少し前、クイズ番組「Qさま」で、美輪明宏さんが水木しげるさんの話したこととして、「僕(水木さん)は70超えてから週一回くらい新しく学ぶものがあるの。」というような話を紹介されていました。
40を過ぎて少ししてから、日々学ぶことは多いなと思うようになりました。
本で知識を得るということとは別に、生きていて「あ、そうだったのか」ということ。
それまでは、あと何十年たってもそう変わらず自分はこのまま年老いていくのだろうと漠然と思っていたけれどそうではなく、水木さんじゃないけれど、日々わかってくることがあるのだろうな、と。
だから年をとった人の話って貴重だな、と感じたのも最近です。
あるブログで、東京ってこんなところだと語って、だから東京を出て行きますといった話を読みました。
そのこと自体には別に反感を持ったわけでもなく、確かにね、というところもありましたし、その人の見方ですから、そこを否定するつもりはありません。東京は消耗する町らしいですしね。
ただ、その方が「東京」と一括りにして語った内容のいくつかは、私の周りまたはある場所では当てはまらないな、と感じました。
東京都全部を指しているのだろうと言うつもりは毛頭ありませんが、23区だって、全然違う。
オフィス街、下町、山手、繁華街、県境の町、川沿い、海沿い、広い公園の近く。
実はかなりの自然に囲まれた大きな公園は23区内にも何個もあったりします。
「ミュージックポートレート」という番組で、くるりの岸田繁さんとピースの又吉直樹さんが自分の人生とその時影響を受けた音楽について語っていました。
その中でくるりの「東京」という曲をあげていました。
この曲は私も好きなのですが、上京してきた人の中での「東京」ってこういう心細さを感じさせる町なのかな、と思いました。私には真の意味では受け取れない感情かもしれません。
期せずして、そのあと前に録画して何回か見ていたサカナクションの番組を見ました。
山口一郎さんが、「実はあまり東京に来てから町を歩いていない」と言って、はとバスに乗って浅草などを歩くのをみました。
サカナクションにも「モノクロトーキョー」という曲があって、同様に少し冷たい東京が描かれています。
そしてそれは、彼も話していた気がするけれど、「地方出身者の集まる町・東京」なのでしょう
そういうアウェーなフィルターがあるのだろう、それを通してみる東京と、祖父の代から住み続けているふるさととして私がみる東京って違うのだろうな、と思いました。
一方、私の友達は兵庫の田舎から、東京の街に憧れて上京して、そのまま気に入って今でも一人で東京で生きている。
私は東京でも近所を引っ越すくらいなのですが、実際違う東京の町に住めば、もっともっと違いを感じるのでしょう。
それにしても、東京は外から来る人でできている町だからこそ、驚くほど寛容でもあると思うのです。
私のうちの近所は、生まれた時からずうっと変わり続けています。
一方で古いものもたくさんあります。学校の校舎も恐ろしく古い。
江戸時代の誰それが作った、戦前に誰それが建てた、そういうものが日常にあります。
郊外育ちの友達の学校や町がわりと新しいことを聞いて改めて感じたりします。そしてそれがだんだん新しく変わっていく。
いいも悪いもない
そんな感じなんだと思います。
東京の町は驚くほど違う。車で走ると、目の前の景色はどんどん変わっていく。
住宅街かと思うとビジネス街の四角いビルが広がったり、高層ビルの展望台から四方を見れば、その方角によって町の表情は大きく違う。
常に生きていて、動いている感じがします。
もしかすると、その規模の大きさや特殊さゆえに、冷たさを感じるのかなぁとも思うのですが。
でも、東京はひとつじゃないし、その人その人で町の印象も変わるので、是非住んでいる人も住んでいない人も、いろんな東京を味わってほしいと思うんです。
最近は外国人観光客が劇的に増えて、ここは日本なのかと思うほど様相が変わってきています。休日の山手線車両で、我々以外ほとんど外国人(団体ではない)が乗り降りしていたことがありました。
また東京は変わった、と感じました。
今日のテーマはなにか、結局ひとくくりになんかできないということ。
最近自分が学んだこと。
なってみなくてはわからないこと。住んでみなくてはわからないこと。
所属してみなくてはわからないこと。
社会では、一括りが受け入れられやすくて、それが私にはなんとなくなじめないこと。
今日の記事に、テレビ番組が三つも出てきた。
テレビばっかり見ているとバカになるよ、も一括り。刺激を受ける番組は多い。
小学生も一括りではない。みんながみんなゲームしているわけではない。
進学校の生徒はみな青白い顔をしてガリガリ勉強しているわけではないし、スポーツマンがみなコミュニケーション上手でもない(又吉さんの高校時代を聞いて)。
陸上部だからってマラソン大会で活躍すると思わないでほしいと言っている人がいた。
女の子はみなかわいいものが好きなわけじゃない。
男の子がみな女好きとは限らない。
一人っ子はみんなわがままではないし、動物好きにも悪い人もいる。
子どもがいないとかわいそうでもない。
先生はみな正しいことを言うわけじゃないし、間違えないわけでもない。
同じく親がみなきちんとしているわけではないし、至らないこともある。
子連れの親の集団がみな常識はずれではないし、先生に意見する親は全員モンスターペアレントではない。
人を傷つけるのは、理解のない言葉であることが多いと思うのです。
私に主張がないわけではない。むしろあるけれど、相手が自分とは考え方が違うということを理解する、これが少しだけできるようになってきて、少し人に寛容になれた気がします。
いくつになっても成功しても、日々学ぶ水木さんみたいに受け入れる器がほしいと思います。
なんでもありの東京みたいに、できるだけニュートラルでいられたらな、と思います。
冒頭から最後まで、とりとめがないですが、今回はこのまんま、まとめずに終わります。