悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

悩みながらたたかう

ここ半年くらい、中高一貫校に通う中だるみの息子にはいろいろ話すことにしてきた。
その前、このブログを始めた昨年の春くらいからは、反抗期の息子に耳をふさがれて、しばらく任せてみた。

結果は悪かった。

 

よく中学受験に向いていない子に子どもっぽい子というのがある。目標をたててそのために自分を律して頑張ることができないと難しい。
そういう意味では息子は向いていない方だったと思う。たまたま暗記が人より得意だったのと、塾が面白かったから、目標とか関係なく、家では私のサポートによってどうにかこうにか今の学校に入ることができたのだと思う。自分の中学生時代は勉強もせず遊び呆けていたとほほだが、それに比べても息子は中学生の間幼稚だった。

 


要領よくできない、だけどいろいろやりたいことが多い。
正しい優先順位もつけられなければ、スケジュールをたててもその時の気分で簡単に破ってしまう。その積み重ねが、成績に如実に表れている。

 

優秀な子は親にほとんど勉強しなさいと言われたことがないというのはもう定番だ。
だけど、息子はそういう優秀な子ではないのだろう。
最終的にどうしたいのかは話を聞いた。
その目指すところまで、残念ながら彼が自力では進めなそう。
それがわかって、じゃあ、手助けはする、という方向性になった。

「努力できるのも才能のうち」、そういうならば、うまく努力できない息子は才能がない。だから、それなりの結果しか得られないだろう。

そう考えることもできるけど、一流の選手だって、いい師匠を見つけられたからこそ大きく伸びるということもある。

 

私は自分で考えてやってきた。だからこそ、こんなに関わるべきなのか、できないなら仕方ないと諦めるべきなのかについては悩んでいる。

 

でも、たとえばなんらか障がいを抱えている人の親が、子どもを将来自立させるために過酷な努力をして、そのおかげでその子どもが最大限に力を発揮できるようになる。そこまでには本人も親も辛くなったり悩むこともあるのだろうな、と思う。

 

時々私が息子に話しているのを、息子が素直に聞く姿勢を持たない(めちゃくちゃな言い訳を繰り返す)態度を夫が見ていて、

「こんな奴に言ったって無駄だ。やめちまえ。」

と言ったりする。その中には息子の態度をいさめると同時に、

「いつまでやってんだ。いい加減あきらめろ」

という私へのメッセージが入っているのを感じる。

親のサポートはどこまで必要か。
でも、そこは、自分が決めるしかない。
誰かに「その関わり方正しいよ」と言ってほしくて子育てをするわけじゃない。

 

さて、どうしてこのタイミングで記事を書いたのか。
少しずつ変化が現れてきたから。

 

最近の息子は、自主的に帰宅前にLINEで帰宅後の勉強の予定を送ってくるようになった。
中学受験時から話していたができていなかった自主勉強の記録を取るようにもなった。

根気よくこうしたらこう、というのをしみこむまで教えていくようにやっていくしかないと思ってきた。

それで、言えばわかり、実行できるというものでもないことを実感する。


はじめから課題を自分で考えてできる子がいる。

一度言われたら守れる子がいる。

でも息子には、何度も何度も、しみこむまで言い続けることで、少しずつできてくるようになり、抵抗もなくなっていく。

 

補足しておくが、息子は人のいうことを聞くことがとても嫌いだ。
なんでも自分が仕切ってやることを楽しんでいる。
自主性がありすぎて、困っている。
多くの子は親が言い過ぎれば自主性はなくなり指示待ちとなりそうだが、息子はそういう感じではないと思っている。

願わくばその自主性で自分なりの勉強法を構築して楽しんでやってほしいのだが、勉強が嫌いなわけではないのだが、いかんせん優先順位が低い。
優先順位の高いものにそんなに忌むべきこともない、むしろ人からは羨ましいと言われることがおおい事柄なので、なんとも頭ごなしに叱ることもしにくい。

でも、本人もなんとなく、「自分がやらなければならないこと」として「しょうがない」と思っていて

だから話していてもあまり自分のこととして受け止めていなかった。

最近「そういう学校に在籍していてみなやらなければいけないこと以外のことは、あなたが好きでやっているのだから趣味にすぎない。責任を負っていようがなんだろうが、学生の本分である勉強と比べるとやらなくていいことなのだから、今度からそれを「ゲーム」に例えるよ。」

と話した。息子は普段はほとんど本当のゲームをしない。

一度それに納得した息子は、「ゲームやりすぎじゃない?」というと、素直に受け止められるようになった。「しょうがないんだよ!」という意味のない反論がなくなった。

わかりやすい例えを使うことも大事なのだと思う。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

最近また、彼の自主活動が周囲から賞賛された。
私もそれが人の子なら、「あら、いいじゃない。そんなことはなかなかできないよ。羨ましい。」などと、意地悪じゃなく言うだろうと思う。

だが、それで喜んでばかりもいられないのだ。そういう息子に対して、もちろん賞賛されたよ、とは伝えたが、「でもね…。」とつまらん苦言を呈しなくてはならないことが辛い。
実際つまらんと思っているから。六割くらい。

でも、もう地頭だけで乗り切れるほど高校の勉強は甘くない。息子を信じることにして逃げる気にも、悪いけど本当に信じる気にもなれない。

 

活躍する人に高校時代バカをしていた人が多いことも知っている。
いろいろやっていたからこそ、今の活躍があるのだろうということも知っている。
だけど、その何人かはやはり「高校時代もう少し勉強を頑張ればよかった。」とも言っている。

それで、私はできるだけ両立させたいと思っている。
できれば、好きでやっていることを続けるのを諦めろとは言いたくない。
だからいま話しているのだ、と話すと本人も真剣になった。でもすぐ忘れるのだ。

 

もう少し人のアドバイスを聞いた方がいい。自分を省みることをしたほうがいい。
とりあえず、新しい考え方を吹き込むために、勉強法の本でも一冊読んでみてと薦めてみた。
「そうだね、何かいい本選んでおいて」
と好意的な返事が来た。
彼は物理的にも思考方法も回り道が大好きな人間だ。
先日もわざわざ途中で普通列車に乗り換えさせられて喧嘩した。
違う価値観にも触れさせたい。

子どももそれぞれだから、効果的な方法も異なると思う。
時々、これでいいのかどうか、息子に合っていないかどうかを振り返りながら、これからも少しずつたたかっていくつもり。

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