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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

多様性を受け入れられる社会を望む〜不登校はすぐそこにある

不登校の子は珍しくない

先日久しぶりに息子の幼児の頃の友達のお母さんにばったり会いました。
小学校も異なり、息子同士はいまは遊ぶ仲ではありませんが、個人的にずっと付き合える友達です。


しかし、しばらく会わなかったのには理由がありました。
彼女のお子さんが不登校になって長いのです。
それを最初に聞いたときは、自分の子育てを反省され、号泣されて、私もどう答えて良いかわかりませんでした。

 

どうしただろうか、と心配な反面、それなりに充実している息子の母としては、少し落ち着くまでそっとしておいたほうがいいかな、とも思いました。

小学校でのいじめ(彼が被害者ではない)の環境にいたくないと、中学は選択制で必ずしも近所の学校でなくてもいいので、そのまま地元の中学への進学をしたくないと本人がいっていたにもかかわらず、結局その同級生たちと一緒に近所の学校に進学してまもなくからの不登校。

以前も触れましたが、ほかにも小学校から不登校の子、中学で不登校になった子など私のごく親しい人の中にも不登校で苦しんでいる生徒はいます。

 

学校で進学についての説明会があったけど、保護者として彼女は行くのが憚られたとか。確かにほかの保護者に会いたくないし、無責任に「学校来ないと困るわよー」なんて言われるらしく。

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いろいろな子どもに画一の学校でいいとは思えない

内閣府の子ども・若者白書によると、特別支援教育を受けている子の割合は小中学校で、3.1%いるそうです。

第1節 教育|平成26年版子ども・若者白書(全体版) - 内閣府

 

また、不登校の割合は、小学校で0.31%、中学校では2.56%いるそうです。
不登校の子を抱える学校の割合は中高では80%以上。

不登校になるきっかけで多いのは、情緒的混乱・不安などや、無気力、友人関係(いじめ以外)が総じて多く、小学校では特に親子関係が大きくなっています。

 

心配しがちないじめに関しては、この表では1〜2%程度となっています。
詳細については、26年度分の調査がこちらでみられます。

文部科学省のサイトのpdfファイルです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/09/__icsFiles/afieldfile/2015/10/07/1362012_1_1.pdf

 

発達障害で悩む親子は多いでしょうし、それも、決まった「学校」という環境の中で浮いてしまうことも悩みの大きな原因じゃないでしょうか?

 

通級に通うのも授業を抜けていくのが苦痛だとか、友人のように不登校などの苦労のない人からの無責任な言葉がけ。本人の自分はまわりとは違うという意識やそこを指摘されることでの二次障害とか。

 

ストレス耐性にも個人差はあるし、アレルギー体質も重度の方には命に関わる大問題です。実際、毎日給食と合わせた弁当を持たせ、校外学習(宿泊)にはついていって食事を都度持たせるという過酷な環境にある友人もいます。

 

息子が軽度ですが悩んだ起立性調節障害だって、朝の始業時間が決まっているからこそ問題になる。

落ちこぼれ、吹きこぼれしかり。

私が勉強を見ている子にはディスレクシアの症状が少し見える子がいます。
当然学校での授業についていけません。

 

ディスレクシアとは | NPO EDGE(エッジ)

 

うちの子だって、不注意がすごくて発達障害についてスクールカウンセラーの先生に相談をしました。
今でも変なこだわりがあったりするせいで、うまく物事を解決できなくて、親の私から見ても何を考えているのかわからないこともあります。
障害と診断されるか否かはその症状の重さであって、診断にいたらずともそういった悩みを抱える子はじつは多いと思います。

 

社会に出れば、自分の周囲は似たような人が多いかもしれませんが、実際は本当に違う環境や価値観や育ち方で生きてきた人がたくさんいます。

 

その人たちがほぼ大差ない公立小学校や公立中学校(私立については詳細を知らないので省きます)で机を並べていたって、よく考えれば誰にとってその学校はぴったり合っていたのだろうか?

 

もちろんひとつの学校だけを見ればその地域の色がありますから、貧困家庭の多いところ、教育熱心な親子が多いところなどで、クラス内にそこまで違いはないかもしれない。だけれど日本全国でほぼ同じ時期に同じ時間をかけて同じカリキュラムをすすめる、と考えると、本当に誰基準なのか? と思ってしまいます。

ワンサイズしかない公立義務教育

既製品の洋服には、サイズが3サイズくらいある。
それでも細くて背が高い人や太っているけど小さい人にはサイズは全く当てはまらない。あれがなにを着てもぴったりな人は、実はほとんどいないはず。
一方靴には0.5mm刻みでなかには幅の広さも選べたりするものもある。
靴は合っていないと機能的に無理だからかもしれないが、洋服は着られればとりあえずちょっと袖長くてもいいでしょ、という甘えが感じられる。

 

公立の義務教育の学校には、ワンサイズしかない。それに合わない人はドロップアウト。どう考えても無理がある。

 

彼らが義務教育家庭を適切に受けるためには、もう少し幅があってもいいのじゃないでしょうか?

 

アレルギーの問題を抱えた子が通いやすい、給食が出る学校。
朝起きられない子が通う昼から始まる学校またはクラス。
大勢で行動できない子のための少人数の学校または授業。
学習に困難な子をじっくり見てくれる授業。
男子は男子の制服、女子は女子の制服を着なくてもいい選択ができる学校(私服でもいいのですが、それとあるけれども着なくてもいい、または性別とは違う制服を選べるというのはちょっと違う)。

などなど。

 

予算であるとか、現実的じゃないとかで一蹴するのは簡単ですが、そこにきちんと居場所がある、ということって教育で一番大事なことじゃないかと思います。

そして、教育が次世代の日本の根幹になっていくのだから、じつはすごく重要なことだと思うのですが、あまりそれが感じられない公教育のシステムだと思います。 

親としてできること

でも、公教育にものを申すというのは、政治に関わることになるので、とりあえずおいておいて、今自分たちができることってなんなのでしょう? 

私は発達障害などだって、背が高いとか歌がうまいとか、そういった個性の一つと思います。ただ、その子がそうであるというだけ。いいとか悪いじゃない。

ただ、困難を抱えていたら、その子に合う環境や工夫が必要だということ。

そういうことを、当事者だとしても持っていたいし、そこは毅然としていていいと思います。親が不安に思うことは当事者の子どもを不安にさせたりコンプレックスを作るような気がします。


また、クラスにいる困難を抱えている子を「いろんな子がいる中で、あの子はそういう特徴がある子」で、それを当たり前と認識できるように子どもにも伝えたい。
いろいろな子が周りにいることで、子どもの視野も理解も広がるはず。
マイナス面ばかりでなく、プラス面があるということ、それから様々な子が集まる教室は無駄なものが何もない無菌室の環境などあり得ないということを意識すること。

 

いろいろな困難の原因を理解すること、理解を周囲に広げること。
私は発達障害などを調べて、息子の不注意さを理解することでぐっと怒ることが減りました。
自分が困難を抱えてこなかった人のなかには、万能感というか、努力すればどうにかなるといった思考を持っている方がいる。
そういう人が、不登校の親である友人に「困るわよ〜。ちゃんと来させなきゃ。」
なんて簡単に言ったりする。
また、理解がないからなんでも規則だからでひとくくりに非難したりすることになる。

親の価値観は子どもに受け継がれます。
できない我が子を情けないと思えば、子どもは自分は情けない人間だと思うし、あの子はこういう子だから、と差別する発言をすれば、見下したり排除したりする子になる。
また、社会に出れば、いろいろな人がいることを教えることも大事かと思います。

 

人間キャパシティが大きい方が自分自身もストレスないと思うのですよね。
なんでこいつはこんななんだろう、と思ってばっかりだと疲れる。
そしてそういう広い心の人って尊敬されますよね。
私も息子にそういう人になってほしいな、と思います。

 

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