前回、前々回の続きです。
中学受験を考えるにあたり、参考になる書籍をご紹介しています。
ブログのサブタイトルだけ変えてみた。今回は中高生にも役に立つ内容。
第六章は難関大学に合格できる学力について。
主に予備校の先生である天流仁志先生の教えを元に書かれている。
天流仁志先生は『親と子の最新大学受験情報講座』の著書があり、これはわが家でも大学受験の概要を知るために文系編、理系編ともに持っている。
具体的にはどの学校へ行くとどこの大学を目指せそうか
面白いのは、上位3分の1に入るかどうかという程度の生徒の進学先を表にしているところ。トップクラス1割を除いた「まあ上位」くらいの生徒としているのは納得だ。
そう考えると、その学校のトップクラスの実績は、本来その学校がレベル的に合っている子にとってはあまり参考にならないデータなのだろう。
大学受験生の学力の低下
ゆとり教育が終わってもあまり変わらないと。
確かに周りで高校受験をした人の話で、中堅の都立の学校だったが、受験する学校の倍率がほとんどないので、そう無理して勉強しなくても合格できてしまったと聞いている。そしてその学校からそこそこの大学へ実績もある。聞くと推薦で大学へ行けることが多いとか。彼らは受験勉強を必死にすることなく、そこそこの大学へ進学できるということになる。
大学受験に向けて必要な高校での学習は、在籍する高校によって大きく異なるという。
だから、大学受験を考える時には高校受験から見なくてはいけない。
基礎学力をつけることの大切さ
「学力が十分つく」難関校に該当する学校は全国でも10校あるかないか。それ以外の学校はたとえ中高一貫校でも、学校だけでは基礎学力に不足も出るし、中だるみの悪影響もある
だからこそ、親はそこを目指すのか、そうでないのなら、自分の子が進んだ学校で
最初から「足りないであろう」ことを前提に、子どもの学校のカリキュラムを親がよく見たり聞いたりして、補う方法を考えることではなかろうか。
中堅以下の中高一貫校を選ぶなら、先取りしていないところか、先取りがとても緩やかなところ、英数で検定教科書を使っているところを選んで、まず学校の勉強はわかると言う状態を作り、それができていたら上乗せしていくのがおすすめだ。
そういうわけで著者も中学校のはじめのころは親がサポートをしてあげるのが良いとしている。
学習の作法を早く身につける
このように、作法を知ったからといってすぐ取り入れられる子ばかりではないので、地道にクセづけしていくことが大事なような気がする。これを塾や家庭教師に頼めればいいが、それだけでは自習時間までフォローできないだろうし、結局親のフォローが要求されるところもあると思う。
まあ、これが自分でできている子は書籍を読ませるだけでいいので簡単で羨ましい。
天流先生の著書は読んでいないので、全て同じとは思わないが、そう言うわけで最近本棚に『学習の作法』を追加した。またこれはそのうちに。。
『もともと名門難関校の出身である』、もしくは『2年以上継続的に集中して勉強してきた』、あるいはその両方と言うことです。
受験勉強に2年はかかるというのは私も実感している。2年はないと間に合わない。
つまりそれらの学校に入るなら中学入試、高校入試で作法が身についているかを問われているということだ。名門校の中でも浪人生の進学実績が高い学校は、入試で「作法が身についているか」を重視する傾向が強くなっています。
「学習の作法」について大人になればできるようになることをどれだけ早くできるようになるか、の差が、やはり学力の差なのだろうかと考えさせられる。と著者もまとめているが、だからこそ、中学受験時の作法を意識した勉強が役に立つと言えるのだろう。
就活を見据える子育て
第七章では、大学受験からそのさきへ。その後の人生で要求される力について。
大学受験は今やゴールではない。
いい大学へ入れただけでは、望む職につけなかったり、思うように活躍できない。
それは今まで読んできた本にも書いてあった。
数学の世界を新たに作り出す「感性」が育っていないからだというのです。感性を育てるのは子どものころの豊かな「体験」です。と、子ども時代の体験の必要性をあげています。
混沌とした現実(カオス)の中からある法則(コスモス)を少しずつじっくりと見つけ出していくという面白さを教えてくれることだという。
日常生活の中で、カオスからコスモスを導き出すおもしろさを体験する会話、あるいはそういうことを実際に体験するおもしろさを大事にしてやらないと、土台がしっかりした知性になっていかない家庭でおもしろい会話をすることでカオスからコスモスを作り出していく練習になるという。子ども扱いをしない知的な会話を日常生活の中ですること。
小学生時代は、年齢が小さければ小さいほど、そういうことの体験をしっかりしながら、つまり考えることのおもしろさを少しずつわかりながらコスモスの論理に接するということがないといけない。そうしないと、絶対後伸びをしない子になっちゃう。恐ろしい。でも、これはなんとなく子どもが小さい時から感じていた。
詰め込みをして、ほんの少し他の子より知識が多くたって、そんなことは学ぶの楽しい、もっと知りたい! 考えたい! という興味を持った子にはあっという間に抜かされるだろう。
勉強については知的会話を増やすことで、もっと知りたい、考えたいと思えるように寄せていくことができるのじゃないか。
学力と心の土台を作る
割と意識的にそういうドキュメンタリーなどは見せてきたつもりだ。
小さな村を訪れて毎日そこの子らと遊んだりしていたそうだ。
当時の彼は勉強も将来のことも何も考えていないチャラい大学生だった。予想外の反応だったのだ。
息子は併読派で、20冊くらい抱えているので、夏も終わったというのにまだ読み終わっていないらしいのだが。 本書はのちに外交官から作家・神学者となる佐藤優氏の高一の夏のソ連・東欧ひとり旅の記録。息子も今とても極東からロシアに行きたがっていて、大学へ入ったら友達と数人でロシアを旅すると約束している。ぜひアジアも訪れてもらいたい。
就活で求められる力をつける
隂山先生は立命館付属高校の例をあげ、様々なグローバルなボランティア活動をやる機会の多い彼らが就職試験にとても強いと言う。
著者も言う。
多くの人と面接すると、きれいに表面だけ取り繕われた言葉の化けの皮はあっけなく剥がれてしまうのは想像にかたくない。だから就活は厳しいのだ。それまで生きてきた人生のすべてが問われるからだ。
(中略)
言葉で自分のすべてを語るための掘り下げ機関としては、就活までの大学生活の3年間はあまりに短い。とてもそれだけの期間では間に合わないのだ。
だからこそ、子どもの時からの体験や知的会話など、土台作りが大切になってくるのだろう。
そして、勉強ばかりやってきてやっと東大へ入るような、勉強以外に何もなかったような子では、社会で求められる人材とはなり得ない。
著者も考える。
「こういうふうに、充実した子ども時代、中高時代を過ごしてなおかつ東大に入れる人が本来東大に入るべき人なのだな」と。「そうでなかったら東大に無理して行かず、その子の分にあった大学に行った方がよほどその先の人生にとってよかろう」と。
そうなのだ。なんとなく感じていたことが言葉になっていた。
ちなみに今や海外でボランティアプログラムに参加した程度だとふつうになってしまっているのだとか。それらの体験をどれだけ深く掘り下げたかどうかということなのだ。わかる。お金を出してそこに参加するという受身だけではなく、自ら行動を起こすことが望まれるのではないか。
かといって、学歴は関係ないわけではない。今の就活はある程度以上の偏差値の大学に入れることに加えて、人生に必要な体験も十分に持っているハイスペックな人が求められている。
だから内定をもらえる人は何社からももらい、一方もらえない人は全然もらえないという事態になっている。
これから子どもの進路を考えるその時々に目指すのは就活で問われる力だということ。そこを求めて中学受験をするのかしないのか考えてほしいとまとめられている。
初めはたまたま手に取った本だったが、この六章七章は高校生の保護者としても改めて考えることが多かった。
少し前だが実際テレビ番組での企画でやった模擬面接をしたのだが、3人の学生の受け答えには恐ろしいほどその人のバックグラウンドが垣間見えた。立候補してやるくらいだから自分のアピールに自信がある人たちだったのだろうが、具体的な体験をうまく語れている人、抽象的なこれからやっていくと言った話だけの人、どちらを取るか迷うまでもない、という感じを受けた。
先日先輩の保護者の方と話していて、入学した時に勉強の話が来るかと思ったら、校長先生からは「高校は社会に出る準備をするところ」というお話があったと聞いた。
「心の土台」を思い出す。
親が就活までの20年間あまりで与えられる教育の目標は、その後の人生の礎となるその子の土台を学力、心ともにしっかり作り、就活で望まれる自分で考えて行動する力をつけるべく勉強だけでなく体験も充実させるということ。
就活まで数えるともう少しあるが、大学入試まではあとほんの少し。ここまで過ぎてみればあっという間だ。
先の見えないきょうび、確かなレールはあるようでない。
真に望まれる能力の基準はとても高い。流されている暇はないように思う。
息子はどちらかというと、体験の方はまあまあできているように思う。大学時代に補強していってほしい。問題は学力の方だ。
というわけで改めて、『学力の作法』を読んで見たいと思う。