悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

厳しく育てると嘘をつく?

こんな記事を読みました。

karapaia.livedoor.biz

 

そうだろうなと思います。
いつも怒っている親御さんの子が、結構学校では行動がよくないということがありました。たいてい簡単にばれる嘘でした。それで、余計に親は怒るので、年中お説教ばかりになっていました。

 

怒る親には「〜すべき」が多い

けれども、子どもには大人のように簡単に理性で動けないことも多いし、きっちりできないことも多い。
そして、子どもの言い分は聞かないで、その行動だけをとにかくダメだと批判しています。

一度、その子が問題を起こした時に、子どもに詳細を聞くのに同席したときがありました。途中で何度も子どもの姿勢や手の動かし方まで怒っていて、それがあまりにもしつこく、子どもは注意されればされるほどその癖が出ていて、大人の私でもその叱責にうんざりしました。 

そのお子さんは、あからさまな嘘と、言い訳が多かったことです。
失敗をしたらまずそれを謝る。その原因がなんだったかをきちんと考えるのが次に繋がると思うのですが、そういう子は謝りません。
怒られることを防ぐために、他人や環境などを自分に都合よく動かして、とにかく「自分が悪いんじゃない」と言い張ります。
その子はとても人目を気にして、おどおどしていました。
それでも、行動は繰り返し、嘘はつき続ける。また、問題を起こした時にはまず逃げるのです。はじめはたいしたことのなかったことが、逃げることで重大化していきます。
反省はしていないようでした。

その子にとって、大事なのは「自分が間違えたことをした。次からどうすればいいか。」とか、「間違えを最小に納めるにはどうすればいいか。」ではなく、「とにかく怒られないように。」ということだけのように感じました。

 

怒る親は当然、

「子どもが間違ったことをしないように」

ということを人一倍気にしているのでしょう。

ですが、結果的には逆効果になっていると感じます。

 

しつけは必要です。でも、そこにまず、
「今回間違えたことはもう仕方ないし、誰でもそういうことはある」
というメッセージは伝えないといけないな、と思いました。
そうは言っても息子も時々なにかできていないことをちょっとした注意をすると、
「いつもはやっている」
と言い訳をすることがあります。
「できていないから注意しているんだけど、それから、過去のことにこだわっているわけじゃない。これから先注意してと話しているのだ」
と伝えるのですが。
子どもにとってはどうしても、「謝ること=自分が悪いこと」という認識があるようです。

 

そして、そのまま育ってしまうと、知恵のついてきた小学校高学年くらいからは、嘘も巧妙になってきて、親のしらないところで悪さを続けるとか、気づかれて叱ってもまた繰り返すというイタチごっこになっていきます。

 

中学生以降になると、ちょっと叱ったくらいでは子どもを動かせなくなってきます。
その時に、本人が「自分のためにきちんとしたい」という気持ちがない場合はもうコントロールできません。

それでも厳しくし続ければ、どんどん非行化したり、もしくは家ではいい子を装うようになるだけで、根本的には解決にならないどころかどんどん悪化していくようです。

見えやすいところをピンポイントで厳しく言い過ぎると、「いい子のふり」をする子になるかもしれません。

私が小学生の時にもいました。クラスで帰りの会の時に他のクラスメイトのよくないところを毎日毎日ちくってばかりいる子。
小学生の特に女子などには「〜しなくちゃいけないんだよ〜。」が口癖の子っていがちですよね。

 

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「厳しい」という言葉の捉え方はいろいろかと思います。
厳しいのが悪いわけじゃない。きちんと子どもと向き合いながら、ダメなことはダメだと厳しくしつけていくかどうか、子どもを認めてあげつつなのかどうか、ということだと思います。

 

しなければいけないことに優先順位をつけてはどうかと思います。
確かに社会人として必要なことは身に着けさせたい。

けれど、大人よりも子どもはずっと、毎日できるようになるべきことと向き合っているような気がします。
でも、いろいろこだわれば、それこそ年中お説教をしていなくてはならないし、お説教が必要でない聞き分けの良い子は、一見きちんと育っているようで安心してしまいそうですが、窮屈で冒険をしない子になっているかもしれません。

 大量の「〜すべき」をとにかくやりなさいと山積みにされると、きっと拒否反応がでるお子さんもいるのかもしれません。そこには他の子ができているということもあまり参考にならないと最近思うのです。

何かの分野で厳しくするためには

スポーツなり勉強なりで、人より多くの努力をしてその分野で秀でるためには、厳しさが必要だと思います。
でも、そのためには、その前に自信という土台が必要な気がします。自信をつけさせるには、ある程度成功体験をさせて、それを評価すること。
それが十分あってから、これなら厳しくされてもやっていける、という覚悟ができるのだと思います。

中学生に勉強を見ている時も、対応はその子それぞれでした。自信を無くしている子には、いいところを探してピックアップしつつ、やるべきことを小出しにしています。
できる子には「これくらいじゃダメ。」と厳しくすることも。そういう子にはあまり甘くすると物足りないと思われるし、厳しくすることでのってくる子も多いとおもいます。 

大事なこと

自尊心があれば、自ずと「きちんとした自分でありたい」と思うようになるでしょう。
その「きちんとしたいこと」、の線引きは自分でやることだと思います。
なにもかも一番できる、決して気を抜かない、なんてことは不可能だと思うので、自分がどうありたいかを考えなくてはいけない。

 

小さい頃には、悪い言い方をすれば、「評価されやすい、見えやすいところ」が気になりがちです。

  • きちんと挨拶をする。
  • いうことを聞く。
  • 〜ができる(勉強だったりスポーツだったり)。
  • 人に迷惑をかけない。
  • マナーを守れる。

けれど、ある意味そういうことは多くの子にはちょっと言えばできることでもあります。ここまで育ててきて、大事なのはもっと別のところにあると思いました。

  • 自分で考えることができる。
  • 善悪を判断できる。
  • 周りを観察できる。
  • 自信を持つ。
  • 失敗を恐れない。
  • 細かいことでくよくよしない。

たとえば、上のようなことをできれば、自ずと規則やマナーへの向き合い方もわかってくるでしょう。
自分で考えられれば、いちいち細かい指示を出さなくて済むでしょう。

自信を持つということは、自分のやる気にもつながりますし、他を貶めることもないので、大事かと思います。
失敗を恐れない子は他の子の失敗を笑わないでしょう。

くよくよしない、これは生きていくのにすごく大切な気がします。細かいことを言い過ぎると、子どもも細かいことに反応すると思います。そして、それが悩みとなったり、他者へのイライラになったりする。

 

時々「ほめるところなんてない」という親御さんもいらっしゃいますが、そんなわけはない。ほめるようなシチュエーションはいくらでも作れる。
なぜなら子どもは日々、それまでの自分より成長しているからです。
私はやたらとほめる育児は好きじゃないけれど(無理やりほめても子どもはわかると思います)、その子がそれまでできなかったことができたら評価するというのは、子どもに「親はきちんと見てくれているんだ」という信頼も築くことができると思います。
他の子と比べるのではありません。
逆に他の子と比べてほめると、できない子を笑う子になったり、必要以上に負けず嫌いになって、失敗した時のダメージが強い子になる可能性も。
幼稚園の頃、すごく運動も知能も高い子がいました。
運動会の全員リレーで、その子は自分のチームは足が悪くて極端に遅い子がいるせいで負けた、と大きな声で言っていました。

負けず嫌いって、努力はしますからいいように言われていますが、私はあまりそうは思いません。他人のことを気にしすぎ。
他人は自分ではコントロールできませんから、上のようなこともあるでしょうし、自分が到底叶わない他人が出てきたらそこで終わりのような気がします。
受験でダメージを受けた子を知っていますが、本当に負けず嫌いの子でした。

私が挫折を味わった時、立ち直った考え方は「たいしたことないな、自分。」ということでした。それでいいと気づいたら、あとは楽でした。
できない自分を受け入れる器もないと、生きるのは辛いだけです。
上を見なくなるということではありません。たいしたことない自分に価値がないとは思わないということです。

小さいうちはいいが、思春期以降に問題が 

先日ちょっとしたことで、息子がやるといったことをやらなかったので、「ちょっと話したいんだけど」と席につかせようとしましたが、そんな普通の話し合いさえ息子はしようとしませんでした。

「クソババア」と暴言を吐くだけが反抗期ではありません。
いつもは私に甘えるし、仲の良い息子。さっきまでテレビ番組の話しで盛り上がっていたすぐあとのことです。

小学生まで容易にできていた普通の話さえ聞かないという姿勢。
「じゃあこちらも勝手にするわ。日頃なんでもやってあげていたけど、自分でやれることはやりなさい。」
と言って、ほうってあります。

 

話したかったことは些細なことだったので、もういいやーですし、そんなことで何も言わなければよかったか、と悩みもしますが、反抗期ってなかなか手強いです。

親は、これだけ大きくなったのだから、いろいろできるようになっていないと困るという意識は強まりますが、子どもはおそらくそれが必要だとわかっていても聞きたくないのだと思います。

 

小さいうちは子どもは大人に見放されたら何もできません。
でも、今はお小遣いだってたんまり持っている(お年玉など)。
なんなら食事も作ってくれなくても結構。そんな感じでしょう。

とすると、小さい子は何もできない不安から押さえつけられているだけにすぎないのかもしれません。

 

とりあえず今厳しくしていうことを聞いているから、と安心していると、思春期以降に問題がでることもあるのかな、とおもいます。

  

また、親同士の情報交換できちんとやっている子の話を聞いたりすると、つい

「◯君はちゃんとやっているって」

と言いたくなりますが、それは言っちゃいけないのです。
他のお子さんもそうらしいですが、あからさまな比較ではなくちょっとしたことでも、友達の話は聞きたくないみたいです。

 

とりあえず、思春期以降にあらたにしつけるのは相当難しそう。それまでにいい関係を築いていくことが大事なのだろうな、と実感している最中です。

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