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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

ブログを読んで怒りで泣いた話

twitter使っています。
このところの仕事のバタバタで、ほとんどブログ更新告知くらいしかしていませんが、良いと思ったところは、ある方をフォローすると、関連したようなジャンルのtweetをされている方につながっていきやすい、というところです。
英語や写真に興味があるので有用なものをフォローすると、日々情報に触れられるという意味で、今はどちらかというと受け身ですが、いまさらながら面白いと思いました。

そこで、はてな以外のブロガーさんとも出会えて、拝読しているブログ。

believe-the-dream.com

 

こちらに寄せられたあるコメントに怒りと失望を感じました。
時々当ブログにも書いていますが、たまたま五体満足健康で、性格も容姿も問題なく、素直で育てやすい子を育てた親御さんが、そういう子育てのおそらく何倍も困難にぶつかり都度どうすればいいのか悩みながら子育てをしている方に、こんなにひどいことをいってしまう。

 

息子は幸い親の私から見ても羨ましい学校生活に恵まれています。
それでも子育てや学校の仕組み、教育などに疑問をもったことは多いし、「発達障害」と診断されたわけではないけれども、うまくできずに理解されないこともありました。

また、うちよりずっといろいろなことで困難を抱えている親子は実は周りにたくさんいることを知って、そういう方の日常を知ることで、自分も理解したり共感したりしてきました。

まだ知らないことは多いですが、そのおかげで授業中落ち着きがない子がどうしてなのか、アレルギーのある子がどれだけ大変か、 忘れ物が止まらない、スーパーのんびりやの息子が何者なのか、少しずつわかってきました。

子育てを通じて、きっと自分のキャパシティも大きくなったなぁと思います。

 

こんなに進化した現代社会。それでもまだまだ弱肉強食だったり、自己責任だったり、いい加減な仕事で例えば施設で虐げられている入所者がいたりと、世の中はまだまだ不完全で未熟。

そこをどうしていけばいいのか、どうしたら子ども、孫世代にいまより息苦しくない世の中になるのか考えるのは大事なことだと思います。

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文法ナチという言葉

ところで、最近便利なサービスを知りました。

hinative.com

それを息子と見ていた時、とある質問で、ある解答者(日本人)が質問者(英語ネイティブで日本語表現についての質問)の文章が「大文字で始まっていない」とか、綴りのミスを指摘して、「あなたは英語ネイティブと書いているけれど本当にそうなのか?」と嘲笑するようなコメントを書いたのです。

それに対して他の解答者(日本人)が注意したのですが、なおその解答者は止まらず、質問の趣旨じゃなく、きちんと書けないやつはダメみたいなことを書き出して、他の解答者のことも批判する始末。
結局質問者もその失礼な解答者にシンプルな回答をしたところ、今度は「お礼も言えないなんて!」と怒り出す始末。

しまいには別の英語ネイティブの方が出てきて「文法ナチ」だ。と。

    • 文法ナチ
      a grammar nazi〈俗〉〔漠然とした例えとしての「ナチ党員」。「高圧的に規則を押し付ける」というほどのニュアンス。◆【注意】「多くの犠牲者を出した歴史上の出来事をちゃかす軽薄な表現で、好ましくない」と考える人もいる。grammar cop, grammar nitpicker, grammar freakなどと言い換えることができる。〕
      単語帳
     引用:文法ナチの英訳|英辞郎 on the WEB:アルク

 

引用先では、悲惨な歴史を茶化すなという意見もあるようですが、そういった言葉は日本語にはないのでしょうか。

 

文法に限らず「ルールだから」で全てをすませようとする人間に当てはまるような。

ともすると日本人ってこの傾向のある方が多いのではないかと思うのです。

「ルールを守れないやつは悪」→「悪は叩いてもいい」

そんな風潮がちょっとある気がします。

人を叩いたり、上記ブログコメントのように真面目に生きている方に対して「気持ち悪い」と罵倒することはいいのでしょうか。

 

ほかにもこころないコメントでコメント欄を閉じた方、記事をバカにするようなコメントを書かれた方など、ブログを公開しているんだから仕方ない、と「自己責任」だと言われるのでしょうが、なんだか不快なことがありますね。
ブログ主さんは、大変冷静にコメントを返されていましたが、私はしばらく涙が止まりませんでした。

 

文法が好きな息子

息子は文法が大好きです。英語そのものはたいして頑張らないのですが、文法は大好き。日本語も現代文法、古典文法と読みふけっています。

ちょうど上のやり取りを一緒に読んでいたので、

「あんたも文法好きだからってこんなになっちゃあダメだよ!」

と話しました。

法律などにも興味があるので、「決まり事」というのに関心があるようです。

一方で、小学校教育の賜物か、「先生に言われたから。」「こういう決まりだって言われたから。」と言って交渉をしないところがあります。

これは、まだ子どもだから仕方ないのかな、と思う反面、「自分に特別な理由があるときは、まずはそれを伝えてみるのも大事。」という話もしました。

 

ちょっと話がずれますが、息子が大雪の日に遅刻をしたとき、電車の遅延証明をもらったそうです。周りは遅延証明を提出する子がたくさん。
そこで息子だけ出さなかったので、先生が尋ねると、「僕は電車の遅延じゃなくても遅刻だったので。」と言って、普通に遅刻をつけられました。

先生は「正直でよろしい。」と言ってくれたそうですが、私は思わず「あんた要領悪いね〜。」と言ってしまいました。

不器用な息子らしいし、ずるいことはないのでしょうが、その真っ正直さって、ともすると正しさを強調しすぎることになりやしないか、と思うのです。

ちょっとした注意をして、軽く「はーい」って聞いてくれればいいようなことでも、なんとしても(無茶な)言い訳をしたりするのです。

 

そういうとき、たまに話します。

「できないのが悪いことじゃないんだよ。ただ、改善しようとすればいい。あなたは、言われた自分が受け入れられないんじゃないか。私は別にそんなのよくあることだと思っているよ。ダメならダメでいいんだよ。この先繰り返さないようにしようと考えることさえできれば。」

 

少し前ですが、新聞の投稿欄で時々子どもの投稿ばかり載せることがあるのですが、そこを読んでいると、よく社会のよくないところや友達のよくないところを否定して、「〜せねば。」と肩肘のはった文章に出会います。

そのときは、小学校高学年〜中学生くらいって、まだまだ「いい子教信者」が多くて、いわゆる「規格品」が美しいという価値観でうまっているんだよなぁと思ったのを思い出しました。

 

息子もいまそんな年頃。家では全く正しくもいい子でもないのですが、外では、店員さんにも「ありがとうございます。」と言い返すような「いい子教」の部分も(私にももっと感謝せい)

 

私もそうだったなぁ。高校へ行って挫折するまでは。大学でも自分のふがいなさに挫折感を持ち、そうして、弱い人間への理解が進んだのかもしれない。(理解しないと自分が生きてけないし)。

 

でも、大人になって子育てをしても、いつまでも「文法ナチ」で行く人もいるのだ。
ダメな自分を受け入れて、初めて弱い他者に理解が行くのだろうか。

 

息子は友達にはとても優しいので、そんな風にはならないのかな、とは思うのですが、気をつけて育てたいと思いました。

 

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