オイコノミアという番組で、競争についてやっていました。
再放送でしたが、「競争しないとダメですか?」というタイトル。
競争は効果的
競争の効果としてピア効果を紹介していました。
競争をした時の方が、一人の時より効果が出るという。
自転車レースの結果として、個人タイムトライアルと、競い合っての結果とでは後者の方がタイムがよかったという例。
けれども、ある集団でトップクラスと下位クラスを混ぜたところ、下位の人たちの成績はむしろ下がったそうです。
これは、経験上想像できますよね。あまりにも優秀な集団に混ぜられたら、少し頑張ったところでどうせ上がれない。
小学校の徒競走にて
私の小学校時代の運動会は、背の順で徒競走をしていました。
実は私は学年二番目に足が速かったのですが、一緒に走る子はいつも背の順が前後している学年一番に速い子でした。それで私はリレー選手にはなるけれども、徒競走で一度も一位をとったことがありません。
ところで、息子の小学校では運動会前にタイムをはかって、タイムの近い子どうしを走らせる、という方法をとっていました。
ですから、相対的に遅い子でも一位を取れる可能性がある。逆に上の私のようにいつも一番の子と二番の子が一緒に走って、二番の子は日の目をみることがありませんでした。
それでも私は、息子の学校のやり方の方が楽しいな、と思うのです。
私自身、リレーには選ばれていたし、二番の子は多くの子に足が速いことを十分知られている。そこですでに満足しているのではないでしょうか。
まあ、息子の学校でもあ、これは速い子のレースなのね、とわかってみんな見ているわけですけどね。
それよりも、力を出せば勝てるかもしれない、というやり方の方が、あらゆる速さの子が頑張れるし、保護者としても見ていて楽しいのではないでしょうか。
前に母とその話をしたら、母は、速い子が一位を取れないのはかわいそうと言っていたので、人によって考えは違うと思うのですが。
でも、速い子って私ではないけれど、すでに満たされているわけで、一位でも二位でもそう変わらないのかな、とも思うのですが、これも人それぞれかしら。
それより、自分が足が遅かったとしたら、そういうことを考慮されないでいつも自分より速い子ばかりいる中で走るのなら、徒競走はおもしろくない競技になってしまうのかな、と思うのです。
競争の効果
競争がなければ、自分がなにが得意なのか苦手なのかわかりませんよね。
学校が絶対評価しかないと、自分がどこを目指せばいいのかわからなくなります。
最近は中学生も学校で順位の出るようなテストをしなくなり、おそらく公立中学校では定期テストの順位も出さないので、その子がどれだけできるのかどうか、本人でもよくわからなくなっています。小学校の時のように挙手で答える機会などが多ければまだ周りと比較できますが、中学ってそんなにありませんよね。
高校受験を考える時に、どの程度の学校を射程に入れれば良いのかわからず、勉強を教えている子に自宅で受験できる模試などをやらせたこともあります。
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中学三年生にならないと普通の公開模試もあまりなかったりして。
その辺は受験の準備を早めにするのに、もう少し学校側にも配慮してもらいたいところです。
塾の効用
そういう意味では塾にいくことで、相対的位置が確認できるし、競争によって目標も定められることでしょう。
塾にお金を払ってでも行った方がいいことの大きな理由だと思います。
ただ、塾でもクラス分けがなかったり、クラスが少なすぎると望んだような効果は得られないのかもしれません。
息子が通っていた塾は大変細かいクラスわけがあったおかげで、少しサボっただけで1、2クラス平気で落ちるので、状況がわかるという面では大変有効でした。
その分少しでも頑張れば上がったという実感もあるわけですから。
もちろん、そういう過酷な競争が向いていることいない子といるとは思うのですが。
競争は適性を見極めるためのもの
番組で印象的だったのは、たとえば学校に行って成績や運動やいろいろなことをいっしょにやることで優劣を知るということは、つまり自分の適性をはかることだという話。
MCの又吉さんも語っていました。
なぜ自分が苦手なんだろう、と周りを見て知ることが学校で学ぶことの目的だと思うと。
さらに又吉さんは、そのように学校では適性を見極めればいいのだ、ということを教えてくれないことに不満をもらしていました。
確かに、学校にいると、なんでもできることが評価されるだけ、という気がします。
できないことにあまり固執せず、できることはなんなのかを探せば良いという視点を持つと、ぐっと伸びるチャンスも増えるのではと思うのです。
以前書いた、諦める力についての考えと被るかもしれません。
又吉さんも、あまりにできなくてもいいと言い過ぎれば、チャレンジしない子になってしまうけれども、というようなことを話していましたが、その辺のさじ加減は考える必要があると思います。
さらに又吉さんは、勝った人ばかり注目されるけれども、それがいやと。
ゲストの元EXILEのMAKIDAIさんも、今はダンスをやる子も増えたし情報もたくさんあるけれども、競争ばかりにこだわるのではなく、独創性だとか人とうまく合わせることも必要と。
たしかに適性を求める中には、順位だけではなく多様性も評価する必要があるかと思います。
思い出したのが、息子の小学校のとき、子どもたちがプレゼンをしたときのこと。
自分の設定した課題の研究発表でしたが、その中にはいろいろなものがありました。
- 研究内容が高度なもの
- 時間をかけて丁寧にやっているもの
- 努力や周りの人の協力を得られているもの(調査)
- 内容はシンプルだがプレゼンが魅力的なもの
- 技術的にはそう高くはないが、話が面白いもの
- 友達との共同研究
もちろんその発表では順位など何もつけてはいませんが、もしつけるとしても1位2位という評価では見えてきません。
学校の評価って、こういうのを個別にされたらきっと子どものやる気ってもっともっと伸びるだろうなーと思うのです。
もちろん今の忙しい先生にそこまできめ細やかな評価ができないだろうことはわかっています。やはりそのような評価ができるような余裕ができるように環境を変えてほしいと思います。
親としては、そういう発表を見た後には、そのように他の子のものも評価をすることで、子ども自身にも多様な価値観をつけることができるのかな、と思いますが、なかなかそういう機会は少ないですよね。
小中学校で競争は可能か
公立の小中学校で、競争を取り入れて授業をクラス分けするなどは可能でしょうか?
女子高の女の子がしっかりするのは、男子に頼らないから、なんて言われることもありますが、たとえば実験をしたり、グループで何かを考える時にも得意な子に頼りがちなことはないでしょうか? そうすると、リーダー的な子はどんどん伸びていき、そうでない子はいつも受け身となって、差は開くばかりのような気がします。
今の学校でのグループわけなどは先生がそういったことに配慮してくれるのでしょうか。
私などは小学校時代班長やグループ長ばかりやらされていました。そう積極的な方ではなかったし、決してやりたかったわけではないけれども、その経験があるからこそ、未だになにかをやるときに仕切る側になることにそれほど抵抗もありません。
でも、小学校時代の友達と先日話していて、PTAなどの話になったときに、
「私はとても(しきること、人前に出ることは)できないわ。」
と言われて改めて彼女の小学生時代を思い出せば、確かにいつもその他大勢でついてくることが多かった。やってみればたいしたことないのですが、やったことのない人には自分はその器ではないと最初から諦めている節があります。
息子の小学校では人数が少なく、それぞれがリーダー的なことをやらなければ足りないということもあり逆によくわからないのですが、今の小学校でも私のときのように、そつなくこなせるタイプの子にあらゆる仕事が集中するのでしょうか?
小学校、中学校と先生の指名が多かったなあと思うのです。
そして、当然ながら受験をして同じような子が集まる高校では私の活躍する場はとくにありませんでした。そこでも活躍する人はいるのですけど。
学習の内容なども、小学校ならまだできる子が簡単な授業を聞いていても、そう無駄には思えません。それだけ余裕があるからでしょうし、じっと座って授業を聞くことそのものも課題であるともいえるでしょうし。
中学校などは、全員同じ授業というのはちょっと大変だった気がします。
ピア効果をうまく使って、それぞれのレベルの子があとちょっと頑張ろうと思うようにできるといいのにとも思います。
こんな記事もありました。
RIETI - チームか、個人か:インセンティブが子どもの学習生産性に与える効果