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悩める子育て

中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

親が子どもを好きに育てる権利

タイトルに興味を持って読んでみた。

 

なかなか盛りだくさんで法律の変遷なども書かれていて、内容が硬く深いので、印象に残ったことを。

親の教育権というのがテーマで、対象は子どもを育てている親だけれど、学校でどこまで子どもを教育するのか、というテーマに多くをさいている。

 

 

学校が子どものしつけについてまで、どの程度かかわるべきなのかということを考えさせられる。学校での道徳授業についてや、憲法で保障されている思想信条の自由、子どもの教育を受ける権利など、改めて読んでみると、確かにちょっと考えさせられることは多かった。

 

今息子は公立の教育を受けていないが、小学校時代、なにか変だと思うこともなくもなかった。
当然、集団生活で守るべきことはあるが、どこまで強制されることか。

具体例として、カエルの解剖実験について子どもが拒否をする場合は、レポートを書くことで対応している学校のことや、ドイツの学校では教師が使用する教科書を選び、その理由を保護者に説明する、と言ったことが紹介されていた。

 

一方で、宗教を理由に必修単位を取れない生徒が進級できないという問題も。

神戸高専剣道実技拒否事件 - Wikipedia

灘中学校での歴史教科書採択にプレッシャーがあったという話も聞く。

地域で一律に同じ教科書が採択されて、それに対して保護者が何かものを言える機会はないのが当たり前で、特に何も考えてこなかったが、たとえばこちらの教科書の方がわかりやすい、といった観点でも、保護者がそれを選んだクラスの教師に意見を求めるドイツの話は興味深く読んだ。

 

「多様性への理解」はこれからますます重要視されている。
けれども、学校はあるひとつの価値観を「正しい」ものとして教えようとしつつあるのではないか。

 

一部の保護者が学校に人格教育まで任せようとする。だけど、それで学校(国)側が与えた「これが正しい」という教えについて、誰も責任はとってくれない。

 

なんだか昨今の休みのない部活や部活参加強制なんかの話を聞いていると、学校が休みの日の過ごし方まででしゃばり過ぎている気がしてならない。

それでも中にはそれを希望している保護者がいる、という。

確かに私の知人も

「うちの子本当ダメなんで、学校できっちり叱ってやってください。」

とよく言っていた。

本書でも校則で厳しく取り締まってという保護者がいて、たとえばバイクの免許取得禁止(学校に乗ってくるのを禁止ではなく取得そのものを禁止)とか、服装規定なんかも、そこまで学校がしきることなのかと改めて考えさせられる。

  

でも、実際あまり深く考えずに学校に任せておけばいい、と考える親は多いだろう。
学校へ行きたがらない子へも、できればきちんと言ってほしいと思ってしまうし、うちでも息子が遅刻したりするのを先生に指摘されれば、ああ、きちんとさせなければと思ってしまう。

 

子どもにとっては小中学校って、初めて身を置く社会だと思う。そこのルールというのは、すごく巨大にその人の価値観に影響を及ぼす気がする。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

ブラック部活なんて聞いていると、上の記事なんて、休む方が迷惑と一蹴されてしまうだろう。

 

 

本書の冒頭は「早寝早起き朝ごはん」プロジェクトや「親学」についても触れている。

こうであるべき、べき、べきと言って、そうでない人にプレッシャーをかける。

親学についてはこちらで少し触れています↓

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

最近は少しずつ、「これが正しい」という考え方は危ないと思うようになった。

日本は特に同じ価値観のもと、人に迷惑をかけずに生きていくのをよしとしがちで、それから外れる人は、よろしくないと思われてしまう。

それで、親も必死になって、我が子をそこからはみ出さないように、と子どもをしつける。

以前も書いたが、息子が忘れ物が多かった小学生のとき、

「周りの子が彼をそういう子だと見るようになりますから。」

体調不良でたびたび保健室を訪れれば、

「保健室に行くことが多くて、周りの子がそういう風に見るようになりつつあって」

と、当時の担任の先生に言われたときは、

「は? 事実じゃん。息子は忘れ物が多いし、具合も悪くなる」

と思ったけれど、

つまり担任の先生が言いたかったのは、
「そういう風な子がいてはよろしくない」ということなのか。

私にはそれは事実でしかなく、行動自体はできたら避けたいが、そういう行動をする子に良し悪しというイメージもなかったので、言っていることがよくわからなかった。

 

学校に毎日行くことが当たり前と思っている人は、不登校生徒の保護者に

「なんでこないの? いろいろ大変になるのに!」

と心配そうに声をかける。

 

でも、私にもそういうところが全くないかというとそうではない。
小規模の学校だったからこそ、熱心に学校にかかわる親は多かった。少人数の保護者がゆえ、PTAで何年も仕事をしなくてはいけないから、そこからはずれようとする人には、納得できない思いを持ったこともあった。

実際、組体操で軽い怪我をしたから、翌年その競技には出させないという親がいたけれど、周りの印象は納得よりも驚きだった。

組体操の危険が広く言われるようになった今となっては、危険な組体操に強制的に参加するということは、拒否してもいいのじゃないかとも思える(そして学校側は実際拒否を受け入れていた)。

しかし反面、クラスの多くが拒否をしたら、競技として成り立たなくなる。
本書でも触れられていたけれど、親の要望の中には、モンスターペアレントとひとくくりにできない問題もある。

  

この本全体のテーマからは少しはずれるかもしれないが、本書では学校選択制についても触れている。

これは、著者としては一部の選択可能な地域の人だけが受けられるものだと批判的だ。
確かにそうだと思う。

でもここで、教育界を俯瞰してみるのと、一個人の保護者として関わるのでは異なるという矛盾にぶち当たる。

 

公立の学校なのに、差がつくのはいかがなものか、という考え。
実際選択制の対象の学校の多くは人気がある。先日も英語教育だの理数教育だの学校の力を入れているところがあることをテレビで紹介していた。
そもそも息子が通っていた学校のように、少人数であることは、それだけでも贅沢だ。
50人近くがひしめき合っていた自分の子ども時代を振り返ると、息子は本当にしっかりと見守られ、居場所があった気がする(もちろん少ないからこその弊害が生じる場合もある)。

でも、一個人の親としては、じゃあ裕福で小学校からお受験できる人たちと、選択する余地のない地域に住んでいる人たちでもない、小学校から全部お金をかけるほどじゃなく、教育費は負担には違いない、と思っている層は、一律の公立校の枠組みの中に入るより仕方ないのか、という思いもある。

 

教育費は高すぎる。多くの家庭にとっては負担だ。公立の中高一貫校が人気なのもそれを証明している。国立や私立とは違う受検制度を取り入れているが、結局は私立と併願している人も多いと聞く。実際、偏差値の高い公立中高一貫校に入るには、相当の勉強が必要な気がする。公立中高一貫校の存在意義がなにかといえば、結局進学にむけて有利であることだとしたら、入試の時点でそれなりの選抜をすることが学校の志向にあってしまうのではないか。

 

news.ameba.jp


小学校からお受験する層以外が一律の公教育を受けるべきとするのなら、全く子どもの教育に興味も関心もない層と、興味も関心も大いにあるが、お受験まではさせられない層が一緒で、それ以上の環境は望めないということか。
実際私の中学時代は、通っていた中学は、ほとんど授業が自分の役に立っていないどころか、授業が成り立っていなかった。

小学校からの環境というのは、前回記事にも書いたが、のちへの影響は大きい。高校受験で取り戻せというのとも違うと思う。

 

結局公立校に頑張ってもらわないことには、塾に多額を投じて受験させたりできない層は、大きく差をつけられてしまう。

今では、公立の高校にも専門的な学校がいくつかあったりする。
普通の全日制へ進んだら経験できないような技術的なフォローが学校でできるという面で、そういう道へ進む人には(以前なら苦労してでも専門教育をしている私立高を選ばざるを得なかった)、良いのではないかと思う。

習熟度性とか少人数性とか選択制とか、それぞれの見方があるとは思うのだけれど、個人的には公立の学校に多様性があってもいいように思う。
一番望まれるのは全国の公立の学校が、学業的にも集団生活的にも多様性を尊重して、それぞれの子にふさわしい場所となること。

 

今回本書で、難しい法律の改正なんかを読んでいて、日本は少し逆行しているように感じた。

 

 

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