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悩める子育て

中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

大学全入時代の考え方〜中学受験をすることに意味はない?

こんな記事があった。

gendai.ismedia.jp

大学「全入」時代に難関私立中学を目指してどうするの?(週刊現代)

 

要点は、もはや大学はそう苦労しなくても入れるのに、なぜ大変な努力をして小学生の子に中学受験をさせるのか。勉強漬けに意味はない。

 

そこで、中学受験の極端な例だけを全面的に出して、「むしろデメリットになる」と言う。

 

そして、入試で問われる能力も変わってきているから、

その学歴はこれから役立たなくなり、むしろ学生自身の主体性や充実した経験が求められる世の中になっていくとすれば、子供につぎ込んできたおカネや時間は、子供と楽しむ趣味やスポーツに費やしたほうが建設的だとさえ思える。 

 (上記記事より引用)

 

という。

 

この記事が中学受験についてしっかり調べて書かれているものとはとても思えないので、まともに受け取る必要もないと思うのだが、多くの無関心層の意見もこうなりがちではないかと思いあえて取り上げた。

 

ちなみに、ここからは都内の話として読んでいただきたい。

 

都立高校で定員割れのために3次募集をするというニュースがあった。

www.yomiuri.co.jp

 

実際に周りで、低倍率のおかげで本人の実力以上のところへ入れたようなことを聞いた。
さらに、その勉強が嫌いな子があまり苦労をせずに入学できた学校の偏差値は平均より上で、進学実績はある特定の大学への推薦が多い。
実際にそこの高校へは、以前知人の子で中学時代不登校を続けた子が入学して、その大学へ推薦合格した話を聞いたことがある。
その子は中学時代はほとんど学校へ行かず、かといって家でも勉強をあまりせず、お母さんは困っていると聞いていたので、高校、さらに大学へも進学できたことを嬉しく思った。

もちろん、受験で苦しんだり、どこにも進学できずに困ることがないのは喜ばしいとは言えるが、一方大学を選ばなければそう苦労して勉強する必要性がない、ということに、不安も感じる。が、それはまたの機会に。

 

そんなわけで都立高校受験はずいぶん様相が変わってきたと感じてきたところだった。

都立高の定員割れは、都が世帯年収760万円以下の家庭の私立高校の授業料の実質無償化を始めたことも影響していると見るが、授業料がかからないなら私立に進ませたいと考えている方がそれなりにいるということではないか。

 

しかも、都内の私立では高校募集をしない学校も多い。

下記記事は昨年のものだが、男子校の3割強、女子校の4割強が高校募集をしない。
これらの男子校や女子校には進学実績の優れた学校も多く名を連ねている。
記事には具体的な学校名が挙げられている。

 

www.asahi.com

 

高校からの募集をしない完全な中高一貫校にした理由の一つには六年間で完結する教育のメリットがある。
実際高校受験がないことで、先取りする優位だけではなく、受験とは距離をおいたカリキュラムをする余裕があるとも言える。
また、それぞれのレベルにあった授業が受けられるのも公立中学校に比べてメリットではないか。

結果、私立の学校の教育方針やカリキュラムに魅力を感じて行かせたいと思えば、高校受験ではなく中学受験をすることになる。

 

冒頭の記事には、私立の学校の魅力について全く触れられておらず、時間とお金の無駄と言い切ってしまっている。

 

確かに中学受験には悲劇もあれば、後悔もある。金銭的負担も少なくない。
だからこそ、覚悟して臨むべきだし、安易に勧める気もない。

ただ、この記事でなんとなく矛盾していると感じられるのは、まさに引用部分の「その受験に費やすお金や時間や労力を趣味やスポーツに費やした方がいい」というあたり。

息子の学校では男子校だがピアノ経験者が半分くらいいるという。部活で運動部に入っている子もとても多い。
周りをみて、むしろトータルでこの記事の言わんとする「人間力」を意識しているのは中学受験をさせた親に多い気がする。
実際、都内に住むためには共働きは当たり前になりつつある。塾に行かせないとして子どもと趣味やスポーツを楽しむ時間的余裕がある親がどの程度いるのだろうか。
そもそも趣味やスポーツというが、それを習い事に丸投げしていれば人間力があがるというわけでもないと思う。
本当に人間力というのなら、一つの習い事だけに特化するのではなく、いろいろな経験をさせるべきだと思うし、その経験の程度も「ちょっと体験してまあ楽しかった」程度でなにものかになる可能性は少ない。

スポーツや楽器をある目標を設定してそこまで自分を律しながら努力ができれば、それは意味があるだろうが、スポーツ漬け、楽器漬けというのであれば、受験勉強漬けと同じ意味での価値と言えないか。

そもそもスポーツも楽器も勉強も決められた与えられたカリキュラムをこなしていればいいのだとしたらそれだけで人間力になるとは思えない。意味は大いにあると思うけれど。 

 

news.livedoor.com

 

ところで、実際冒頭記事の言っている「難関校」は、多くがこの上の記事のように、独特で、むしろ受験にとらわれず中高六年間に様々な経験をする。決して勉強漬けではない。
彼らが勉強漬けなら今までの知識を問う形の入試での進学実績はもっともっと高くなっていたのでは?
そして、じゃあ、そういった勉強漬けの進学校へ行っておけば大学受験をもっと良い結果で終えられたからよかった、と後悔する生徒は少ない気がする。

 

毎年出される東大合格者ランキングしか見ておらず、勝手にこれらのランキング常連の学校が勉強漬けで大学予備校のようなのではないかという思い込みをする方が多いのであればもったいない。

 

数年前まで私は「誰もがそう努力もせずにそんなに簡単に有名大学には入れない」と思っていた。
ただ、今は大学へ入るということは難しくないのだと思う。

しかし、冒頭記事でも書いているように、大学なんて道の途中にすぎない。
東大だろうが私立大学だろうが、その先仕事について、働いていくその過程で強いのは、どういう人材か、自分の子がどんな舞台で能力を発揮できるのか。それが大事であって、目先のランキングや偏差値、有名大学有名企業、コスパ…。
すべて私にはそう重要でない。

 

ただ、気になるのは、ちゃんと食べていけるだけの収入を、まともな生活をして得られるかということ。労働環境が悪かったり、その職場のせいで体や心を壊してしまったり、楽しいけれど収入が自立できるには厳しいものだったりでは難しい。
少し前に読んだ本で、企業も二、三十年で栄枯盛衰があるという。
確かに国際競争力も大きく変わったし、自分たちが学生の頃とは大きく異なる。
これから数年でも大きく変化するのだろうと思う。

だからこそ、大学へ入れるからって人生有望なんて何十年前の話だと思う。企業への就職さえ、これだけ人が減っていればそう難しくないかもしれないが、「どこかに入れれば安泰」だったのは、もう過去のことなんじゃないか。

 

↓学校名などで検索してたどっていけば、どんな学校かが紹介されている本は難関校ほど多い。読んでいないものもあるので、内容の保障はしません。難関校に限らずこういった本があるといいのに。個人的には難関校じゃなくたっていい学校はかなりあると思う。

 

 

 

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