オリンピックにはいつも魅了されます。
自分が体験しない勝負の世界を疑似体験できるからでしょう。
まるで自分のことのようにドキドキハラハラ。
柔道は好きな種目のひとつで、毎晩さすがに決勝の時間は見られなくて残念なのですが。実は昔嘉納治五郎杯なんかを見に行ったこともありました。
息子にさせたかったけれど、生まれてきた息子は全然そんなキャラじゃなかったので勧めませんでしたが。
ただ、ロンドン五輪から、というかヤワラちゃんの頃からも、金メダルが取れないことの悲壮感漂う感じが気の毒でなりません。
金ではないメダルを持ってニコリともできない選手たちを複雑な思いで見てしまいます。
そして、イチローのメジャー通算3000本安打も達成されましたね。
前の日はオリンピックの狭間でちょっとイチローの2999本目を見られたのですが。
こちらもそんなに詳しくはなくて恐縮なのですが、というか詳しくないからこそ今更なのですが、イチローが日米通算4000本安打を打った時の言葉をいまさら読んで心に響きました。
4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。
以上引用
ああ、そうなんだよなぁ、オリンピックって、何かのコンクールって、1番は一人しかいない。それを目指している多くの人が悔しい思いをする。
悔しいのがデフォルトなんですよね。
「人に会いたくない時間もたくさんありましたね。誰にも会いたくない、しゃべりたくない。僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけども、なかなかそれもうまく行かずという、という苦しい時間でしたね」
以上引用
今回の会見でも、上のように相当苦しんでいる。だからこその喜びなのでしょうけれど、これだけストイックに野球と向き合ってきたイチローって精神年齢100歳超えているんじゃないかとおもえませんか?
そういった仙人のようなイチローの「感情を少しだけ見せられるように」って、どういうことなのかな、と気になりました。
そして悔しいのがデフォルトだからこそ、オリンピックのたびに「メダル確実」の選手の予想外の敗退があって、なんかいつもついていないなぁという気持ちになってしまうわけですけど。
本当に蓮舫じゃないけど、「二番じゃダメなんですか?」って言いたくなる。
でも、ダメだったあとの達成っていうのはむしろ最初の栄光よりも輝いているような気がするのですが、それこそ成長なのでしょうね。
有森裕子さんの名言も、銀メダルのあとの銅メダルでのコメント。
今年のウィンブルドン優勝のマレー選手も77年ぶりにイギリス人として優勝したときより今回の二度目の優勝を感慨深く受け止めているようでした。
スコットランド人のマレーは、ウィンブルドンについて「自分にとって最も重要なトーナメント。良い思い出もあり、辛かった敗北も経験しました。辛い敗北があった分、勝利がとても快く感じられます」と語った。
以上引用。
そういえば再結成したバンドthe yellow monkeyも「解散したから今がある!」と話していました。
「もう解散しません」宣言をしちゃうほどバンドの大事さを思い知ったとか。
悔しいのがデフォルトだからこそ、こういう舞台で戦う人たちは強靭な精神力を持たざるを得ないのでしょう。
それで一流アスリートって若くても老成しているのだよなぁと思うのです。
高校野球も開催中ですが、ちょっと前に地方大会を時々テレビで放映していたのを見かけました。
この地方の決勝で敗れることが実は一番辛いんじゃないかと思ったりします。だって、「甲子園へいけるかいけないか」ですよ! 甲子園で一回戦敗退の100倍くらい悔しいんじゃないでしょうか? それで、なんか心が痛くなって見れない(そんなに見てませんが)のです。
甲子園で負けた話は一生武勇伝として語れるけど、甲子園目前で逃した話とか(しかもさよならだったりしたら立ち直れない!)もう、誰にしていいのかわかりませんよね。
子どもに辛い思いをさせたくなかったら、1番が一人しかいない勝負の世界に身を置かせないことですね!
というのはもちろん冗談ですが、真実でもあるかと。
でも、なんだか最近、育てにくい子を育てた親や問題を抱えた親子の方がそうでない人よりずっと人間として成長するんじゃないかと思うようになったので、もうどっちがいいのかわからないですね。
嫌な思いはできればあまりしたくないし。人によっては悪いスパイラルにはまって人生常につらい人もいることだし。
しかし、ブラジル人観客うるさいですよね!
あの歓声にも動じない力が必要なわけで、本当にアスリートは課題が多くて大変ですよね。
少しは見習って私も頑張ろう。