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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

同性愛アウティング事件に考える

ひどい事件を知りました。

 

www.buzzfeed.com

 

Aくんが同級生Zくんに告白したが、失恋をした後、少ししてZくんがAくんにグループLINEでAくんがゲイであることをばらすという、「アウティング」をした。

それからAくんは心に傷を受け、最終的には命をたってしまったという出来事。
その間二人が通っている大学にも相談したけれども、対応がお粗末だったということ。
死後も遺族に対しての大学側の対応が不誠実であり、Zくんからの謝罪もないため裁判になったということです。

 

何回かLGBTについても記事を書きましたが、今回の事件は、なんともいろんな面で残念でした。

 

上記記事Zくんは告白こそされていますが、その後Aくんからセクハラをされたわけでもないでしょうし、むしろ、もともと同性愛者に差別的であったとか、嫌がらせのようなこともしたようです。

 

Zくん側は裁判で「恋愛感情をうち明けられて困惑した側として、アウティングするしか逃れる方法はなく、正当な行為だった」と主張してきたという。

 以上引用

 

困惑したからって、他人のプライベートを簡単にばらすことにまったく共感できません。それは、ゲイであるなしに関わらず。

しかも、性的マイノリティの方々への理解が十分とはいえない現在、アウティングが凶器になりえるわけです。

 

f:id:vt-maguna:20160815112108j:plain

あらゆる差別は、なぜ起こるのでしょうか?

民族間の紛争のように、直接その属性である相手に被害を受けたことで、その属性全体を敵として差別する、というのはまだ理解の範囲ですが、もっともわからないのは、それがなんの障害もない自分に不利益のないことで差別をするということです。

人に好かれて困ることがあるとしたら、ゲイが相手でなくても同じです。
優劣をつけて上にいたがる人間、自信がないから誰かを踏み台にしてかさ増ししたい人間のすることなのかなと。

 

親の価値観、ネットの価値観

少し前ですが、ヤギログで以下の記事を読んで特に印象深かったのが、

3. 2chやまとめサイトを見ない

という項目。

 

www.jimpei.net

 

そういえば、私も暇つぶしにまとめサイトなどを見ていたこともあります。

気になるニュースで検索にひっかかって読むと、次々刺激的なタイトルの記事についつい読んでしまうわけですが、内容はほとんどがお粗末なもの。

何より、そこに書かれているコメントの多くにとてもネガティブで人を上から批判するような簡単に切り捨てるような主張の数々に大変違和感を覚えました。
これは、どういう人たちが書いているのだろう? 
たいていは一方的批判が繰り広げられれば、それに対して批判し、ニュートラルへ持っていく方向の意見が出てなんとなく中和していくものと思っていましたが、昨今のまとめサイトなどには、とても目をつぶりたくなるような暴言などがそのまま支持されていたりする。

 

価値観のできた大人であれば、「おかしい」と思うこともできるし、「これは特殊だ」と思うこともできます。
けれども、頭の柔らかい子どもたちがこれらに触れると、こうやってなんの力もない自分が人を批判して優位に立ったと勘違いする

 

そういったネット環境から距離を置くようにする、また、親自身が人を見下したりする価値観を否定していかなくてはと思います。

 

想像力の欠如?

自分と違う立場の人、まったく違う生い立ちの人、生まれながらに持つものが違う人に対する想像力ってどうやって身につくのでしょう?
ひとつには、表面的な諭しではなく、じっくりと本などで主人公の立場を疑似体験するなどの工夫も必要かもしれません。

 

そういった価値観について話をする機会は意外と少ないかもしれません。
子どもはそれよりも多くの時間をネットや学校での表面的な、また本当にそう思っているかわからないところでの会話の中で過ごしているかもしれません。

冒頭の記事でも、日頃から仲間内で同性愛に理解がない会話が繰り広げられていたといいます。でもそのグループのすべての人間が本当にそう思っていたかどうかはわからない。けれども、声の大きい人の意見に多くの反論をしなかったり、冗談として返していることで、多くの人がその差別感を持っているような錯覚に陥るのかもしれません。
ネットも同様です。「みんなこういう風に思うものなんだ。」
そうやって、特に意識のなかったことに対して差別が生まれていく可能性。

 

希薄な友達関係

親友だったはずの相手から、とても誠実とは思えない対応をされる。
どう対応していいのかわからなければ、黙って距離を少しおけば良い。
嫌悪感を感じたり恐怖を感じるのは自由だけれども、それをアウティングする必然性はない。

 

そもそも、つるめる人がいれば誰でもよかったのか。
大事な人が自分と違う価値観や嗜好をもっているとしたら、それについて考えてみたり、理解できなくても尊重するという態度をとれないだろうか。
最近の若い人たちの友人関係には少し気になる話はあります。

自分の価値観を超えても大事な友人を尊重するような人に育ってほしいと思います。

しかし、今は告白もアウティングもLINE上なのですね。
人の顔を見ないでやりとりすることは、誤解を生むのと、文字で永遠に残ってしまうことで、少し問題があるかと思います。

 



ネットの意見で気になるものに、
同性に好かれたら恐怖を感じる
そこから身を守るのはあたりまえ
とか、

LGBTが弱者だからって告白を受け入れられなくてはいけないのかなんてめちゃくちゃな論理を通す人も。



告白されて恐怖を感じるとしたら、それは異性でも同じではないか。
むしろ、異性である体力で多くの場合まさるであろう男性に告白される女性というのは恐怖に晒され続けているのだろうか?

男性に告白されたら、それだけで(ハラスメントを受けているわけでもないのに)女性は恐怖のためにその男性にダメージとなるようなプライバシーの暴露をして当然ということだろうか。

 

屁理屈としか思えない。

 

他人事社会?

昔より少しは少数派に対する理解とか理解すべきという考えは広まってきたのかもしれない。

大学でもジェンダーについての対策が考えられているようです。
国際基督教大学ジェンダー研究センターから↓

緊急呼びかけ:一橋大学法科大学院生のアウティング事件に接して - CGS Online

 

こちらではこの事件についての真剣な呼びかけがなされています。

 現在の性的マイノリティ差別の雰囲気は、小中高の教育課程において性教育・セクシュアリティ教育がまともになされていない日本の教育制度に端を発しており、その意味において高等教育機関が負う責任は大きなものがあります。一橋大学と同じくジェンダー研究の機関を持ち、学内のジェンダー平等や性的マイノリティ差別解消のためにも動いてきた当センターとしては、ますます自分たちのするべき課題を突きつけられた気持ちでいます。

 以上引用

 

また、こちらでは大学でどのような対策がなされているのかをマニュアル化しています。

ジェンダー・セクシュアリティとキャンパスライフ Vol.1: できることガイド in ICU(ver.1) - CGS Online

 

これで足りるのかどうかは私は当事者ではないのでよくわからないのですが。

 

一方当事者である一橋大学のコメント

新着情報 | ジェンダー社会科学研究センター

 

裁判になればいろいろ語れないというのはあるのかもしれませんが、そっけない。

 

もちろんシステムとして補助するのも大事。
でも、個々が人が尊重されて生きることを大事に思っていれば、こういったことにはならないはず。
自分さえよければいい、自分の身は自分で守る、ということではない互いを尊重できる社会になってほしいと思います。

 

そこには人間形成の大事な幼児期からの主に親の働きかけが大事なのかもしれない。
そしてそのためには、教え諭す前に、その子自身の自己肯定感を高めてあげないと、自分の優位性を保ちたいために差別をしたくなってしまうのではないか、と思うのです。

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