悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

自己正当化する相手に基本的なことを話さなくてはいけないのは骨が折れる

悪いことの意味がわからないのか? 正当化なのか?

「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2

 

この記事を読んで、ちょっと不安になった。

 

この子は本当にわかっていないのか。

出席票代わりのレポートを自分が友達の分もそっくりに書いて出す。

人の分まで出すことが悪いことであると知っていれば、簡単にばれないように細工をするなどするだろう。

 

あまりに堂々とそっくりのものを提出されると、その本意がどこにあるのかわからない。

 

わかっていて、知らないふりをしているのか。

細工をする時間もなかったから、堂々と出してあとは知らないふりなのだろうか。

そうだとしたらずいぶんふてぶてしい。

 

講義の代返(代わりに出席票を出すなど)は、私もしたことがある。

悪いとわかっていてもやってしまう。だから注意されれば、「あ、ばれちゃいました?どうもすみません。」と潔く謝るほかない。

そう思っていた。

 

でも、悪いと知らなかったといい、知らなかったのだから謝る必要もない、と言う。

これを本気で言っているとしたら、親はいろいろ教えることをサボったのではないかと思う。いや、すべての人がこんなことを教えてもらわなくても理解できるとは思うのだけれど。

 

ただ、恥ずかしながら、こういった会話は、我が家でもある。

例えば、あまりに勉強をしないので、これをやってから出かけなさい、などという。

勉強についての話し合いはかなり重ねてきたことで、合意の上での約束である。

だけれど、ほかのことを優先してとりかからないまま、出かけたり遊んだりしようとする。

「あれだけ言ったのに何日も約束を破っている。だから出かけさせない。」

ペナルティのつもりで言うのだが、息子の答えはいつも

「なんで?」

である。

え、なんでかわからないの?

 

勉強をやる気はあったんだからいいじゃん。みたいなことを考えているようだ。

あとよく言うのが、ちょっと指摘しただけでも

「やるって言ってんじゃん!(聞いてるって言ってんじゃん。)」

「いや、言ってるだけでやらないことが多い(聞いているように見えない)から指摘されるってわかってる? 指摘されたくなければ黙って行動してよ。」

 

思春期男子の反抗期で流せばそうなのかもしれない。

 

でも、大学生にもなって、「悪いと思っていないからペナルティは受けない」って、甘えていい母親じゃない、他人に向かって平気で言えるような人がいる。

それで不安になったのだ。

正しくない自分を受け入れられない?

上に書いたように、私だって悪いと知っていてでもやっちゃった、ということはある。それで、そういう自分を良くも悪くも認めている。

息子が謝りたくない理由はなにか。

謝る=悪いことをした=許せない

そこから出る無理やりの自分は悪くないという正当化。

「(常用の)薬飲んでないでしょ。」(薬を飲めない件はたびたび話し合いになる)

「これを先にやっていたから。」

軽い会話だけれど常にこうだ。

「あ、忘れてたー! 今から飲むよ!」

たとえばこう言えないかな? 言い訳はいらない。

でも、毎日、

「飲もうと思っていたんだけど。」

理由なんて本当はない。要するに後ろに見えるのは「仕方ないのだ。」という気持ち。

 

「何かのせいにしているからいつまでたってもできるようにならないのよ。普通にできてないな、忘れちゃったな、忘れないようにしよう、でいいんじゃないの?」

と話すのだが、とにかくそんなことが多い。

 

少しだけわかる。

若い頃は自分が正しくありたいと思う気持ちが強いのだ。

以前書いたかもしれないが、新聞の投書欄の若者は清廉潔白かのようだ。

そうして「大人は汚い」という。

 

よく言えば清いが、悪く言えば融通が利かない。正しくあるべきと教育された子は、正しくあることが最優先だったりする。自分で責任を負うことはしない。
だから、なにかのせいにしたいのだろう。

冒頭の大学生も悪いと教えてくれなかった先生が悪い、とでもいいそうでならない。

 

なんでそれが悪いのか、という話からしなくてはならない大学の先生。

同じようなことを私も息子にしていたりする。

 

ねえ、悪い自分も含めて認めないか。

私が息子をそこまで清く正しく生きなくては価値がないとか、人様から後ろ指さされるようなことはしてくれるな、と育てた覚えはない。なぜなら、私自身が正しくないことも多いからだ。

f:id:vt-maguna:20161223000706g:plain

 

だからこそ、ダメだと指摘された時は、謝ることに抵抗がない。

人間正しいと思うことだけやって生きていけるわけでもない。

 

そんなに意地をはって自己正当化をすることはない。

この大学生がどうかはわからない。自己正当化なのか、そもそもなにもわかっちゃいないのか(そっちの方がずっと困るけれど)。

 

息子にはいう。

ダメだったらなんかのせいにしないで、気持ち良く謝ればいいのじゃないかと。

 

自己肯定と自己正当化は違うということを、とてもわかりやすく書いている記事があった。

 

yamayoshi.hatenablog.com

 

自己肯定はできない自分を認めている。

だからこそ、「今はできていないけど、少しでも改善しよう」という気にもなるのじゃないか。

 

ちょっと前の記事に通じるかもしれない。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

100%胸をはって生きていくことは難しい。できていないところは自分でフォローしつつ、そんな引け目を自覚した上で自己肯定できたらいいのじゃないか。

 

引用ブログにも諦めるという言葉がある。

諦めるは必ずしもマイナスの意味ではない。「明らかにする」という意味があるという。

自分のいたらなさをごまかして正当化するのでなく、きちんと受け止めることができるように息子にもなって欲しいと思っている。

 

にほんブログ村 子育てブログへ