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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

考える力をつける教育が難しい日本

大学入試改革について、下の記事を読みました。

diamond.jp

 

センター試験に変わる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に記述式が導入される予定とのこと。下記ご参照ください。

mainichi.jp

新テストの「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」は思考力を重視し、国語と数学の一部で記述式問題が導入される。大学入試改革を議論する文科省の専門家会議が今年3月の最終報告で記述式の導入を提言した。

mainichi.jpより引用

 

ダイヤモンドの記事では、それに対する疑問を呈しています。

イギリスでの同様な試験システムを紹介しつつ、それとの違いに触れています。さらに、

正直、記述式問題を含む総合的な学力を問う入試を実施した時、まともに対応できるのは、文系で言えば国立は旧帝大7大学、私立は東京六大学と関関同立プラスアルファくらいなのではないだろうか。他の大学では、多くの答案は空白か、ほとんど採点不能な回答ばかりということになり、入試として成立しないだろう。

http://diamond.jp/articles/-/110227?page=3 より引用 )

 

ここで、なるほどと思ったのに公立中高一貫校の適性検査について。

公立中高一貫校の「適性検査型入試」に対応した塾のカリキュラムを確認すると、「国語」「算数」「理科」「社会」だけではなく、「政治」「経済」「歴史」「科学」「生物」「地理」など、専門性の高い分野の膨大な知識を叩き込み、どんな総合的な問題が来ても対応できるように指導している。つまり、学生の勉強量は、現行の入試よりはるかに膨大なものになることが予想される。一方で、記述式の問題で一発勝負の受験となると、出題されるものは膨大な勉強の100分の1にもならない。ほとんどの勉強は無駄になるという理不尽さがあるのだ。

http://diamond.jp/articles/-/110227?page=3 より引用)

 

塾に行かなくても合格できるべきである公立中高一貫校の適性検査が、結局難易度が高く、私立向けの勉強をしたりもともと学業その他多岐に渡る興味関心の強い子に有利という話も聞きます。こういうテストって結局、私立受験生の中に得意な子が多いような気がします。(もちろん私学を経済的な面で受験しないという人もいるでしょうが)

 

www.asahi.com

 

ちょうど、今読んでいる茂木健一郎さんの『感動する脳』という本で、「総合学習の落とし穴」として、こちらでもやはりイギリスで行われた日本の総合学習に近いものを紹介しています。

こちらで、教科を教えるだけでは創造的な才能は育たないとして、自主的な課題やレポートに取り組ませたそうですが、結局以前の教育に戻したそうです。

基本的な知識や学力のないところに、自主性や創造性は生まれないことに気がついたのです。

(『感動する脳』より引用)

 

 こちらの本については、また書くことがあれば改めて。

 

ゆとり教育の必要とされた経緯や、アクティブ・ラーニング、突然舵を切り直すことは難しいのかもしれません。

確かにコンピューターがなんでもやってくれるからといって、コンピューターでなにができるのかを理解していない人には新しいものを作り出すことは不可能でしょう。

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そして、そういった視野が広く多くのものに関心を持ち、それらを理解・記憶した上で噛み砕いて自分のものにするという能力は多くの人が持っているものではないし、それをさせるためには、相当緻密な準備や訓練が必要なのではないかと思います。

ゆとり教育が成功しなかったのは、その辺の準備や教えるべき人材の不足のような気がします。

 

同じ連載でこちらの記事でも、そういったことに触れられていますが、面白いのは、海外の大学教育が、自由で個性のままに突っ走ってしまう学生をきちんとした型にあてはめる躾であるということ。

 

diamond.jp

 

 この欧米流の「躾」の教育の前提には、大学に入学する前に、学生が既に「個性」「考える力」は身に着けているという考え方がある。これを考慮することなしに、欧米流を日本にそのまま導入すると、思わぬ落とし穴にはまってしまうことになる。

http://diamond.jp/articles/-/57998?page=6より引用)

 

日本では逆にすでに躾の部分はできていて、そこに欧米流が合わない理由がある。

 

また、日本では、大人が子どもに対して、先回りしていろいろなことを段取りすることが多くなってきている。「お受験」のために幼児教育の塾に通わされたり、それ以外の時間も各種「習い事」をさせられたり、休日には親が用意した娯楽の予定が入れられたりする。子どもの成長にあたって、危険や失敗につながる障害物は事前に除去される。このように育ってきた若者が大学に入っているのだ。そんな彼らに欧米風の「躾」を行ったら、どうなるのかということだ。

http://diamond.jp/articles/-/57998?page=6より引用)

 

 

私もここに考える力を阻害する原因の一つがあるような気がします。

ただでさえ習い事や塾で埋まったスケジュール。中学生も放課後に部活という決められた指示に従うことで時間の大半を使ってしまう。

 

先日も旧友に会って話をしましたが、今度中学に入る息子に彼女の夫が「体育会系のほうが職場でも受ける」という理由で運動部を勧める話を聞きました。
そういう職場はそもそも創造力よりも忍耐力や従順であることを求めているのじゃないかと思いました。

 

もちろん全ての人が創造力を問われる仕事につく必要はないのでしょうから、ちょっとやそっとじゃへこたれない忍耐力を持つ人の価値もあるのでしょうが。

 

冒頭記事に戻ると、結局記述式を解けるのはそれなりのレベルの人だけであり、センター試験のように一律に記述式を導入するのは白紙解答続出で試験にならないのじゃないかという悲しい見解でしたが、そうなのだろうなぁ、という気がします。

 

自由研究などで自ら課題を立て、実験し、レポートするというのは鍛えられるでしょうが、私も息子の手伝いをした時に、オリジナルでなにか課題をたてるということの難しさを感じました。自由研究だけ、突然「なんでも自分で考えてやってください」という突き放された課題であることを実際にひしひしと感じました。他の夏休みの宿題は、やることがわかっているから淡々とこなすのみですから。

そして、公立の小学校で、こうやって放り出された課題をきちんと向き合うのは親の態度がとても大事で、その辺は大きく個人差がでてしまうのだろうな、とも。

六年生の時には夏休み後提出で終わらず、年末に改めて研究発表をするということで、課題作成から学校の授業でやったわけですけれど、当然先生が各個人のテーマを立てることに向き合えるわけもなく、夏休みに入って改めて1週間くらいかけてああでもないこうでもないと親子で話し合いました。結局息子が思うものを選びましたが。

急にハードルが高くなる、準備もせず放り出される感じ。

 

上の記事でも

 

学生は、教員が段取りし、指示をしたことならば、レベルが高すぎると思われる課題でも、驚くほど優れた成果を出してくる。(中略)

筆者は、教員が研究課題を与えるのではなく、自ら課題を見つけて、研究計画を立てることを求めた。これまでの彼らの高度な業務遂行能力からすれば、難しいことではないと思った。

 ところが、その期待はあっさりと裏切られた。ほとんどの学生が、「先生、自分はどうしたらいいんですか?」と聞いてくるばかりで、研究課題を見つけられなかったのだ。また、いろいろアドバイスして、ようやく見つけた課題でも、それに関連する本や資料を自分で見つけられないと、すぐ「テーマを変えたい」と泣きついてくる学生もいた。

http://diamond.jp/articles/-/57998?page=6より引用)

 

まあそうなのだろうな、と思います。私自身卒業論文の時は、拙いものを提出し、提出したことを評価してもらって卒業できた、といった具合でしたので。私のころはこの記事にも書かれていますが、いわば「レジャーランド」でしたので、上の学生のように真面目に取り組んではいなかったのですが。

 ただ、レジャーランドとは、批判的な意味ばかりではなかったと思う。厳しい受験勉強で凝り固まった頭になった学生が、大学生活で勉強以外のいろんなことを体験することで、社会に出る前に人間的な幅の広さを身に着けるために必要な期間でもあった。

http://diamond.jp/articles/-/57998?page=6より引用)

 

多少記事内で前後するのだけれど、最初の方で遊びの必要性をも説いています。

 

確かに、時間が有り余っていて、それをどのように使うかは各個人の判断に任されていました。

なにやら演劇活動や音楽活動にはまってたまにしか学校に来ない子、私などはそういったクラスの中では一匹狼の男の子と仲良くなって(演劇サークルで緑の髪の毛の彼は、よく図書館で好きな詩人の詩をうつしていた。)、一緒に同人誌を出すからなにか寄稿しないかという話に誘われたり、文学同好会に入っては、レベルが高すぎて失敗したと先輩の誘いを逃げ回ったり。アコースティック同好会でチヤホヤされてみたり。

私自身はその頃のアルバイトで現在の仕事(本業と講師)を見つけたりした。
それで夜間のスクールとバイトとサークル(軽音部)で忙しかった。
たいして人に言えるようなものではないけれど。
もちろん本分である専攻科目にはまって、就職してからお金を貯めて留学を果たした友達もいた。

難しい少人数の読書会の授業を取らなくてもいいのにとって(やる気満々の四月病に毎年なる)、五月には辞めたいとヒーヒー言っている友達も(今になると私も参加すればよかったと思う)。

 

まだ大学生の子どもがいないので、最近の大学生には疎いのですが、上の記事によると実学に傾きつつあり、それなりに忙しいのではないかと思われます。なにしろあの頃よりずっと就活の比重が大きいような(私はギリギリ氷河期ですが)

幼稚園の頃からスケジュールびっしりで忙しい子ども。遊びの時間も遊び方が決まっているゲームに興じているとしたら、一体いつ考えるのだろうか。

 

自ら考える力をつけるのは、日々の弛まぬ訓練と、根気よく追究する態度が必要で、好奇心を育てること、それをどう自分のものにしていくかという方法まで、環境や親のサポートも重要なのだろうなと思うし、教育カリキュラムなどもまだまだ試行錯誤の途中なのでしょうね。

 

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