあって見ると興味深いですね。

航空とか気象とか、興味があったらかなり自分の興味に向けての進路がひらけると思います。

 

やはり、情報は大事ですね。
経済的に…とか、普通に企業を回って就活しても興味のある業界かどうか…などといった悩みも、単に進学をあきらめるとか奨学金を借りる、職種にこだわるのはやめる以外にも方法はあるかもしれません。

 

本書のような情報も考え方について、中学生のうちに教えてほしいです。

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 ↓以前企業のつくる学校について取り上げました。

vt-maguna.hatenablog.com

 

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