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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

貧困女子高生叩きに思う

9月22日追記
※リンクしていた元記事がなくなったので、新たなものに変えました。

mainichi.jp

低所得の家庭のくらしぶり 

NHKのニュースで貧困に苦しんでいるとして取り上げられた女子高生が、バッシングに合っている事件。

ああ、以前勉強を見ていた私の友達の子の家庭によく似ている、と思いました。
シングルマザーで二人の子どもを育てている。
母親は高卒で、結婚したとき実家から飛行機を使う距離へ嫁入り。

その後夫の暴力で離婚。地元に帰ってきましたが、逃げ帰ってきたので着の身着のまま。当時私の洋服をあげたり、冠婚葬祭の服やカバンも貸したことも。

それでも幸い正社員で働き口が見つかり、なんとかひとり親の支援を受ける程度で子どもたちを独り立ちさせました。

 

ところで、その上の子が、高校の進路を決めるべきときに私の前で泣きました。
「周りの子は私立に行ってもいいって言われているけれど、うちは無理だと言われた。都立一本だと厳しい。なんでうちだけだめなんだろう。」

 

その子の生活が、なんとなく件の女子高生を思わせるものでした。
アルバイトをして貯めたお金で趣味のCDやDVDを買ったり、お菓子をよく買って食べていたり、服もそれなりに持っていました。
もちろん、高校に入ったらスマホを買ってもらっていました。

たしかに低所得者家庭と自分の生活と比べて、中には逆のギャップを感じることがあります。
以前みていたテレビ番組では、低所得の家族で子どもが三人いて全員小学生だけれど携帯を持っていて(当時はスマホは一般的でなかった)、携帯代金が一人当たり6000円だ、とか。

うちは、余計なお菓子は買わないようにしている(健康面、経済面、両方の意味で)し、本だって吟味して買うけれども、そういった家庭は、低価格のものを案外簡単に購入しているような気がします。

 

確かにそう。確かにそうなんだけど。スマホは確かに削れば大きいけど、今時女子高生に不要とはとても言えません。
件の女子高生が「1000円ランチを食べていた」というけれど、月一回1000円ランチを食べたところで、年額12,000円です。

友達の子の食生活も結構適当でした。

「◯ちゃん(息子)はいいね、ちゃんときちんとしたご飯作ってくれて。」

と言っていました。

その子の家はたびたび、「素うどんだけ。」「味付けはいつもめんつゆだけ。」「この日は夕飯お菓子だった。」「バイト先のコンビニ店長の家で毎回ご飯を食べさせてもらった。」 

低所得者の世帯ほど、スナック類などの加工食品の摂取率が高いということを聞きましたが、本当にそうでした。

食事に対する考えは、自分の育った食環境が大きく影響している気もします。
また、本当にこだわろうと思うと、有機野菜などは安いスーパーの野菜とはたしかに栄養価が違うし、鮮度も異なるけれども、価格はだいぶ違うので、そこを日々こだわるということは結構な支出の差になります。

オシャレ好きな私の友達やその上の子などは、食費を削ってなにかを買っているのかもしれません。時々会うときには普通に外食もしますし、気の利いたお土産をくれることも。

 

結局贅沢をしたといったって、それが月一回か二回の外食だったり、レジャーだったりなのではないでしょうか? 家族旅行をした話なんて聞いたこともありません。

大学や専門学校進学も考えてもいいよ、と友達は言っていましたが、実際は無理をして行かせる感じなので、学力的なこともあり現実的ではないと、結局二人とも就職をしました。

教育への投資は一番大きな差がでてくるところではないでしょうか?
投資されないまま、仕事で忙しい母親に勉強を見てもらうこともなく大きくなった彼女たちは勉強も得意ではありません。

 

家も築50年近い都営で、地震の時は相当揺れたそうです。
そして、子どもが働くと家賃があがってしまうことを気にしなければならない環境。
そして一人暮らしの父親が以前は自営業をしていましたが、不景気で潰れ、その後生活保護を受け、病気や引越しで多額のお金がかかるがそれは彼女が面倒をみたりしていて、親子関係も微妙でした。
姉もシングルマザーの二人の子持ち(中高生)で、がんで闘病中。
「お姉さんにもしなにかあったら、どうするの?」と聞いたら、「夫側(別の地方在住)に引き取ってもらうと了承を得ている。」ということで、少し安心しました。
でも現在は、なにかあれば友達が姉や姉の子、父親の面倒を見なくてはなりません。

貧困は相対的に感じるものでもある

一方周りは都心回帰で地価も高騰し、昔よりずっと高所得者の町になりつつあります。

「相対的剥奪」と上記記事でも書いてありますが、私立中学に通わせている私も、常々たとえば大手企業のサラリーマン家庭くらいが底辺にいるような環境で、どちらかといえば貧困感を持つくらいです。
それでも、私立中学なら行かせなければいいだけですから、避けられる。
けれども都心だと公立中高でさえ、はっきりと格差が見える中でのその子の涙だったと思うのです。

息子の小学校の同級生にも、一億で足りない住居にすみ、外車複数台所有の家の子がいて、うちによんだときには開口一番「せまっ!」と言われました(泣笑)。

 

昔私の親友が音楽大学に通っている時、彼女の家はそれこそ大手企業のお父さんが支えていた一般的な家庭でしたが、お父さんが病気で倒れ、会社を退職した直後でした。
彼女は「周りはみんな三万円のコンサートとか簡単に行くんだよね。うちはただでさえ田舎から出てきて実家暮らしではないから、友達付き合いがきつい。」

と言っていました。経済的に格差があると貧困感は相対的に感じるものなのだと実感します。

 

音楽大学だって、一般的には裕福な家庭の子が通うイメージですから、彼女のことを貧困とは言わないと思うのですが、最初の友人の子の感じる将来の展望のなさは、十分「貧困」に値すると思うのです。

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寄り添う視線がない息苦しいバッシング 

「絶対的貧困」じゃなきゃ困っていないのか。なんか極論が多い気がします。

まさになにもできずに明日どうやって食べていくか、というレベルでなければ、問題視してはいけない?

 

すごく苦しくて、まともな生活が送れるどころではない、そういう人なら上から目線で「かわいそう!」って同情できるから恵んでやってもいいけど、少しでも生きることに関係ないことをしていると許せないのでしょうか。

 

貧困に限らず、例えば子育てに苦労する親、障がいに苦しむ人、精神的な病で苦しむ人、何かに悩んでいる人、不登校の子など、実際いま苦しんでいる人にたいしての厳しい視線が多いような気がします。

 

差別したり、排除したり、能力がないことをだらしがないと言い切って罵倒したり。
そういうことって実は一番簡単で低俗な方法だと思うのです。
そんな方法しかとれないとしたら、随分ご本人が不幸なのだろうな、と思います。

 

いろいろな人が共に暮らす社会で、ここちよく過ごすためには相手の立場を慮るということが大事だと思います。

 

 

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