悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

隣の芝生は青いんだよね〜足りないところを埋める子育て

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先日、ちょっと忘れてしまったのですが、なにかの子育て相談かなにかで、

「小学生の我が子が勉強はできるのだけれど、運動をあまり好まず、困っている」というようなものを目にしました。

 

運動音痴というわけではなさそうなのですが、積極的に運動に取り組まないことを憂いていらっしゃいました。

 

よく保護者同士の話では互いの子をほめあったり、自分の子を謙遜したりってありますが、そういった社交辞令じゃなく、他のお子さんのないものねだりをしている親御さんはわりといるのかもしれない、と思いました。

 

私も息子が運動音痴で人から笑われたり、本人のコンプレックスにならないといいな、程度は思いますが、なにも積極的に取り組んでほしいとまでは思わないのです。

 

日本はまだまだ根性論だし、典型を好む傾向があるので、どうしてもそこにあてはめたい。
勉強もできて、運動もできて、絵も上手で、楽器も上手。性格はよくて、友達はたくさんいて…。きりがないのです。

 

だから、子どもは成長のために常に頑張るべし! 勉強ができるなら次は運動に全力投球よ! 友達とはうまくやりなさい。あれも習ったらいいかしら?

 

結局親って足りないところを埋めたがるんだなぁ、と思いました。

 

もう少し、子どもの凸凹の凸の部分をもっと高める方を先にしたらいいのに、と思うのです。

 

母との衝突

昔そろばんを習わされました。
最初にやるかどうか聞かれて、よくわからないけど「やってみる」と話して、でもすぐに「これじゃない」と思ったのです。子どもの「やりたい」ほど意味のないこと、痛感です。
興味もあまりでませんでしたが、さらに私にとってそのときに暗算がとても苦手なことがわかりました。

他の計算についてはむしろ他の子より悪くない。それでも暗算は頭で考えようとすると他の考えがふわーっと浮かんできてごちゃごちゃになり、受け付けないのです。

結局ある程度の級までとらないと辞めさせないと言われて3年くらいやって、それなりの級を取得し辞めたものの、いまだにそろばんを使った暗算などは私には一切できません。そういった話を自分の苦手なこと、として話したのですが、母は、

「じゃあ、やらなきゃよかったっていうの! 計算が苦手になったら困ると思ったからやらせた。好きじゃないからって避けていたらできなくなってしまう!」

と言われました。

私が「息子に公文をやらせようと思っていたけれども息子がとても喜んでやりそうに思えなかったので諦めた」というような話をしたときにも

「だから計算が苦手なんじゃないか」と言われました。

母はそれほど口うるさくはないのですが、私とは考え方も違うし、娘二人の子育てで、どちらかというとさほど「できない子の苦労」はしていないのです。

 

教育方針はひとそれぞれだけど、はっきりいって、私は母に与えられた習い事で満足したものはなかったし、塾もしかりでした。
母は苦手をなくそうとして習い事を選びがちだったので、どちらかというと絵を描いたり文章を書いたりが好きだった私に体操だのバレエだのソフトボールだの運動ばかりさせました。バレエとソフトなど日程も被っていてソフトは休みがちだったので、行ったところでレギュラーになれず全然面白くないのです。
そして勉強は好きじゃない計算関係(成績は悪くなかったのですが)。
体育の成績は悪くはなくどちらかというとよかったにもかかわらず、練習すれば結構できるようになるが、飲み込みが早い方ではなかったことが母の気になっていたようです。

それで、私は運動部に入るからといって無理やり習い事を辞め、部活もすぐに楽なものに変えてしまうという逃げ方をしたのですが。

私はわりと幸せだな、と思うのですが、子ども時代には戻りたくないのです。
習い事だけに限らず、窮屈だった印象があります。
子どもって結局大人の管理下で好き勝手できないから、みんなそんなものなのかなと思いましたが、そうでもないのでしょうか。

苦手なことを放置すれば良いとは思いませんが、好きなこと得意なことをまず伸ばす方向で自信をつけてあげる、楽しいことを味わわせてあげるほうが先かな、と思うのですが。

 

そして、過去記事でも書きましたが、

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

何事も人生はトレードオフ。
苦手なほうばかり鍛えていたら得意なことをやる機会を失われる。

結局どっちを重視するかは決めなくてはいけない。

私は自分の体験上、母とは逆の選択をしました。

 

 

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