巷で大人気の「うんこ漢字ドリル」。最近ではテレビでも取り上げられていた。
これの是非についてあれこれ言われていた。
まず、表紙かわいい! うんこ先生キュート! デザイン最高。 発想も面白い。
率直な感想でした。これで興味を持つ子が増えればいいんじゃない?
がファーストインプレッション。
そういえば息子の小学生時代のドリルもアトムだとかいちいちキャラが書いてあって、なんだろうこれはと思ったのを思い出した。自分のときにも進研ゼミなんかはマスコットが出てきてはいたが、学校のドリルは大して面白いもんじゃなかった。
そもそもドリルなんて楽しくないんだから楽しそうに装わなくてもいいのじゃないの? とアトムの表紙を眺めてなんだか媚びているなぁと思ったものだ。
表紙といえば、ジャポニカ学習帳に虫の写真を使うなとか、なんだか子どもの頃の常識と今の常識はちょっと違う、と思っていた。
気持ち悪いってなんだ! しかも教師までって! 「ぼくらはみんな生きている」んだ!
昆虫ファンはもっと怒らなくては!!
ちなみに復活したらしくてちょっとホッとした。
↓虫の表紙が3年ぶりに復活 人気投票で(毎日新聞)
虫が怖いとかキャラがついてないとつまんなそうで勉強できないとか、最近の子しょぼすぎないか?
んで、苦肉の作でうんこなのか。テレビでも、これで少しでも興味を持ってくれるなら、と言っていて、まあそうなんでしょうねと思ったけれど。そうなんでしょうね。確かに。
ここまでお膳立てしないと勉強できないのかよ! とちょっと情けなく思ってしまったりも。
別にね。うちの子にはドリフのDVD買って見せてたくらいだから、うんこなんてお下品なと言うつもりは全くないし、その、全部の例文に絶対「うんこ」をからめるというアイデアも、面白いし、さらにそれが商品化して、さらにこんなに売れるなんて面白い!
そういう気持ちはあるのだ。
あるのだが、テレビで紹介されているのを見て、なんとなく例文が気になった。
だけど誰に言うこともなく心の奥にしまっておいたところのこの記事で、「ああ、そうそう。こういうこと。」とモヤモヤがすっきり晴れた気がする。
どうしても無理矢理感がある。これは、大人の、いわばそれなりに知的に理解している人の間での予定調和の無理矢理感ならいいのだ。
「そんな状況ねーだろ!」
と突っ込みながら笑う。
でも、漢字ドリルってそもそもその漢字や熟語の言葉そのものを習うものでもある。
記事で例示されているように、文脈と覚える漢字に関連性がなかったりするし、第一、存在しない物事が多く出すぎている。
こちらのサイトの例文にあるが、「うんこ担当」とは意味不明。
たとえば「大道具担当」「美術担当」と言われれば、「担当」とはある仕事の係りをおう人なのだろうな、とそれだけで予想がつくが、これではそういった思い起こさせるヒントはまったくない。
そういえば息子が小学二年生の頃、漢字練習帳で、一つの漢字を習うときに一ページに書き順や書き取りなどとともにその漢字をつかった例文を考えて書く仕様のものがあった。
このサイトに見本があるが、漢字学習帳というやつだ。
そこで息子は毎日二つの例文を作るのに大変気合を入れていた。
いかにうまいこというか。それは、単なるこじつけとかじゃなく、まさにこれ、といういい文章を練り出そうとしていたのだと思う。少し笑いの要素を入れてはいたが。
確かにうんこ漢字ドリルの例文は短いし、他のドリルもそうかもしれないが、特にこれはうんこに結びつけるためにどうしても強引な文になってしまっているし、文章や語彙を学ぶ働きはできていない。
むしろ、こういう支離滅裂でもなんとなく主語述語があればそれが例文だ、と勘違いしやしないかという懸念がある。
それ以前なのよ! まず興味を持ってもらわなきゃ! という人の気持ちもわかるが、同時に暗澹たる気持ちになる。
個人的に購入してやるならいいけれど、学校指定のドリルにはしてほしくないなぁというのが本音。日本語の語彙などあまり語られないが、一つのことをいろんな表現で言えるようにとか、そういう力は地道な日々の学習や読書で培われるのだと思う。一朝一夕にはできないからこそ、こういった教材で美しく適切な日本語に触れさせてほしいと思ってしまう。
それでも、このドリルなら頑張れる!と言う子を陰ながら応援はしています。
それにしてもうんこってこんなにブログに書くことになるとは思わなんだ。