悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

親が変わらなくては

東京新聞の連載が興味深かったので、取り上げたいと思います。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

4日間に渡った連載で、17歳の非行に走った少年と、その母親、父親、支援者のそれぞれの文章が載っているもので、なかなかない試みだし、そこから見えてくるものがあるような気がします。

 

自分が大変だったという母親

1日目の母親の文章で、すでにひっかかるところがありました。

 うちは三人きょうだいで、大手企業に勤めている長女と医者の長男、次男です。長男の十二歳下の次男は小学校の頃からやんちゃ。学校で同級生のものを盗んだり、暴力を振るったり。その度に、私はご迷惑をかけた家におわびにいきました。

以上引用

小学校で同級生のものを盗む時点で、すでに少年と親御さんは問題をかかえているはずなのですが、そこの原因追求はおそらくなされず、また、勉強も苦手なようだった点についてのフォローも特別にしたようではなかった(あれば書くでしょうし)ところ。

 

 家にこもって、一日中スマートフォンでゲームざんまい。一カ月の携帯料金が五万円を超えるようになり、叱ると反発して家を飛び出し、友人の家を泊まり歩くように。家の金を持ち出すだけでなく、万引や自販機泥棒を繰り返して、その度にまた私はおわびに駆け回りました。深夜のパチンコ店で清掃のパートをして稼いだお金で、被害弁償に追われました。仕事が終わって、深夜の街を次男が行きそうなところを朝まで捜し回ったことが何度もありました。 

以上引用

 

結局、息子の問題行動に後付けで叱ったり謝ったりに奔走する結果に。
上の文章でも自分が大変だった話に終始。お詫びに行ったり探したり大変だった、ということ。息子がなぜそんな行動に出るのか自問した様子はない。

おそらく、中学までの親子関係で、子どもから親へのラベル付けはすでに完了していて、「この親はわかってくれない。」と思われているから、親の言うことなんて聞かないし、そして親もそれにたいして自分が悪かったと反省するところもないのでしょう。

 

高校にも通わず、同じ高校の子を見かけると、「なんで次男はこんなことに」と涙が出ました。次男を殺して自分も死のうと思ったこともありました

以上引用

 

結局他の子はちゃんと学校に行っているのに…という思いばかりが強い。そして少年院に入ってほっとする母親。

十一カ月の少年院生活。きっと見違えるように変わっている、そう思っていました。少年院で面会した時に「しっかり勉強していい大学に入り、親に迷惑をかけた分だけ恩返ししたい」って話していたんですよ。

 以上引用

 

見違えるように変わっていると思うなんて違和感ありまくりでした。
子どもは、というか人はそんなに簡単に変わらないし、おそらく親子関係が原因でこうなってしまったものを、施設に入っただけで解決するとは、やはり自分に原因があるとは思っていないし、息子の本心など考えていないのかな、と。

 

だけど現実は…。勉強はおろか、食事や風呂もいいかげんに、スマホをいじりベッドでゴロゴロしている生活に逆戻り。「そんな暇があったら、さっさと働いて、親が弁償した金を返せ!」「好きなことばかりして、やっていけるほど世の中甘くない!」と、叱り飛ばしました。

以上引用

 

少年院に入るという大事が起きてもなお、母親は変わらないのに三度びっくり!

1日目の記事で、母親側の意見だけ見ても突っ込みどころ満載な感じでした。

息子の意見

案の定息子から見た母親はこうでした。

 昔から母親の存在は大きかったと思う。「お兄ちゃんやお姉ちゃんはこうなのに、なんであなたは」って出来の悪さを叱られ続けた。自分は息子と思われていない、と思ったこともあった。母親の言うことは気にしてしまうし、ずっと支配されてきたと思います。

認められていない寂しさが、クラスでみんなの気を引くための暴力や盗みなど問題行動になっている。そのせいで周りからも距離を置かれてますます孤独になっていく。

その時は親というよりも、再サポの人たちの顔が浮かび、自分の更生に期待してくれている人がいるのに、ここで流されるのは、自分、カッコ悪いなと、思ったから。

以上引用

 

結局少年院を出た後も更生の兆しを与えているのは親ではなくて支援者だということ。
それでも、彼にはそういう出会いがあってよかったと思います。

 

父親も自覚がない

上の子たちと同じ育て方をしたつもりなんですがね。付き合う友達の影響も大きいのかもしれません。長男や長女はおとなしく真面目で、友達もそういう子が多かった。次男は社交的で、どんな人とでも仲良くなれる半面、影響を受けやすいところがあった。 

 以上引用

同居して甘やかす祖母(父親にとっての母)のせい、友達のせい。
人のせいにしかしていない父親。

 数年前に定年退職しましたが、よくいわれるような「仕事が忙しくて家庭をないがしろにする父親」だったとは思っていません。平日の帰宅時間もそう遅くなりませんでしたし。ただ、次男が外を遊びまわっていて、夕飯を一緒に食べたりすることはあまりなかった。 

以上引用

早く帰ってきているのに、息子と何をしたという話が書けない父親。外を遊びまわるようになるまで10年以上あっただろうに、そのときなにをしていたのか。

妻への暴力のことは、妻が「市役所に相談にいく」と言ったときに初めて知った。

 以上引用

妻が一度や二度目で相談に行くとも思えないので、その間息子のことも妻のことも見ていない父親。妻は、夫に言えば、夫が息子を殴るだろうから言えなかったと。結局妻にも頼られていない。

 

次男を叱り、妻にも「構い過ぎるな」と。でも、二人の耳には届いていないようでした。けんかを繰り返す二人に諦めの気持ちもあって、次第に口をつぐんでしまった。

以上引用

 

言ったけど聞かない二人が悪い。どうしようもないという言い訳。

 

次男からは「自分で考えて行動したいから、何から何まで口出しをしないで」と言われました。でも妻は心配性で、次男に見つからないように財布をチェックしているようです。「本人を信じて見守るしかない」と何度も言っているんですけどね。好きにさせて、失敗するならすればいい。 

 以上引用

 

なんか、大して何もやっていないのに、殴られたり叱ったりとボロボロになって息子と向き合っている妻に対して上から目線。
結局この家族の中で一番自分はまともだと思っているんじゃないかと思うと腹立たしい。

でも意外とこういう父親って多いような気がします。子育ては妻に任せている、妻が怒りすぎてうるさい、子どもはいうこと聞かなくて情けないっていう。

支援者は必要

支援者の文章によると、支援者は、親元を離れるように言ったそうですが、息子が嫌がり一緒に暮らしている。
息子なりに反省の気持ちといまだに親に認められたいという気持ちがあるのでしょうか。

母親は息子を思うがあまり一生懸命。理想とかけ離れた行動をとる息子に、否定的な言葉を投げかけてしまう。

(中略)

できていない面につい目がいってしまうが、成長した点に目を向けることが大切ですよね。

(中略)

 お母さんには「親も変わらないといけない」と伝え続けた。最近は意識して息子を褒めているようです。「息子に不満ばかりだったけど、今は自分が変わる難しさに悪戦苦闘しています」と言うのを聞き、彼女の中で何かが少しずつ変化しているのかなと感じます。

以上引用

 

本来なら親が二人そろっていれば、どちらかが片方の暴走やら逸脱を諌める立場になるのですが、どちらも子どもの気持ちを考えずに上からものを言う視点しかないと、子どもによってはこういった悲惨な結果になるのかな、と思います。

以前記事に書いた知人の親子を思い出してしまいます。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

ここは相変わらず、問題を抱えているようで、成績にも直結しています。
お父さんは自分の理想に合わない息子を情けないと思っていて、いうことを聞かないと怒ってばかり、「死ね」ともたびたびいうようです。

結局二日の家出もこの記事のお母さんのように反省材料にはならなかった。

見つかった後は親に心配をかけたことを叱ったそうです。
え、そこは、父親が言いすぎたと謝るところじゃないの? と思ったのだけど。

 

私も、お父さんは息子さんと距離をおいた方がいい、とお母さんには話しました。
お父さんが呆れてもう知らないから勝手にしろ、と言っているのは、むしろましになったかもと思っています。構い過ぎているときはとにかくすごく怒っていたようだったので。


結局親はなかなか変わらない。
そこで、この記事の支援者のように、第三者が冷静に親を諭していく必要があるのだなと思います。

核家族化で狭い家庭内。

世間の目が厳しい世の中で、子どもがどうしたいかを尊重して導くよりも、よそ様に恥ずかしくない子にしなくては、という方が重要視されてしまう。

 

親自身が人の評価を気にしすぎているのかもしれない。
この記事の希望は、母親が支援者のアドバイスで変わろうとしていること。
変わろうとして悪戦苦闘することで、今まで自分が簡単に息子に言ってきたことを、実際するのは大変だと実感して、息子への見方も変わるでしょう。

 

この前、そのことで母親に「出院して初めて褒められた」とうれしそうに話していました。

 以上引用

 

そして前向きに仕事と定時制高校に行っていることを母親がほめることができ、それを喜ぶ息子がいること。やはり子どもってどんな親にも褒められたいのだな、と健気に思ってしまいます。

 

結局これって支援者のサポートが大きな力になっているはず。知人親子に私はどう関わっていいか当惑していますが、今は息子さんに会う機会があると、「自分の人生は大事にして」とは話します。

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親が変わらないと子も変わらない

努力しない親は口で言うだけ、という気がします。口で言うのは簡単だから。
自戒も込めて書きますが、親はとかく、子どもを目下として何を言ってもいいと勘違いしがち。
親とは違う人格をもった人間なのに、親の思うようになる、それがいくつになっても変わらない。自分の怠慢を子どものせいに押し付けてしまう。

 

自分が子どもに対して意識的ではなくても間違った行動をしたときに、果たしてきちんと子どもに謝れるか。

 

私は自分の親との関係でも少しそれを考えてしまうことがあります。
まあ、所詮親も人間だから。器の大きさも人それぞれだということでしょう。

甘やかすのではなくきちんと子どもを尊重できるか、忘れないようにしようと思いました。 

子どもによって適切な育て方も変わっていく

上の二人がきちんとできたからといって、下の子も同じとは限らない。
子どもはひとそれぞれ。もしかしたら上のお子さん達も窮屈な子ども時代をすごしていたかもしれないけれど、大人びていて、割り切って乗り越えたのかもしれない。
上の子ができたから、他の子がちゃんとやっているから、というのは意味のないことだな、ということも最近感じます。まあ、うちは一人しかいないのですが。
ただ、むやみに他の子のことを評価はできないな、と思うのです。

何人ものお子さんを見ていて、私自身もその子に合った話し方をするようにこころがけています。
ひとに影響を受けやすい素直な子には頑張ろうとつたえて叱咤激励もするけれど、自分の意志が強くて変わらない子にはあまり煽るような言い方はしない。
また、自信家で努力に慣れている子には「もっともっと!」と尻を叩くし厳しいことも言うけれど、疲れて自己評価の低い子には「これだけできてよかったね!」と言う。
さじ加減には毎度悩むけれども、同じ話をしても響き方がまるで違うので。

 

叱り方もそうなのだろうな、と思うのです。

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