悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

教育の無償化は実現するか

mainichi.jp

 ↑教育無償化、年内に方針という毎日新聞の記事(6月23日)。

教育の無償化が検討されているようだ。
どうも改憲と絡んでいるらしいところがあるが、それは脇におき、教育無償化そのものについてだけ取り上げたいと思う。

 

実は四月に「オイコノミア」という番組で教育無償化についてのテーマを取り上げていて興味深く見ていたが、先日改めて息子と録画したものを見直した。
番組は、芸人の又吉さんが地球外の星でマタヨシ国を作り、その国の政策などを考えるという設定で話が進んで、わかりやすかった。

 

 

www4.nhk.or.jp

 

教育無償化にするために、税金を負担するという考えが低い日本

家庭が大学卒業までのお金を負担すべきと考える人が多い。

日本は授業料が高く低補助である。

図表でみる教育(Education at a Glance)OECDインディケータ:文部科学省

こういう国は先進国では少ない。

マタヨシ国では低授業料・高補助の北欧諸国などのモデルを目指しているとして話が進む。現在の大学進学率は5割を超えている。一方で奨学金受給者の割合も5割程度だという。
今は社会に出た後に奨学金を返せずに苦しんでいる人の話を聞くことも多い。

 

vt-maguna.hatenablog.com

この記事を書いた時は、安易に大学を考えるな、と思っていたが、教育無償化が実現すれば、大学に行ける人は増えるし、こういう悲惨な話もなくなる。 

 

又吉さんの意見がなかなかよかった。
彼は小さい頃に学校の先生から、大学進学出来る子が少ないと聞いて、自分が今の成績や経済状況では大学進学は難しいと感じたそうだが、その頃から大学へ行けるだろうという展望があるかないかで中高の過ごし方は大きく違うのではないかという。

これは本当にそうだと思う。
はじめ見ていた息子は、

「みなが大学まで行く必要はないのじゃないか。」

と話していたが、
「はじめから大学へは行かないと思っている子の中には、受験がないのだから高校の授業だって落第しない程度にこなしていればいいという考えから、大学以前の高校レベルさえまともに習得しないまま社会に出る子もいるのではないか」
と話した。
実際私の友達の多くはそうだったと思う。進学校とそうでない高校とで教科書のレベルも大きく違っているようで(現在は知らないが)、 びっくりしたのを覚えている。

 

その又吉さんの意見を受けて、市民代表として参加していた方から、

大学に行っていた人が身近にいたり、大学とはどういうところか、といった様々な価値観があるかないかで、学習意欲も違ってくるのではないかという意見が出た。

又吉さんも「いまとなっては自分に大学へいく必要はなかったと思う」と語っていたが、いやいや、彼のような好奇心旺盛な人が自分の興味を持つ分野の学問に触れたらもっとすごい化学反応が起こるのではないかと思った。

知らない、そもそも(進学を)考える立場にない、ということで、可能性が狭まることは大いにあると思う。
私の父も経済的理由で大学は出ていないが、仕事で英語が必要になると独学でマスターし、私よりずっと話せていたし、自分の活動に必要だからとある分野の法律などにも詳しくなり、書籍を出したこともある。
こういう人が大学に行けていたら、私よりもずっと有意義に大学教育を享受できたのではないかと思う。

 

今の環境でも行きたい人はがんばればいい、という意見もあるが、みながそこまで貪欲にがんばれる強い人ではないから、そういった無償化による進学の機会があってもよいという又吉さんの懐の深い意見には納得した。

一方で彼は、大学にいけないことでハングリー精神を持つこともでき、それで活躍する人もいるので、必ずしも高等教育が必要なのか、という疑問も語っていた。

ゲストの教育社会学者の濱中淳子さんがそれに対して、そういった「小説」や「サッカー」、「お笑い」などで活躍できるのは特別な才能がなくてはできないが、一番簡単に頼れるのが教育であるので、その制度の充実が望まれると言う。

本当にそうで、学業以外で秀でて成功する割合は恐ろしく少ないことをもっと認識すべきと思う。 

大学進学の効果の誤解

濱中さんは、「大学教育は役に立たない」という誤解が、制度に対する理解を阻んでいるという。

だが、大学で学んだ専門分野が役に立っているか否かという議論になりがちだが、実際仕事をするにあたって大事なのは、大学時代にきちんと学習した経験を持っているかどうかであると。

自己学習の習慣がある人は働いてからも学習する。社会人になってから学べる人は強い、ということだ。

それは痛感する。大学時代ももちろんだが、大学受験の勉強などは特に自分に勉強をいかにするかを考える力をつけてくれた、さらに、どのくらいやればどのくらいのものをいつまでに習得できる、ということがわかるようになったのは実感している。

 

一方で、過去に周りで、「必要だとわかっていても集中して勉強することができない人」とか、「この試験の期日までにどの程度勉強すればいいのかわからず、そう難しくない試験で全く合格点に達しない人」を見てきた。

私が技術系の仕事の勉強をしている時でも、積極的に習ったことを応用する人が意外と少ないことを知った。だからこそ、それなりにでも勉強している人はその中で秀でていくのだ。
私も仕事に関して幾つかの種類の勉強をすべく専門の学校に行ったことが三度あり、そこで多くの人と知り合ったが、その中で今も実際にその技術で食べている人はあまりいないし、在学中でさえ、もっと学ばないのかと思ったものだ。
一方では、新しいこと、知らないことをどんどん会得して新しいステージへ進んでいくので尊敬してしまう人もいる。社会人にとって、勉強できるか努力できるかは能力に直結すると思う。

私は大学の学歴を仕事に利用しなかったが、そういう意味では大学へ行かせてもらったことは役に立っているのかもしれない。

 

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税金として徴収すること〜大学教育は誰のためか

むしろ若い人の方が、教育のために税金を払うことに反発があるという。

やはり、最初に触れたように、教育は個人にメリットがあるのだから、個人が負担すべきという考えが多い。
税金として徴収するならば、社会にはメリットがなくては納得されない。

ここで、濱中さんから、

大卒者は高卒者に比べて生涯で所得税をおよそ1500万円多く支払っているというデータが紹介される。

これは平成21年の「賃金構造基本統計調査」というものを元に算出されたものだそうだが、平成28年度のデータを見ても、賃金さは大卒者と高卒者で大きな開きがある。

www.mhlw.go.jp

賃金のピークの50~54歳では、大卒男は517.3千円だが、高卒男347.0千円となっている。
当然所得税もそれに準じて多く払っていることになる。

 

さらに、大学での研究などのおかげで、イノベーションが起き、それらの技術を皆が享受できている。こういった「外部性(正の外部性)」があるから、大学進学者本人だけの利益とならない、という。

※正の外部性…ある人の行動が他の人の満足度や所得に直接的な金銭取引を介さずプラスの影響を及ぼすこと

(オイコノミアより引用)

 

 

濱中さんは、社会人になって初めて必要な学問がなんなのか気づいた時に気軽に大学に戻れることも必要かと思う。

 

市民代表の方から、生活保護で大学を諦めざるを得ないが、機会があればそういう能力を持っていた子がいる、だからこそ、将来の納税者を世に送り出すために教育の機会を与えることが大事と言っていたことが印象に残った。 

 

番組のまとめでも言っていたが、巷でこういった議論がされ、新たな価値観を人々が得ることで税金の使い方への理解が進んだり、教育とはどうあるべきかを真剣に考える機会が増えることが望まれる。

 

 

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