とあるブログで読みました。
受験をする子どもの話から、定番の
「高学歴だからといって仕事ができなかったりする」
だから、そんなにこだわらなくても。
といった話。
その話の結論自体には特に反論もないのですが、
そもそも高学歴と仕事ができるって相関関係にあるのか?
と疑問が生じました。
一般的にはそう言われることが多く、多いからこその、
「高学歴なのに使えねー。」
という、なにか複雑な感情からくる批判のようなものが当たり前のこととして語られていたりします。
自分も昔は親に少なからずそれに似た価値観を与えられていて疑問も感じませんでした。
でも、実際自分が子育てをしてみて、周りの子をみてきて感じたことは、
一般的な頭の良さ=受験に強いいわゆるIQをベースとしたもの
というのと、
周りをみて自分がいまどう動くべきかという、仕事に欠かせない能力ってかなり違う分野ではないか、と思うのです。
そして、後者はどんな仕事にも必要ですが、IQ的なものは分野によってそう高いレベルが求められないもののほうが多いのでは?
私は息子が後者のような、周りを見てテキパキ動いたり、時間管理を上手にして効率よく進めるという能力が他の子に比べて低いと就学前から心配していました。未だにそれは治りません。
その代わり知識的なIQはおそらく平均よりは高いと思われ、多くの人よりは苦労をしないで勉強をすることができる、と判断しました。
この子が社会に出て行く時、
こんなに時間感覚がなくて、
こんなに周りに目を配れなくて
一体どこの会社に勤められるのかしら?
それで、取り柄として選ぶなら、勉強なのじゃないか、彼は苦手なことを努力することが人一倍辛い様子。それなら苦手じゃないことを。
そう考えて子どもに勉強の道を進ませる親がいることもわかってほしいなぁ。
だからこそ、後者のように動ける、いわゆる優等生タイプのお子さんなら、必ずしも超高学歴を得なくても道は明るいと思うのです。
そういった友達のお母さんが、学校の偏差値にこだわりすぎて親子とも傷ついていらっしゃるのを見て、なんとも複雑な気持ちになりました。
多分その子は社会に出て生き生きと活躍できるよ、わりとどんなところでも。
それが望めそうもないから、せめてなにか得意を見つけて、進学校に進ませているのです。
「高学歴なのに使えねー。」
って、言葉にちょっと複雑になりました。
以前茂木健一郎さんが東大生に勉強ばかりしていたってダメと言い切っていて、東大生が「こんなに頑張ってできるようになったのだから、そこで評価するのが公平だ」的なことを言っていました。
茂木さんの言いたいことはよくわかりますが、今思えばそれは彼らなりの不器用さでもあって、ちょっと気の毒でさえあります。
もちろんこれから問われるのは、というか今までだって問われてきたのは、臨機応変に動けたり、新しいアイデアを生み出せたり、またはちょっとやそっとじゃへこたれなかったり、勉強以外の能力が多かったと思います。
それでも就職活動では高学歴が優遇されてきたからか、勉強が得意な子への世間の目ってわりと厳しかったりしますよね。
以前書いた、アスペルガーの方の連載でも、著者のご友人が大変優秀な反面、職場になじめず苦労されていました。
勉強が得意って全然最強じゃないですよ。
むしろ、突出してできる方には、突出してできないこともあったりするのだな、と知りました。
ですからそういう方への揶揄は減るといいなぁ、と改めて多様性を認める社会になってほしいと思ってやみません。