教育費の無償化や、前回記事のベーシックインカムなど、生きるためにかかるお金の制度も見直されるべき時なのかな、と思う。
でも、相変わらず教育費は大きな負担。できるだけ、自分でどうにかなるところにはお金をかけたくない。
実際、どんないい塾に行こうが、学校に行こうが、家庭学習ができていなければ効果は出ない。家庭学習は勉強の要だと思う。
学習だけでなく、教育についても親がどうやって教育していくかが大事。
そんな家庭教育がメインテーマの本を読んだ。
書籍タイトルに、最初は興味がなかったのだが、いつだったか書評で家庭教育の本だと聞いて読んでみた。
著者は育児書などを200冊も読み、外注先に頼らない家庭教育の必要性を感じて、一人娘に独自の家庭教育を授けたとのこと。
実際小中高と公立校で塾にも留学にも行かないでハーバード大学へ現役合格したというからすごい。
これから家庭教育が大切になる理由として、以下のように語っている。
この先ずっと日本で暮らすにしても、優秀な留学生や移民が増えて、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の技術の進歩で自動化が一層進むと、平均値ゾーンで個性のない人材は職を奪われる可能性が高くなるのです。
(『世界のトップ1%に育てる親の習慣ベスト45』より引用:以下同)
前回記事とリンクしますね。
実際次期学習指導要領でも、グローバル化やAIに対応した教育を目指しているというが、 著者は、指導要領の理想とするような一人ひとりの個性や思考にマッチした教育をするのは難しいと考える。それでオーダーメイドの教育は家庭教育でこそできると考えている。
本書は生活編、学習編、英語編の三編で構成されている。
生活編の内容は、今まで読んできたもののようで特段印象に残らなかったが、「本好きな子に育てるために親がすべきこと」という章から。
読書をさせる必要性、読書好きにさせるための具体的な方法が書かれているが、そうだな、と思ったのは、以下。
読書は子どものポテンシャルを広げるだけではありません。ママとパパが知らない分野や苦手な領域について、もっとも手っ取り早く学べるのは本からです。幅広い教養を身につけるうえで大きな武器になってくれるのも読書です。
ママとパパが読書で見識を広げておけば、偏りのない柔軟な家庭教育が行えます。
子どもの読書のお手本になる以前から、親御さんはできるだけ多くの本を読んで富士山の裾野のような広い視野を養っておいてください。
太字の部分(原文ママ)、「偏りのない」というのが割と重要だと思う。この後にも述べられているが、例えば育児書を一つしか読まなければ、それを鵜呑みにして、子育ては偏ったものになる。
ものの見方は広く多角的に見られることが大事だと思う。これからグローバル化が進めば、価値観も文化も全く異なる人たちと仕事をしたりするかもしれない。
一つの見方しかできない、というのは、他者への理解や尊重が難しくなってこないか。
「偏りのない」「広い視野」を持つために、読書は一番手軽だ。
学習編は、私が一番マーカーを残したところだ。
ハーバード大学などアメリカの大学の入試をベースに語られているが、それは日本の次期学習指導要領が参考にしているもので、最終的にはそこに行き着くと著者が考えているから。
海外大学の入試などについては全く知らないので参考になったし、改めて何が必要なのかをいろいろと考えるきっかけになった。
ハーバード大学出願に必要なリストをあげているが、分かりやすく言うと、大学入試はこれから企業の採用試験に近づくだろう、という藤原和博さんの言葉を引用して説明している。
ちなみにそんな藤原さんの取り組みはこちら。
家庭教育で伸ばすのは課外活動の成果。
これは学力を超えた創造性、個性を活かした特技、人間性、豊富な社会体験などの有無を問うものです。具体的には、リサーチ、発明、芸術、スポーツ、ボランティア活動、リーダーシップ、インターンシップ&ワーク・エクスペリエンス(企業などでの職業体験)などが含まれています。
「高校生までにやるべき13項目をチェック」という章では高校生までにやっておくべきことをリストにしている。
リストは長いものなので、引用しない。
スポーツや芸術、ボランティア、リーダーシップ、新聞などでの情報収集、自分の得意を知る、先生に人となりを知ってもらう、などなど。
スポーツや芸術は賞(アワード)を取るレベルであること。
なかなか今の日本でこれらをできていると言える人は限られているような気がする。
スポーツならスポーツばかり、音楽ならそればかりになりがちではないか。
そうしてやってきた子どもの才能や頑張りを形に残すことが大事なのだそうだ。
5教科以外の子どもの人となりや得意を示す証拠を集めることが大事で、これが何もないとしたら、5教科以外の活動が疎かになっている証拠だという。耳が痛い。
アワードが注目されるのは、「グリット」の有無が明確になるから、だそう。
グリットとは心理学者のアンジェラ・リー・ダックワースさんの研究をきっかけに注目された能力で、努力、情熱、忍耐を持ち続けて何事かをやり抜く力を意味します。
さらにポートフォリをを作ることも大切だという。
各種アワード、課外活動でのボランティアやリーダーシップを発揮した実績、アルバイトやインターンシップなどの職業体験、外国語やコンピュータ・スキルといった特殊技能(スペシャル・スキル)などをまとめます。
欧米諸国では、ポートフォリオは大学入試だけではなく、卒業後の就職活動や転職活動にも大いに活用されています。
国内でも外資系企業に入社、転職する時はレジュメとカバーレターは必須だそう。
カバーレターで企業の興味を惹く人材でなければ、入社も転職も思い通りには進まない
そういうわけで、子どものうちからポートフォリオを充実させる必要があるのだそう。
そのほか、ボランティア、インターンシップについても章立てして述べられている。
「アクティブ・ラーニングでグローバル人材に育てる」という章では、アクティブ・ラーニングこそ家庭でやるべきという。
外に丸投げしてもその時間だけ習ったところで身に付けるのは容易でないということか。
子どもにはアクティブ・ラーニングをする理由をまず述べる。
これまでの日本は〝あ・うんの呼吸〟が通じるハイ・コンテクスト社会でした。
(中略)
少子高齢化と人口減少がもっと進んで多くの外国人を受け入れるようになると、ロー・コンテクスト社会へと確実にシフトします。
(中略)
これからの社会で必要な能力だからこそアクティブ・ラーニングをするのです。
最初は日本語から。やり方は英語編で説明されている。
アクティブ・ラーニングについては、現在放映中のドラマでも取り上げていた。
個人的にはもう少し掘り下げてみたい。
次章は「お金をかけずに子どもの得意を伸ばす方法」。
家庭でアクティブ・ラーニングを行うにも子どもの得意を伸ばすためにも、子どものうちからいろいろな体験をさせてあげることが肝心です。
ユダヤ人には昔から「親が子どもにしてあげられるのは教育だけである」という考え方が根付いており、子どもに何かを「与える」のではなく、あらゆる体験をさせて子どものなかに眠っている才能や頭脳を「引き出す」ことを重要視します。
眠っている才能を引き出す、というのは、子育てしてみて痛感した。
自分がやらせたいと思っていたことと、子どもの持って生まれた才能はだいぶ違っていて、私は自分の理想を随時息子に合わせて修正しながら選択してきた。
違う子が生まれれば、その子なりの育て方をしたと思う。
兄弟がみな同じ習い事をしている、というのはありがちだが、私は多分しないと思う。
経済資本が乏しくても、文化資本が高ければ家庭教育で子どもの潜在能力はいくらでも伸ばしてあげられる
というのには随分励まされる人も多いだろう。
ツアーも格安で行けるようになった、動画サイトなどで名演を見たり、インターネットで伝統文化の基礎も学べる。
確かに。知人でそういうことが上手い人がいた。地域の無料とか格安の講座や見学ツアーを見つけては子どもたちに体験させていて感心した。
図書館だってそうだと思う。無料で教養を深めることができる。
うちは経済的に無理だからと開き直らず、できることをしようと思えば、現在は様々な可能性がある。
まずは親が趣味や教養を深めることが大事とする。
子育てをきっかけに自分も成長できるなんて素敵だと思いませんか。
確かに子育てしたからこそ出会った、私が知らなかった世界を知ることは楽しい。
そのほかにも興味深い章は続く。
「自己表現がしっかりできる子に育てるには?」
ではアウトプットの大切さを説かれている。
さらに、
「子どもの得意を見つけるのは親の役目」。
子どもの自由意志を尊重して、やりたいことを自分で見つけるまで待つ、という意見もあるが、
子どもは親を選べないし、生まれる国や土地も選べません。教育は限られた可能性のなかで行われているもの。そう割り切り、子どもが選べるオプションを親御さんの方から提供するべきだと思います。
これはよくわかる。逆の意味で、子どもがやりたいというから、とむやみにやらせている親もいるが、子どもをどうしたいのかな、と疑問に思うことも多い。
通わせる学校、通わせられる学校だって、親ができる範囲、納得して行かせられるところ、でいいはずだ。
小さい子の「やりたい」ほどいい加減なものはない(一部の子はそうでないかもしれないが)。
具体的にどんなところでやらせるか、についても述べている。
「得意はブルーオーシャンで探そう」。
これも納得。
レッドオーシャンで芽が出ないと思ったら、さっさとやめさせてライバルの少ないブルーオーシャンを探します。
こういう考えは、過去記事にも書いた。
さらに次章では、「一つに集中するより、多様なスキルセット」 として、ミスマッチの分野に固執するくらいなら、三日坊主がマシという。
一つのことしかできないのではやっていけない時代。
異なる分野にも挑戦して、自分のキャリアポートフォリをリスク分散することで、時代の急速な変化やニーズを先取りする能力が求められています。
これは上の過去記事でも書いている。得てして、一度始めると惰性でやってしまいがちだが、子ども時代は意外と短い。
さらに、スポーツでも音楽でも、親のサポートが大きいとし、外注先に丸投げしてはいけないと言う。
勉強についてのやり方にも何章かさいているが、こちらはなかなか斬新で、同意しかねる部分もある。このやり方がすべてのレベルの子に向いているとは思わない。やる気があまりない子にはいいかもしれない。
「教育費に青天井でお金をかけてはいけない」では、子どもは「資産」ではなく「負債」と考える。
学校で習う範囲をわざわざ予習復習したり、公立中高の入試対策を扱ったりするのは、本来なら教育の基本で、お金を払ってまで学習塾に通うのは違うと思います。
同感だ。ただ、こちらは親が関われる時間との兼ね合いもあるかもしれない。仕事で忙しい親が見られないぶんを外注しているのだろう。仕事をしているからこそ、塾に通わせられる。どちらを取るかはそれぞれのような気がする。
それはさておき、補習塾に外注してしまうのは2つのパターンがあるとする。
- 友達が行くからという同調圧力に負ける
- 大学へ行ったことのない親が、受験の仕組みを知らない不安から
確かに、大学受験がどういうものか、知っていると知らないとでは、考え方も対策も違うと思う。時々的外れなことを言う人もいたりする。塾選びなどがずれていたりとか。同調圧力だってそうではないか。よく知らないから、効果もないような塾へ通わせてしまう。
ただ、今は本やインターネットで情報を得るのは簡単だ。
一つの情報だけでは不十分で、いくつもの情報を分析してから、我が子になにが必要かを考える必要があると思う。
また、5教科のテストの点ばかりにこだわり、
家庭の文化資本や親の得意を活かした分野で子どもを伸ばすチャンスを逃していることもあります。
という。そういう親はかなり多いのではないか。
勉強、勉強、勉強。それも真の意味での学びではなく、テストの点、受験の偏差値に直結するか否か。
冒頭にあげた通り、平均値ゾーンで個性がない子には厳しい社会となる。
そう考えると、私立のスパルタで勉強させて進学実績ありきで、宿題の山で忙しい学校というのは時代錯誤になって来ないか。
私の母校(当時)なんて、部活もしなくていい、スキー教室も行くなと先生から言われた…。
英語編は実践的な英語の勉強法について書いてある。
省略しようかと思ったが、意外や結構マークをつけていたので、また今度まとめようと思う。
ところでこの記事をまとめている途中、テレビで英検二級を持っている小学生が岡山後楽園で外国人観光客を相手にボランティアガイドをして、英語を使っている様子を取り上げていた。
親が英語が話せないので、気軽に使える場として近所の観光地が向いていると思ったと。
なかなか鋭い!
家の本棚には、ハリーポッターなどの洋書が壁いっぱい。
さらに、英語がしゃべれるのは海外では当たり前だから、お母さんが「何を語れるか」を考えて、子どもが興味を持ちそうな本を用意したり一緒に学んだりして種をまいている。
そしてやっぱり親の影響って大きいな、と思った。
母親がどれだけ子どもと一緒に学んだりする時間を取れるかは人それぞれかもしれないが、塾に行かなくても、家庭で少しの工夫でできることは多いのだと実感した。