いろいろな子の勉強を見ていて思うのが、「言われたことをやること」は意識するのですが、自分で考えて動く力が少ない、ということです。
そう思われることにこんな行動があります。
- 宿題のプリントを出してもなくしたけれど「やりました」という。
- 教材を持ってこない。
- 宿題範囲をテストをしようとすると、「あまりやっていないからできないかもしれない」という。
- 単語を覚えるように言っても、「10回書きました」といって完成度が低い。
- 宿題を全部できたかできないかにこだわる。→今日は宿題が終わらないから休みます、などという。
教材を持ってこなけりゃ今日は何をするつもりか?
やったことが重要ではない。間違えを確認して復習まですることが大事。
無くしたならもう一度やりなさい、というと、「えー!」という。
「もう一度やることは損ではないよ。前より早くできるようになっているかもよ。それに無いのでは復習できないしどこができないのかあなたも私もわからないから、やった時間が却ってもったいないよ。」
と言います。ひとつにはなくしたのを言い訳にしてほしくないという予防線でもあるのですが。
単語を覚えるのにいい回数は人によって違うし、連続して書いても覚えないことは話してありますが、なかなかそれよりも10回書いてくる方が楽でやった感が見せられるということなのか、身についていない。だから身についていないことを証明してしまうテストはしたくない。
「私はあなたの成績をつけるわけじゃないよ。だからやってないことはそんなに気にしなくていい。大事なのは、あなたができるようになること。やらなければそれだけできるようにならない、というだけです。」
と言います。ちょっと突き放した言い方かもしれないけれど、そこを理解しない限り、ただ「やってきなさい」といって守るほど中学生は素直じゃなくなっているのです。
(もちろん素直で真面目な中学生もいらっしゃるでしょうけれど。多くの子はそうでもないです。)
これらって中学生には普通のことです。
そう思うので、あきれることはありません。またか、と思うのです。
でも、本当は小学校での教育の仕方に少し原因はないかと思ってしまいます。
自分でなんで今自分は塾にきているのかを「成績を上げるため」と思ってきている子は少ないです。
ただ、親と相談して「勉強ハシタホウガイイ。ソノタメニ塾ニイク。」といった表面的な理解できている子が多い。
だから、今日は何を覚えられるかな、なんて期待してくる子はいない。
ただ、こなきゃいけないから来ている。
ここで、最近、随分前に読んだ本を思い出しました。
学力テストで全国1位になる秋田県でやっている家庭学習の提出したノートがたくさん載っている本です。
残念ながら数年前で手元にないので、記事の細かいところは覚えていませんが、個人個人で何をするか課題を決めて取り組むというものです。
ここで個人でなにをするか、考えるでしょう。
これが大事なような気がします。
もちろん中には必ずしも学校の勉強とリンクしないものがあったりもします。
でも、独創的なものであればあるほど、明日はなにをテーマにしようと考える機会も多いでしょうし、漢字が苦手だから漢字をコツコツやろう、と自分の苦手に向き合うことも多いと思うのです。
その効果が思いの外大きいのではないでしょうか?
私は以前はわりと真面目な女の子の生徒が多かったので、淡々と指示していましたが、上のリストのようなことを顕著にやる子をみてから、「なにからやる?」とか、「宿題はなにをしたらいいと思う? テストまであとこれくらいだけど。」と言って考えさせるようになりました。
あまり素直でない子に無理やり押さえつけてやらせようと思っても、私は家まで監視できないし、実際親御さんもコントロールすることができません。結局本人がその気になるしかないのです。そういう風に聞くと意外ときちんと考えて答える子が多いのですが(足りないものは私がフォローしつつですが)、なかには一言も発せられない子がいてちょっとショックでした。
勉強はある教科が突出して得意。苦手教科を見ているのですが、初回でなにをさせるかを聞いたわけではなく、ひととおりこれをやったほうがいい、などといろいろな課題を出してきたあとのことでした。それでもいつもやっているものでいい、とすら言えない。
実はそのお子さんはすごいスパルタでいろいろやらされていたお子さんでした。
夏休みの宿題やら書き初めやらをすごい完成度で持ってくるのですが、親御さんに聞くと泣きながら何日もかけて書き直しをさせた、書道のはらいだけで100個くらい練習させた、と言っていて、かなりみなさんドン引きしていましたが、私は何よりそれを黙って従うお子さんが信じられませんでした。
うちの息子などなにもスルーで、少し口出そうものならすぐにストライキ状態に入ってしまう。楽しく一緒にやる以外に選択肢がないのです。
それで、話をすると勉強はできるのですが恐ろしく幼稚なのです。
それが本人の持って生まれた性質なのか、スパルタの結果なのか、おそらく両方なのでしょう。
実際そのお子さんのしたの子は親御さんのいうことを聞かないので却って勉強をせず大変だと聞いています。それがよくある反応なのかなと思います。
学校の宿題も県によって違うのかもしれませんが、息子の学校では通り一遍のドリルなどが多かったし、出したら終わりでした。
ここの「できるようになったかどうか」より「提出したかどうか」にばかり焦点が当てられているような気がするのです。
確かに先生も大勢の子の課題をきめ細かに見ていくことは難しいと思います。
けれども、このまま大人になれば、指示待ちの人になってしまいます。
また、自分で考えられると、なにをすべきかわかってくるので独学が進みます。
そうはいってもなかなか自分で考えさせるのは大変です。
話をしても、息子はなんでも考えているとは言い難いので。
気長にやっていくしかないのかなー。