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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

大事なものはなにか。抜くところはどこか。

西原理恵子さんの新聞連載漫画「毎日かあさん」が終了するそうだ。
一時期新聞で読んでいたのを思い出した。

 

子育ての最中は無我夢中で、忙しさや悩みに振り回されて気が遠くなるかもしれないが、終わりは意外とあっという間。

この連載終了を報じるテレビ番組で、読者の子育て中のお母さんが、「毎日かあさん」の印象的なシーンをあげていた。

忙しい母さんにまとわりつく子どもたち。でも、家事が忙しくて抱っこできない母さん。
子どもたちが大きくなって過去を振り返り、

「家事なんてやらなきゃよかった…。抱っこしてあげればよかった。」

(記憶なので少し違うかもしれません)

 

 

これを読んで、読者のお母さんも自分の子どもへの対し方を見直したそうだ。

西原さんも、がんばりすぎず、「店屋物でいいんです。部屋が汚くてもいいんです。」と言っていた。

今振り返ると、子どもが小さい時の親子の関わり方は大きくその後の信頼関係に影響すると思う。

そこで問題が生じたり、距離が遠かった親子に歪みができてしまったら、それを修復するのは小さい時の努力の何倍も必要かと思うし、あとで努力しても手遅れと思われることもある。

 

先日、友達と話していて、家事サポートを試してみたと言っていた。
シングルでバリバリ働いて疲れているから使ってみたそう。


幼稚園のときにご一緒したお母さんも、週に一回シルバーサポートの方に掃除をお願いしているといって、自分は家庭で子どもを三人育てつつ、趣味の教室などをやっていました。

 

自分が無理をしすぎないため、やりたいことをやるためにこういったものを利用するのも、店屋物も同様に外注ですよね。必ずしも毎日自分がやらなくてもいい。また、100%やらなくてもいい。

 

子育てでいっぱいいっぱいになってしまったとき、大事なことをないがしろにしてしまっていないか。本当に大事なのはなんなのか。家がきれいなことか。かわいいお弁当が作れることか。素敵なママと言われることか。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

私自身は、手を抜いていい、と思うようになったのは、高校生の時。
「こうあるべき」というものにとらわれて辛くなっていた時に、自分なんて所詮大したもんじゃないんだからそんなに肩ひじ張らなくてもよい、という価値観に触れて、急激に楽になった経験がある。実はその後も自分の価値観が変わるほど大きな挫折に直面したことがある。
それで、おそらくそれから特にズボラで無理しないようになった。

そのおかげか、新生児の訪問にいらした保健師さんが、会った瞬間、「お母さん、落ち着いていますね」と言った。
まだ何も話していないのに?と思って尋ねると、多くの新生児(おそらく初産)のお母さんを見ている保健師さんは、一目見て余裕がなくなっているお母さんが結構いると。

夜泣きする赤ちゃんにノイローゼ気味になった母親が我が子を絞め殺したというニュースが、ちょうど我が子が同じくらいのときにあった。
どんな事件だったかと思って検索したら、似たような事件がたくさん出てきますね。

 

新生児は恐ろしく小さく弱々しく、この小さな生き物を自分が責任を持って死なないように世話をしなくてはいけない。
その頃は毎朝、隣で寝ているわが子が息をしていることを確認して

「ああ、よかった。死ななくて。」

そう思っていました。

ハイハイで動くようになってからは、

「子どもが寝ているとき以外の時間はずっと30秒と目を離さないでいるなぁ」

と自覚した記憶も。
うちでは1歳8ヶ月から3歳の幼稚園入園まで保育園に預けましたが、それまでは一日中子どもをほとんど一人で世話していた。

この頃の思い出がそう辛くもなく、それなりに楽しいと思っていたズボラな私でもそうだったのだから、もっときちんとしたお母さんはキリキリ胃が痛むような方もいるだろう。

 

生後半年くらいまでは母親のホルモンバランスの影響もあって、精神状態が悪くなることがあるようだが、それが終わっても、動き出す子どもの危険から守る、家から出て他の子どもとの中でうまくやっていけるようにするなど、子育ての精神的ストレスは、肉体的ストレスより多いような気がする。

 

toyokeizai.net

 

 

そして、思春期には思春期の親としての悩みがまだ続く。
子育て卒業の友達は、娘のパートナーやその家族に頭を悩ませる…。

 

それぞれのステージで、いっぱいいっぱいになってしまったときに、

一旦深呼吸してリセットし、辛くなりすぎないように手を抜いたり、諦めたりすることで、結果的にはうまくいくことは多いような気がする。

 

手作りの栄養バランスを考えた食事、だけど、極端に走り過ぎて、ストレスが増えていないか。
好き嫌いを無くそうとして、子どもを怒鳴り散らしていないか。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

もちろんその加減は考えないといけないと思うし、私自身も適当にいいものを取り入れつつ、偏食にならないよう気も使ってきた一方で、できない努力はしないできました。

 

なんとなく最近違うことで考えてきた「自分の人生を生きる」ということと実はこういった無理をして辛くなってしまうことって関連しているのじゃないかと思えてきました。

 

自分の人生を生きるというのは、自ら選択すること。
きのう読んでいたがらくた整理の本にも書いてあった。
がらくたを整理すると、いろいろ好転するという思いで講演会をする筆者に、参加者からクレームがきた。

整理したものがすぐに必要になったことが多くて困る。

それは、その人が整理することを自分で真に納得しておらず、「なくなったら困るんじゃないか」と心配を抱えたまま行動したからだ、ということ。

なんとなくわかる。自分で整理する意味をきちんと捉えて理解していれば、「やはり整理しなければよかった」とは思わないはず。

 

「この習い事をさせると勉強ができるようになるらしい。」
「中学受験をするといいらしい。」

「◯◯をさせると…」

 

こうやって、自分で納得して選んだのではなく、あの人が言っていた、この本で薦められていた、という基準で行動を決めると、その通りいかなかったときにそれは「人のせい」になる。
でも、誰も人生の責任を取ってくれる人はいない。

 

なにが大事か。何は手を抜いてもいいと思えるか。自分で考えられたら、無理をしすぎて辛くなることも少しは減るかもしれない。

 

結局、どう生きたいのか、自分が考えて決めたほうがいい。中学受験させるのかも大学へ行かせるのかも。自分がどんな親になるかも。
だから、多くの事象で「これが正しい」「こうすべき」という答えはあまり出すつもりはない。
あくまで私の考え、私の選択ということで。

 

 

 

選択に関する過去記事。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

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