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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

独学の才能を育てるのに受験勉強をうまく使う

社会に出れば多くの方には勉強が必要なのではないでしょうか?

商売しかり、医療従事者しかり。IT系技術者などは、ここまでできたらあとは同じ作業の繰り返し、ということはほとんどなく、常に新しい技術を学ばなくては、仕事は発展しないでしょう。
勉強とはとかく、小さい頃には没頭すると「やりすぎ」なんて揶揄されがちですが、生きるために大切な力です。
大人になってからの方がむしろ勉強の必要性を感じることが多くなりました。

 

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学校に行けばよいわけではない 

先月NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でサイバーセキュリティの第一人者と言われる名和利男さんを取り上げた回の再放送がありました。

www.nhk.or.jp


この方は高卒で自衛隊に入隊したという異色の経歴で、自衛隊在籍時にサイバー部隊に配属されてこの仕事に関わることになったようですが、膨大な技術的な知識を独学で学んだそうです。
いまでも日々情報収集に余念がない様子を見ていると、「学歴がないから」「こういう環境だから」と言い訳はできないな、と強く思いました。
誰だって最初は初心者ですから。

 

大学在学時と産後に専門学校で合わせて2年弱くらい学んだことがありますが、特に産後の復帰と自分のスキルアップのために通ったとき、周りの受け身な態度にちょっと驚きました。
実際に仕事として使えるレベルにしよう、という心構えのある人が少ない。
講座自体も3ヶ月毎日ありましたが、「これ、本を読めばできるじゃない」というようなことを「はい、つぎはこのフォルダー開いてください」なんてやっていて、自分でやるより(自分ならとばしてみてしまうところで)何倍か時間がかかる。
環境が用意され、質問もできる環境にあるのに、それを最大限生かしている人がいない。だけれども、三ヶ月やった、ということでそれなりに本人のやった感はあるのでしょう。実際すぐに仕事に取り入れられたもしくは就職した方はほとんどいませんでした。

英会話にしろ短期留学にしろ、転々と習い事を変える友達を見て「お金捨ててるんじゃない?」と思ったことはいままでもありました。
先日も仕事の知人が専門学校に通うことにしたと話していて、「どれくらいで仕事できるようになる?」と聞かれましたが、すでに私自身も学校に通ったときから10年以上独学で学んだことが9割くらいとなっているので、なんとも言えないなと思いました。
別の仕事関係の方と「まあ、本人次第だよね」と話をしました。

まずは子どもに将来の展望を持たせる

どうしたら自ら学べるのでしょう。
親が子どもの意見を無視して、塾もカリキュラムもすべてを考えて押し付けても、学ぶ力はつかないような気がします。
小学生のうちはまだまだ親のいうことを聞いてくれますが、中学生くらいになると親のいうことがすべて正しいわけではないとうすうすわかってくるのです。
反抗期の子どもを勉強の道に向かわせるには、塾などの強制的な施設を利用することもひとつですが、長い目でみて効果的なのは子ども自身が先のことまで考えて生きていけるように導くことでしょう。


そのために、仕事のことがわかるようなテレビを見る、大学などの学園祭に行く、施設公開に行く、などは大事かと思います。特に男の子でしたら多くの子が宇宙や乗り物、恐竜など理科的なものに興味を持ちますよね。

 

たとえばこんなイベントはいかがでしょうか?

www.isas.jaxa.jp

 

まず科学をきっかけに大学に興味を持つことで、どんな風に大学にいけるのか、それにはどうしたらいいのかを話し合うきっかけができます。

小さい頃の習い事って、なんとなく楽器が弾けたら、スポーツができたら、字がうまかったら、って今現在からせいぜい小学生の間のことだけ考えてしまいがちですが、意外と時間は短いです。
ぜひ、将来のことを考えるような機会を作ってください。

 

私事ですが、自分にとって大学受験を独学でチャレンジしたことは、勉強をすることに苦手意識がなくなったということと、「これくらいやればこれくらいできるであろう」という自分の能力について見当が付けられるようになりました。

 

何の考えもなく親のいうことを聞いているだけの子どもでは、一時的な成績はあがるかもしれませんが、自分で道を選んだり成績をあげるための努力をすることが難しいかと思います。

中学受験をするとすれば、なぜするのか、そのあと6年間をどうするか考えたほうがよいと思います。
高校受験をするのであれば、学校選びはより一層将来に影響するので、「入れる学校」ではなく、目的ありきでそこに「入れる力をつける」のが大事だと思います。

 

長時間勉強する能力

中学受験は、小学校でやる勉強の範囲を超えているので、一部の高校受験以上に勉強時間をそれなりに必要とします。
小さい頃から机に座る習慣をつけることで、その後の長時間の勉強に備えられると思います。よく一般的には学年×10分などといいますが、中学受験を目指すのであれば、小さい頃からそれなりに集中できるような工夫を凝らしたものを、1時間くらいはできてもいいのではないでしょうか。
小学校のとき勉強する習慣がない子は、中学以降に勉強する時間も概して少なくなりがちで、中学受験で長時間座っていられる子との差は開いていくような気がします。
小学生が5〜6時間以上勉強をするということの是非はともかく、それだけやっていられる子がいることを知っておくことも必要かと思います。

独学できるために

小学生のときから、親が教えるのは「勉強法」かと思います。
親も目の前の宿題を終えることだけを考えず、できるようになるのに必要なことをいままでの塾講師家庭教師の経験も踏まえて考えてみました。

◎必ず必要なこと

丸つけ/見直し/暗記等定着させること

中学生になってもできていない子は多いです。

《やったからいいでしょ》

課題となった宿題をやるだけやって丸つけも見直しもしないで提出して「やった気になっている」。

これでは学校の成績(内申?)としてはポイントがついても、なにもできるようにはなっていないということを子どもはわかっていません。

単語をやってきてね、というと、「やってきました」といってできない。でもやった。というのです。
最終的には得点できるように仕上げてくるのが「やってくること」です。
それは個人個人で何回書けば良いか、読むだけでもよいのかは違うので、自分で測ってきてください、と話します。

もちろんどういう風にやればよいかは細かく説明しますが、そのうえでそれをどの程度時間かけてやるかは本当に人によって大きく異なるので、小学校のように一律10回書いてきて、というわけにはいきません。
それこそ、自分オリジナルでいけるからこその「独学」なのです。

また、「課題をやった」ということだけで満足する子も多いです。
小学校の宿題がとりあえずやって出す、というものが多いことの影響なのでしょうか。なかには「やってきたけどなくした」とかあきらかに答をうつしたのが分かる子がいます。

「なくしたならやっていないのと同じ。見直しができないから勉強にならないのでもう一度やろう。もう一度解くくらいたいした手間ではないし、むしろ前より早くできるようになっていいよ。」
「私は成績はつけないので、やってきたということだけで評価はしません。答をうつすくらいなら遊んでいなさい。実力が変わらないならそのほうがあなたも楽しいはず(それくらい意味のないこと)。」
と話します。

いけないのは、答をうつしているのに提出を果たしたことで、本人のなかではやった気になっていること。
それなら遊び呆けてさぼって怒られるほうが、自分のなかでも「これではダメだ」と意識する日がくるかもしれないし、なにより指導者にも「やっていない」と事実がつたわるので、意味があるのです。

 

いまもやる気がない子に、これだけやりなさいではなく、どれだけやってくる?と聞くようにしています。わからなそうなときにはちょっとやってみてこれ1pで何分くらいだね、と目安を示します。

意外とのっている時にはたくさんやってくるといいます。

たくさんやれば早く次に行けるし、きついと思ったらそこまでしなくてもよい、テストに間に合わせるならこんな感じでやっていくとこうなるよというのは確認させるようにしています。

いったのにできないことは責めません。むしろたくさんやってくると言ったときに「やる気あるね」と話します。あまり責めると逆にできないことを恐れて最初からやると言わなくなるので。

《どんどん間違えよう》

もうひとつ、よく話すことがあります。

間違いを恐れないこと

「今日はそこまでできそうもないからチェックテストはやりたくない」という子が多い。
どうしても小学校などのテストで点数をとるということにつなげて考えて、高得点がとれないのはよくないと思っている様子。

でも自主学習では成績はつけないので、いつでも「できないところ」を確認することにはそれなりに意味がある。

もちろんなにもやっていなくて0点になりそうな場合にはテストをやることに意味がありませんが、じゃあ、いつになったらできるのか、というとなかなかやってくるわけではない。
できないことが悪いのではなく、できないからこそ、そこを確認してできるようにすることこそ勉強だと教えます。

でも、なかなか一度言ったくらいでは、この間違いを恐れる癖は治りません。
この時に点数をつけている親御さんも「まだできないの?」とか「こんなこともわからないの?」といったことを言わないようにしましょう。
子どもは大人が思う以上にできなかったことを恥ずかしいとか嫌なことだとおもっているので、どちらかというとやる気をなくす子のほうが多いと思います。
厳しく上記のようなセリフを言って奮起するのは相当ハイレベルの負けず嫌いの子に限ると思います。

息子で苦労したのは、間違えたところに赤丸印をつけさせることです。
こちらとしては、できたところを排除して復習を減らすためにつけているのですが、間違いを認めたくないようで、なかなか自分では丸印をつけてくれませんでした。「印をつけないなら復習のときも全部の問題を解き直さなくてはいけないよ。」と話します。
面倒臭がりのほうが要領よく勉強できると聞きます。
「なるべくやりたくなかったら、できないところをはっきりさせようよ。」と話します。

それから、答が短いものではなく記述のようなときでも恐れず書くことをたくさんできることのほうが価値があると教えたほうが、長い目で見て勉強は得意になると思います。スポーツだってそうですよね。できないことを恥ずかしがって「食わず嫌い」をしている人は上達する機会を逸してしまいます。

時間を計る癖をつける

これもなかなか息子に定着せずに困るのですが、時間を計ることは計画をたてることと、計画通りに進められることの両方に大事です。
塾は時間が決まっていてその時間でこれだけやるというのはできるできないに関わらず変えられません。
だからこそ年間スケジュール通りに進みます。
家庭だといくらでも時間をかけてしまえる。結果、全然スケジュール通りに進まない。また、時間を計っていると自然と急いでやるので、ダラダラと解いているより何倍も効率が良い。
実際10分以上一つの問題にかかりきりなんて、そんなに集中力は続きませんし、よほどの難問でもない限りはぼーっと「考えているふり」か「思考の堂々巡り」になっています。

時間をはかれば目標時間が自分に合っていたかどうかの反省にもなり、その後のスケジュールも変えていけば、自分にとっていちばんやりやすい計画がたてられるということになります。

スケジュール専用ノートは作っています。
やった、やらないもこのノートに書いてあればあとから振り返ることができます。
息子はなかなかきちんと書かないみたいですが。

勉強法などについてはNHK Eテレの「テストの花道」などでもよく取り上げていて面白いです。

www6.nhk.or.jp

要領のよさも子ども次第

要領のよさも周りを見ていると、個人差が大きいです。
「ここは大事」とか「この単語はすぐ覚えて」と言ってもなかなかメモをとる子はいないので、どうしても書いたほうがというときは指示をしますが、以前、書いてと言わないことも自分で判断してコピー用紙にどんどん書いて、言っているそばから机に貼っていく子がいました。
自然と身についている子もなかにはいますが、大概はこういうふうにするといいと教えていくしかないような気がします。

ただ、子どもたちを見ていて、「要領のよい子」「負けず嫌いな子」ばかりが必ずしもいいとは思いません。
確かに勉強の才能はありますが、そういったところのない子の方が、損得に関係なく自分の大切にするべきものをもっていたりもするものです。
親としてはもどかしいですが、そういった本人のよさは見失わないでほしいと思います。

役に立つか立たないかだけを考えると日本人の知的レベルは相当下がっていく

最近文学部不要論とか、役に立たない研究などについて話題になりますが、役に立つかどうかだけで考えたら、随分薄っぺらい人間ばかりになってしまうのではないでしょうか?

すでに今でも昔に比べて随分簡単なものしか受け入れられなくなっているような気がします(特に高学歴と言われる人の間で)。

『遊』のような雑誌っていまはなかなかありませんよね。

totodo.jp



私も人のことは言えないのですが、教養は人間の幅を広めるという意味では必要かと思います。
全員に必要とは思いませんが、せめて国をひっぱっていくリーダーたる人々には教養をもっていてもらいたいな、と思うのです。

 

www.j-cast.com

 

toyokeizai.net

ホリエモンが文学部いらないんじゃない? と言っていたけれど、上記立花氏などとは論点が異なるような。
私も大学の授業のあり方には疑問がありました。
ホリエモンは自分で学べばいい、と言っていますが、要するに大学に通ってまで学ぶ価値のある授業をしていないだろう、ということかと。

今の大学はどうなのだろうか。

web.aiu.ac.jp

 

ひところ国際教養大学などが話題になっていましたが、そのやり方は新しいと当時は思いましたが、なんとも大学は就職予備校になってしまうのかしら。
詳しくないのであまり書けませんが、以前テレビで特集されていたのを見た感想だと、職場ですぐに使える英語の達人を養成している学校のような印象を受けました。確かにそのやり方は凄まじくて、とても遊んでいる暇などないようでした。
以前も書きましたが、英語はただの手段であって学問ではない(読める、書ける、喋れるということに焦点を絞れば)ので、学問をしない学生が評価されるってのもなんか矛盾を感じるのです。

 

いまでは似たような学部も他大学に広がっているようですね。そこには、就職してからゆっくり育てるという会社の文化も廃れてきたのも影響するのかもしれませんが、大学の4年間こそ、役に立たないかもしれないことにじっくり取り組める時間として過ごしてもいいのではないでしょうか。

 

働くことってマニュアルだけではないと思うのです。使いこなせる人だけが必要なのではない。生み出すことが大事なのでは?
いろいろな学びがある人が集まるからこそ新しいものが生まれるのではないでしょうか。

うわっつらだけであれば、すぐに目新しいものが出てきて古いものは「オワコン」と切り捨てられる。最近のそういう風潮にとても違和感を感じます。

 

話が広がり過ぎてしまいました。
そういう私も、なんだか受験勉強の役に立たなそうな辞書をよみふけっている息子に「そんなことやる前に英語でもやりなさい」

とついつい言ってしまうのです。

 

私、矛盾に満ちている。これはやはり自戒ブログなのだろうな。

 

 

↓読んでみたい本

1974年の雑誌連載が元となっている。

ごく一般的にいって、学問の業績というのは、学歴だの学位だのをその背景にしている。いい大学で教育をうけ、研究をつづけ、その結果として業績があがる。いや、そんなふうに努力しても、ほんとうに独創的なしごとをのこす学者はすくない。(『独学のすすめ―現代教育考―』15-16頁)
 (中略)
 学問をするためには、学校に行かなければならない、というのはひとつの常識である。だが、ジェインの本を読みながら、わたしはこの「常識」は、ひょっとすると、とんでもないまちがいなのではあるまいか、と思った。なるほど、学校というのは、いろんなことを勉強するのに便利なようにできあがっている。(中略)しかし、学校というのは勉強のための場のひとつであるにすぎない。ほんとうに勉強しようとする人間は、「独学」でちゃんとやってゆける。(『独学のすすめ―現代教育考―』16頁)
 (中略)
 ことわっておくが、わたしは学校というものにケチをつけているわけではない。いろいろ問題はあるけれども、学問をするために学校というのは便利な施設である。そのことは疑う余地はない。行けるものなら学校に行ったほうがいいだろう。なにも、ひねくれるにおよばない。
 しかし、学校に行けないから、あるいは行かなかったから勉強ができない、あるいはできなかった、という人がいるとしたら、それはまちがいだ。勉強というものは、ひとりでもちゃんとできるようになっているのである。(『独学のすすめ―現代教育考―』18頁)
 (中略)
 じっさい、かんがえようによっては、学校というものは、「独学」では勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ、といえないこともあるまい。一般的には、学校に行けないから、やむをえず独学で勉強するのだ、というふうにかんがえられているが、わたしのみるところでは、話はしばしば逆なのである。すなわち、独学できっちりと学問のできない人間が、やむをえず、学校に行って教育をうけているのだ。学校は、いわば脱落者救済施設のようなもので、独学で立ってゆけるだけのつよい精神をもっている人間は、ほんとうは学校に行かなくたって、ちゃんとやってゆけるものなのである。(『独学のすすめ―現代教育考―』20頁)
 (中略)
 「教育」とは、一生つづくものであり、その大部分は「独学」によるものだ、ということを、このさい、かんがえなおしておきたい。(『独学のすすめ―現代教育考―』21頁)

 

これを読んでからブログを書いたわけではないのですが、まさに共感の嵐です。
引用だけ読んでもわくわくします。

 

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