悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

これから一層オールラウンダーが求められるのか

いつも参考にさせていただいているブログで、数回内申についての話題があり、改めて公立についていろいろ考えさせられました。

 

www.juku-nashi.com

 

息子が小さい頃に公立中高一貫校の一校目ができました。
私が卒業した都立高校はそれまでに随分凋落していて、都立側もこれではいけないという思いもあったのでしょう。

公立でありながら、中高一貫で特別な教育環境に身をおけるのは素晴らしいな、どちらかというと、中学で上がいることを知らずに遊んで過ごして高校へ入ってから痛い目を見た私のようなものは、中学の比較的ゆるいカリキュラムをもう少し早めに終えて、じっくり高校課程の勉強に時間をかけたほうがいいと思うのです。


いまやほぼ高校は全員が進学するのであれば、いまの中高のカリキュラムの分け方は考え直したほうがいい。そう思っていたので、大変憧れました。

自分は大学を一般受験したので、息子にも受験はチャレンジしてほしい、それが経済的負担が軽くてできるなら嬉しい。

 

しかし、日に日に成長していく息子を見て、割と早い時期に公立中高一貫校や都立高校の道は諦めました。

 

おそらく主要教科については優れている、けれども実技系の科目がまあぱっとしない。悪いというほどでもないけど、主要教科と比べてバランスが悪い。
すべてを均してしまうと学校のレベルはおそらく落とさなくてはならない。落としたところで本人が学力的に満足のいくところではなさそう。

 

そんな感じでした。
私の頃は学区があったので、いまの都立高のレベル分布とはまた大きく違うのですが、学区トップ校にいたけれども、秀才や優等生が大変多い印象。
結果いまの息子の学校の生徒たちの雰囲気とはかなり違いました。
元のレベルが違うのはもちろんですが、目を見張る突出した才能もあまりなければ、ユニークな子も少ない(逆にユニークな子は同じ学区の他に流れがちだったので、余計そうなのかもしれません)
勉強ができるかで判断されるいわゆる進学校。個人的には私もどちらかというとオールラウンダー。あまり才能という面では面白みのない人間です。
常に、勉強で勝負する進学校に行くのに、なんで体育(音楽・家庭科・美術)ができなきゃいけないの? とは思っていたけれども。

 

スペシャリストはだんだん不要になる?

話はすこしそれるのですが、今年の冬にこんなイベントを見にいきました。

祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ

誰でも一度は祖父江氏の装丁の本を目にしたことがあるのではないでしょうか?

以前からデザイン誌などで、特殊印刷の技術などを披露していたりして、大変興味深かったのですが、今回初めて祖父江氏の組版指定をかなりの数見ることができました。

想像以上に鬼指定で仰天して、すべての指定を読んでしまいました。

連載『嘘じゃない、フォントの話』(supported by モリサワ) 第11回目 ブックデザイナー祖父江慎インタビュー P1 - コラム : CINRA.NET

 

こちらでも一部はなされているのですが、一文字だけ倍率を変えるとか、中黒のつけ方はこうする、文字によっては平体や長体をかけて横長縦長に微調整したりと、もうやりたい放題なのです。組版の指定にかける時間が膨大すぎて、これを再現するオペレーターの方には絶対なりたくない!! と思ってしまいました。

そして、これぞ、プロ! 誰もできないことをやっているのだなぁと思うのです。
その妥協のなさに職人魂を感じるのです。

 

翻って、いまは書籍でも印刷物全般はDTPになり、印刷自体もコピーより安いのじゃないか。技術もデフレ化していて、
「機械があればなんでもできる。形になれば安い方がいいんじゃない?」。

 

印刷会社がDTPにどんどん対応するようになってきてから、組版の汚い雑誌を多く目にするようになりました。そして、そのうちメジャーな一般誌でも校正やってないんじゃん! とびっくりするような誤植が満載の物が出てきたり。

でも安いんだからいいんじゃん? 一文字ごとに指定をリセットしてたら、一行何分かかるのよ。

 

私が学生のアルバイト時代には、一日かけてレンタルフォトの店を5、6箇所回って借りたポジを返すだけに費やしたこともありました。そしてカラーポジ一点3万円とかじゃなかったか(使用サイズによりますが)。

 

なんともせわしなく、便利だけれどもすべてがうすっぺらくなってきた感じは否めないです。
そしてそんなため息をつきつつも、私はITなどの恩恵をうけて、何から何まで首を突っ込んでやっています。
「これって私の担当分野ではなかったんですけど、私がやっていいんですかね?」

つい最近もそんな話をしました。
もうそのうち写真や動画まで撮っちゃうんじゃないの? てな勢いで。
好きだった組版についてもあまり気にしなくなってしまいました。

 

私はないものねだりで、天才やオタクの作品にしびれるのです。
でも、一般的には(大多数の人にとっては)そういう時代じゃないのでしょうか。
もちろんある分野ではスペシャリストが欠かせないけれども、多くの職業は技術によって「誰でもできる」ものになってしまった。
そうなるとそこをうまく使いこなせるという能力が問われるわけであって、何か一つすごいんだけど、自分の興味外のことには全く関心を示さないようなタイプはあまり生き残れないのかもしれないですね。

それで、下記記事でも書きましたが、真のエリートはペーパーテストだけで計れないから東大の推薦入試もありなのかな、と思いました。 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

ただ、高校入試の内申などで問われるレベルって、せいぜい生徒会とか部活でちょっと頑張ったとかですよね。(推薦ではありませんよ! あくまで一般生の内申の加点として)
内申の為にやろうという要領のいい子なら簡単にできそう。
それは受験を第一義とする進学校への評価に組み込む必要はないのじゃないかなー。
所詮東大の推薦入試とは違う、と思ってしまうのです。
また、各中学の先生が個人的に判断しているわけで、(小学校の成績だって、なんだかよくわからない評価ってありませんでしたか?) そういう意味では推薦のように同じ学校の先生たちがすべての生徒を判断するわけではないということで、公平性には欠けると思うのです。


ですから、jukunashiさんのブログで言われているように、内申点は推薦入試だけでいいのじゃないか、逆に内申を取り入れていることで、5教科の優秀な人材が私立に逃げていると思うのですよね(というか、うちの子みたいのも公立で満足に授業受けさせたい!!)。

公立中学に言いたいことは山ほどありますが。もういくつか言ってるし。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

とはいえ、いまの息子の環境は公立高校では得られない独自のもの(それはそれぞれの私立に言えると思いますが)なので、まあ、結果オーライでしょうか。

 

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おまけ

school-post.com

クラクラしてきました。人質か。
わかる、わかるよ、しょーもない子は授業もきかない、態度悪い。
そしてそーいう子を抑えられない先生たち(体罰できないもんね)。
そしてそのせいで授業が進まなくて困るわーと怒る保護者。
こうするしかないのですよね。


まあ、いかにも表面的な脅しでその場限り(中学生の間)穏便にやってくれよ、というメッセージ。

 

「やってこないならこないで結構。課題にした意味をよく考えて必要だと思ったらやりなさい。」

「授業をきかないなら、きかないでいい。それはあなただけに返ってくる。先生には痛くもかゆくもない。」

 

そういう先生はいないのかなー(もちろん一度で切り捨てるのではない。罰を与えない代わりに考えさせるということです)。

何も考えずに根本が「内申のため」に割り切って演じる。それでそのまま大人になるから何も本質的なことを考えないんじゃないの!!

そんな綺麗事で簡単に済まないのはわかっています。私も中学時代はひどく荒れていたので。授業ボイコットとか日常茶飯事でした。

ただ、だから(体罰は消えたけれども)部活地獄と内申でおさえつけるって何十年たっても教育は変わらないのかな。
おさえつけるのは教育ではないな、と思うのです。

 

ザ・ノンフィクションという番組で、ちょっと前に「失敗は失敗じゃない〜あぶれものたちの再挑戦」という非行やいじめなどで道を踏み外した少年や青年に大学受験や高卒認定試験を受けさせたりする私塾のことを取り上げていました。

www.fujizemi.com



できない、という前にもう少し公教育でもなにかできることあるのじゃないのかなーと思うのですが。
結局落ちこぼれも吹きこぼれもお金かけないと無理なのでしょうか。。。

 

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