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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

価値観の違う人と話をするのは辛い

習い事 親として ママ友

価値観の違うお母さんと衝突

以前こんなトラブルを書きました。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

あまりに考え方の違うお母さんと、子どものことで意見が対立してしまいました。

トラブルがあり、普通であればそのまま自然に距離を置くところですが、個人的でない関係が続いていて、この距離感のまま顔をあわせるのは気が重かったのですが、お互い大人として接し、先日彼女からコンタクトをとってくれたので、二人で会って話すことになりました。

すでにトラブルについては互いに話したいことをすべてぶっつけあってしまったので、本音はお互い分かっていて、思うほどストレスはありませんでした。
この先まだ少し関係は続けなくてはいけないので、どうせなら気まずいよりはと思ってのことでした。

その中でもやはり子どもの話になり、考え方の違いがぶつかり始めました。

「でも私とあなたは考え方が違うからこの話題について話をしない方がいいと思う。」

今ではそう言えてしまうので、話は白熱しないですむのですが。

考え方が真反対 

ご存知の方も多くいらっしゃるかもしれませんが、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」という言葉があります。

外発的動機づけとは簡単に言うと賞罰でやる気を出すこと。内発的動機付けは報酬に基づかない自分がやりたいからやるということのようです。

それについてわかりやすい記事があったので紹介させてください。

www.nikkei.com

試合終了のホイッスルが鳴りました。本来ならここで、選手たちは涙を流して大喜びするシーンのはずでした。

 ところが、私の胸にまず浮かんだのは、歓喜ではなく安堵の感情でした。「もうこれでコーチに怒られなくて済む」「理不尽なしごきを受けることもないんだ」――。日本一になれたという喜びや満足感よりも、そんな感情ばかりが浮かんできたのです。

 もともと好きで始めたはずのサッカーが、いつしか次第に、楽しくない、苦痛なものへと変わっていきました。当時の私は、ロボットのようにただ指導者に言われたことだけをやる選手でした。

上記サイトより引用

この気持ち、すごくわかります。

私はそこまで厳しくもない普通の習い事でしたが、いくつか親が必要と思ってやらされたことをやめたとき、ほっとした以外の気持ちはありませんでしたし、今振り返ってもやってよかったと思ったことはありません。身についてもいません。

母は「苦手なことを無くした方がいい」と考える人。辞めたいと思った習い事もすぐには辞めさせてもらえませんでした。
苦手なことをやらされるので、身にもつかず活躍もできなかった、自分の自由な時間を無駄なことに使われたと思う私と、子どもや甥姪の塾などの話をすると衝突することもあるので、もうあまり話をしないようにしようと思うのです。

それでもその後の進路などは自由に決めさせてくれたので、感謝しているのですが、上のブログのような「言われたことだけやる」を長く続けると、次第に無力感に襲われるのじゃないかしら? そして高校生くらいになって急に「やりたいことはないの?」と聞かれても、もう自分が何をしたいのかもわからなくなる。

 

ところで先に書いたお母さんは、「外発的動機づけ」、私は「内発的動機づけ」をしているので、いつまでたっても平行線なのです。

そのお母さんは、「高校時代、テストに出るから勉強をしたのにテストに出なかった。やらなければよかったと友達と話していたら、先生に勉強はそういうものじゃないと言われた」という話をしていました。
「上の子がテストと関係ない本を読んでいるからそんなことより学校の課題をしなさいと言ってしまうんだけど」とも。

さらに「こんなことを習って社会に出て何の役に立つのかと思う」と。

私は勉強そのものに魅力を感じないと勉強を苦もなく長時間集中してやることは無理だと思っているので、直接試験に出るとか出ないとかより大事なことはある、と思うのです。実際私は中学生の時、学力テストはよくできましたが、定期テストの「ここ丸暗記しておいたら出ます」的なものは一切やらなかったので、あまり内申点がよくありませんでした。内申点を取るという目的にあまり興味がなかったのです。褒められたものではないのですが。

大学受験も完全に独学でしたので、マニアックな問題集までやりすぎて、それは失敗したな、と思うのですが、やはりいまだに予備校の受験テクニック的なものだけささっとこなして〜みたいなのはあまり好まないのです。要領悪いです。大事なのは合格することですからね。

お互い若い頃からまったく別のタイプだったのです。

 褒められたい親

先日その方も含めた数人で話していたとき、とある人(話し手の知人かなにか)が志望校に合格したときの母親の第一声が「これだけ私があなたのためにいろいろやってあげたんだからね。」とさも母親の功績のように言われてその子が失望した、という話が出ました。
例のお母さんは「当然だよね。」という反応でした。
私は「まず子どもを労ってよ、ってことだよね。お母さんをねぎらうのはお父さんの仕事。」と話すと「ふーん。」と一言。
実際「褒めるところがない」と文句ばかり言っていますが、いざ子どもの成績が上がったときは「やれとうるさく言った私のおかげだからお礼を言いなさい。」と言った方なので。

 

自分は子どもに労えというのに、子どもはほとんどほめない。
「◯◯くんちょっと(お母さんの評価が低くて)かわいそうよね。」と他のお母さんもその親子のことを話していました。さほど親しくない人でも感じるようです。

 

できれば、あまりに価値観の違う人とはそういった話題は避けたいと思うのです。
もうこちらも話して相手を変えられるなんて思っていないので、それこそ時間の無駄な気が…。

 

先日の会話でも下の子が勉強をやらなくて困るという話をしているのですが、そこから「だってきちんとやらせなきゃ、将来困るじゃない?」の繰り返し。

私は、とりあえず本人の興味関心に寄り添って、その先に大学進学がある、といった話の持っていき方をしていくタイプ。

彼女は、「とにかく今やらないと困るのよ!」と言い続けて「だからこれをこなしなさい!」と言い続けるタイプ。上の子は比較的素直に聞きましたが、下の子は「絶対やだ!」と反抗しています。実際にまだ小さかった下の子に、上の子の塾見学の付き添いで連れてきて算数ドリルをやらせようとしているのですが、本人が全く興味を失っているのにも関わらず、それは気にしないかのように、「ほら、ここやってみよう。問題読んで。」といい続けていて、隣で見ていてもうんざりしました。
「きっと勉強嫌いになっちゃうなぁー。」と見ていました。そして、実際今それで困っているようでした。

長い目で見ず、今ここにある課題をやらなきゃ!という具合。

 

でも、実際できていないのだから、考え方を試行錯誤しつつ変えていったほうがいいと思うのですが。できる上の子にもやらない下の子にも常に「困る」と言い続ける子育て。
私もやはり聞くの疲れたよ…。

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誤解のないように補足を。
別の記事で書いた知人親子みたいにひどいことにならない限り、別に私と違う価値観の人を認めないというわけではありません。
私も息子が小さい頃はなにもわからず、とりあえずいろいろできる子にさせたい! と少しは思っていましたから。例えば育てやすい、好き嫌いのあまりない真面目なお子さんなどの親御さんだと、何の疑問もなく、「外発的動機づけ」で成功に導いていらっしゃる方も多いのかと思います。

私に似てやりたいことが明確なタイプの息子を育てながら、少しずつ、「ああ、これはこっちかな。」と軌道修正しながらいまの私の価値観は出来上がってきたように思います。

学校の先生の「いまはとにかく親御さんは息子さんの勉強について口出しせず信じてあげてください。」という言葉と、別の保護者の方などと話題になった、「卒業後に本当に活躍する子って最初のうちはたいして成績がよくなかった子らしい。」なんて話を聞いて、やはり私はじっくり本質的な部分から勉強などやるべきことの必然性に自分で気づいてほしな、と思っています。
もちろん無為にすごさず、さりげな〜く先のことを考えてもらうように導けるよう頑張らなくてはイケナイノデス!

 

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