悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

変わりたければ、柔軟な思考が必要かも。

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『自分を変えたければ「決意」より「時間配分」「住む場所」「付き合う人」を変える』

という記事を読んだ。

この記事の元となる大前さんのこの意見は、過去にも聞いたことがある。

こちらの記事に詳しい。

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余談だが、以前Eテレ「ニュースで英会話」にNHKワールドのアンカーが出演した時に、日系二世の彼女が日本語を勉強するのにワールドニュースを見ている、世界情勢も自然に身につくので、外国の人と話すときのネタにも困らないというようなことを話していた。

ところで、こんなことさえ、やっていない私からしたら役に立つ情報だが、そんなことは当たり前にやっているという人たちも多くいることだろう。
つまりそういう集団に身を置くと常識も少し変わってくるということなのだろう。

 

 

子育てにおいてもどんな環境で育てるかは大きく影響すると思う。
自分が理想とする姿があるなら、そこに近い集団に属するように努めると、少し近づいていく。

 

時間配分と住む時間は、少しリンクするかもしれない。
数年前、夫の職場がそれまでより片道30分ほどかかる遠方になってしまった。
下りの電車なので座れるのだが、疲れるとたびたびこぼすので、会社の近くにセカンドルームを探してみた。田舎なので、予想以上に安くて実現できそうだった。
家族で移るとなると、息子の学校が遠ざかる上にすごいラッシュに揉まれるのでちょっと不都合。会社と学校の中間地点は地価が高くて、不可能ではないがいまより環境が悪くなる。

 

夫がセカンドルームを受け入れるかどうかはわからないが、それによって少し生活が変わり、変化する可能性がある。

逆にいまは座って本を読む時間はとれているようだ。どちらを取るかは本人次第。家に帰ることはもちろん週末だけじゃなくても気軽にできる。食事は社食でまかなえる。
自宅で食べている現在は夜中の食事になっている。ほぼ、寝に帰っている感じ。

 

あるいは選択肢があると知るだけでも、気持ちが楽になるかもしれない。

 

いまは、近いから気軽に文化施設を訪れたりもするが、地方都市で出かけるのに2時間かかるとなると、面倒臭がりの私は出かけないだろう。そういう意味でも住む場所は影響を及ぼす。
都心は驚くほど地価が高いが、そういう便利さや時間にお金を払っているのだ、と以前友達が話していて納得した。

 

私は下町育ちで公立中高出身だ。親も大学を出ていないから、あまり高学歴の人の情報があったとは言えない。

中学までの友達はほとんど高卒か短大卒だ。
でも、大学へ行くと、中学受験をして大学まで上がってきた友達が複数いて、少しだけ中学を受験するということが身近になってきた。

夫も私と同じような経歴。だけど、いま住んでいる場所には、自分が成長した環境とは違う、いろいろな人がいる。

高学歴を期待して、というよりは、個性的な息子の居場所として、公立の学校だがほとんどの人が学区外から選択して通っている学校を選んだ。そこでは中学受験率は8割強だ。

周りが受験したからという単純な理由ではないが、自然に受験の情報は入ってくる。入って来れば、私たちが知らなかった受験して入る学校の良さも認識した。
またもや、息子の居場所がありそうかもと思った。
自分が中学にいく時には、行こうかどうかさえ考えなかったこと。高校受験でさえ、私立受験はしたが、その学校の教育理念というよりは、滑り止めで偏差値が合うところ、というだけだった。

さて、息子を私立中学に入れてみれば、もともと小学校でも少しそうであったから、カルチャーショックというほどでもないが、教育に熱心な保護者の多さに驚く。ほとんどのお母さんが、もう自分の背丈も超えている子どもの課題や宿題に詳しい。
良し悪しを言っているのではない。環境の違いは、友達づきあいにも、進路選択にも普段の生活の仕方にも影響すると実感する。

 

自分の周りの環境を「常識」としてそれ以外の理解を超えるものをおかしなものを見るような目で批判する人がいるが、「常識」なんてそもそも違うのだと感じる。


それこそ、子ども時代に、我が家とも常識が全く異なる友達の家を見てきた一方、いまの息子の友達の環境を知ったり、息子が小さい頃に、代々同じ学校に小学校から入れるような友達のお受験話なんかを聞いたりしていると、常識も大きく異なることを知り、自分の無知を知る。

そして、知らなかった実態を知ることで、「うちではここまではさせてあげられるがここから先は無理」といった限界なんかも見えてきたりする。要は、自分たちができる範囲でいい選択と思えることができればいい。

 

きっと転勤などで環境が変わることの多い人は、実感しているのだろう。
友達で環境を気軽に変える人がいる。彼女は過去親の仕事で海外もいろいろなところを転々とした経験がある。だからこそ、場所を変えることを厭わずできるのだろうな。

 

私も、いまの家は持ち家だが、貸して他の場所に住むこともありだな、と思えてきた。
転々とすることばかりがいいとは思わないが、そういう柔軟な考えを持つことも大事に思える。
プレジデントの記事で、転職のメリットが述べられている。確かに会社によっても常識は大きく異なるかもしれない。

 

家族がいて子育てしていると、夫の職場、子どもの学校などの環境、持ち家と、そこから出られないという言い訳の材料がたくさんある。

だけど、それを言い訳にして、なにかを諦めたりなにかを我慢しなくてはいけないのだったら、どうだろう。

周りを見ていると、敢えてそこから出ようとせず苦労することに甘んじている人もいるような気がするが、変えようと思えば、多くのことは変えられるのだな、と改めて。

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実は最近息子の進路についても、殻を破って考えてみることにした。
小学生の頃から、算数が弱くて、国語と社会が得意だったので、文系だろうなと思っていた。
中学入学後は言語関係にどっぷりはまったりもしている。
だけど、息子のタイプはじっくり極める研究者タイプ。小学校6年から中学1年くらいまでは夢が科学者だった。いま考えつつあるのは、いわゆる科学者というわけではないが、理系の方が息子に合った道は多いような気がしている。

 

学びたい文系学問も多いけれど、それが大学でないとダメなものか、改めて社会人になってから学び直すことはできないか、など、少し考えを広げて見ている。

もちろん成績次第なので、理系を諦めるかもしれない、文系でいいものがみつかるかもしれないが。

 

そういう自分の知らない範囲の世界を知るためにも、息子には大学の研究室の講座に通わせている。今度そこの人に聞いてみたらと話している。それから学校の先輩やOBにも。
あとは本だろうか。

知って初めて選択を考えることができると思うので。

 

↑参考にしています

 

 プレジデントの記事で面白いと思ったのは、「気の合う人」が役に立たないというくだり。
確かに。
昨晩夫が話してきた会社の若い子の話は「なんでそうなの?」と周りの同僚含め理解できない行動が数々あって、うちわでHOTな話題なんだそう。

若い他の社員には「あいつはなしだ」と切り捨てちゃう人がいるんだけど、理解できないからといって切り捨てるのは違うよね、という話をしていた。
子育てしていると、わけのわからん息子に翻弄され、なんでそうなんだと思うことしきりで、とても親近感があったりするのだ。

確かに面白いと思うのはそういうこちらからするとわけわからん人の話が多い。どうしてなんだろう、と考えることで刺激にもなれば、自分の理解を広げる助けにもなる。

 

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

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