悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

中学受験ってどんなもの?(3)大学受験、そのさきを考えて

前回、前々回の続きです。

中学受験を考えるにあたり、参考になる書籍をご紹介しています。 

 

 

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ブログのサブタイトルだけ変えてみた。今回は中高生にも役に立つ内容。

 

第六章は難関大学に合格できる学力について。

主に予備校の先生である天流仁志先生の教えを元に書かれている。

天流仁志先生は『親と子の最新大学受験情報講座』の著書があり、これはわが家でも大学受験の概要を知るために文系編、理系編ともに持っている。


 

もともと、このブログも私の備忘録的なものとして書いているので、この書籍についても改めて読み直してまとめたいと思う。
 

具体的にはどの学校へ行くとどこの大学を目指せそうか

時代により大学受験の様相も変わっているから、実際子どもが小さいうちは、どの学校へ行けば、どの大学へ進めそうかという実態は掴みにくい。
面白いのは、上位3分の1に入るかどうかという程度の生徒の進学先を表にしているところ。トップクラス1割を除いた「まあ上位」くらいの生徒としているのは納得だ。
先の記事にも書いたが、小学生は未熟で受験コーディネート能力がないからこそ、そして中学受験が難しいものだからこそ、「まさかの不合格」が生じてしまう。
そして、そういうまさかの不合格をした子らは、滑り止め校に入学する。
 
私が子どもの中学校見学をしている頃、偏差値的にはそう高くない学校でも東大に数人合格していることに気づいた。
 
今の都内の私立中学校はその偏差値が大変細かく輪切りのように分類されている。
そこで、各学校の進学実績も偏りがちになると思うのだが、ここで難関クラスでない学校から例えば東大合格者が出るということは、本来最難関校へ行くはずだった子が滑り止め校へ入学し、本来の力を発揮して大学に合格したということではないか。
そう考えると、その学校のトップクラスの実績は、本来その学校がレベル的に合っている子にとってはあまり参考にならないデータなのだろう。
 
本書の表のように、そういったトップクラスだけではない、まあまあ優秀層の進学実績を考えると、だいぶ行きたい大学に対して目指すべき学校が見えてくる。
 

大学受験生の学力の低下

大学受験生の学力は低下しているという。
ゆとり教育が終わってもあまり変わらないと。
確かに周りで高校受験をした人の話で、中堅の都立の学校だったが、受験する学校の倍率がほとんどないので、そう無理して勉強しなくても合格できてしまったと聞いている。そしてその学校からそこそこの大学へ実績もある。聞くと推薦で大学へ行けることが多いとか。彼らは受験勉強を必死にすることなく、そこそこの大学へ進学できるということになる。
↓今年は都立高で定員割れが多くあったという。
 
どこかに入れるなら良いと考える人には楽な選択肢かもしれないが、子ども時代のゴールは就職するまでと考えると、本当にそれでいいのか、と疑問が生じる。
 

大学受験に向けて必要な高校での学習は、在籍する高校によって大きく異なるという。
だから、大学受験を考える時には高校受験から見なくてはいけない。
ゆとり教育が知識を身につける量を減らしてしまった。知識が少ないと深刻な影響を持つのが、世界史や世界地理だという。
また、数学などでも応用問題を扱わないまま高校に入ると、高校数学でつまづくことになるという。
 

基礎学力をつけることの大切さ

基礎学力をつける教育が充実している名門中高一貫校を紹介している。
公立中学校にいても、これらの学校のやり方を意識して勉強していれば、漫然とゆるいカリキュラムで満点近く取れてしまい、それ以上勉強せずに高校へ入ってから苦労することもなくなるだろう。(これはまさに私の経験談)
 
やはり中高一貫校の方がいい?
ただ、天流先生によると
「学力が十分つく」難関校に該当する学校は全国でも10校あるかないか。それ以外の学校はたとえ中高一貫校でも、学校だけでは基礎学力に不足も出るし、中だるみの悪影響もある
と言う。
「学校だけ」で十分な基礎学力をつけられる学校はこれらだけと言い切ってしまう。
だからこそ、親はそこを目指すのか、そうでないのなら、自分の子が進んだ学校で
最初から「足りないであろう」ことを前提に、子どもの学校のカリキュラムを親がよく見たり聞いたりして、補う方法を考えることではなかろうか。
結局親がしっかり子どもの能力やその学校のカリキュラムをよく理解する必要がある。
 
中堅以下の中高一貫校を選ぶなら、先取りしていないところか、先取りがとても緩やかなところ、英数で検定教科書を使っているところを選んで、まず学校の勉強はわかると言う状態を作り、それができていたら上乗せしていくのがおすすめだ。
 過去記事で取り上げた安河内先生の本でも触れられていたのと同じだ。背伸びした教科書が逆に弊害となる。
 
保護者はとかく、子どもの能力を無視して、「これだけ先取りしてくれるならきっと学力が伸びるのだろう」と思いがちだ。ついていけているならいいが、あっという間にハイレベルの授業が進んで、なんだかわからないうちに終わってしまった、ということのないように。

そういうわけで著者も中学校のはじめのころは親がサポートをしてあげるのが良いとしている。 
 

学習の作法を早く身につける

ここで、天流先生の著書『学習の作法』を紹介して、具体的に何が必要なのかを語られている。
「学習の作法」とは、すなわちどうやって勉強していくかなのだが、親世代と違い今の子は学習量が減ったことにより、この作法が自然と身につくわけではないという。
 
ここで著者は自ら身につけていた「学習の作法」を息子にうまく伝えられなかったと言うが、私もそれに苦労している。
 
いまだに時々試験前にフォローをすると、「どうしてこんなやり方しているのか」と愕然としたりする。これは、息子の特性にもよるのかもしれない。要領よくやる子なら嬉々として取り入れそうなことを教えても、本人はすぐ忘れてしまう。と言うか、その時の自分のやりたい方に流されてしまう。これはまた別の問題になるので詳細は避けるが。
このように、作法を知ったからといってすぐ取り入れられる子ばかりではないので、地道にクセづけしていくことが大事なような気がする。これを塾や家庭教師に頼めればいいが、それだけでは自習時間までフォローできないだろうし、結局親のフォローが要求されるところもあると思う。
まあ、これが自分でできている子は書籍を読ませるだけでいいので簡単で羨ましい。
ちなみに以前も書いたが、わが子ができないことにうんざりするときに、アスリートもコーチをつけて管理してもらっているのだと考えるようにしている。
 
私が中学生に勉強を教えることをするとき、できればなるべく早く進めたいと思っているが、それは、本格的に自分で学習を始める中学生こそ、これらの「作法」を知っているべきだと思うからだ。

天流先生の著書は読んでいないので、全て同じとは思わないが、そう言うわけで最近本棚に『学習の作法』を追加した。またこれはそのうちに。。
 
この章ではこの「学習の作法」を具体的に紹介している。

また、天流先生によると漫画『ドラゴン桜』のような残り一年で東大合格というケースはかなりまれで、東大合格者の多くはA判定を連発してきた秀才だと言う。まれに合格するのは
『もともと名門難関校の出身である』、もしくは『2年以上継続的に集中して勉強してきた』、あるいはその両方と言うことです。

 受験勉強に2年はかかるというのは私も実感している。2年はないと間に合わない。

名門校の中でも浪人生の進学実績が高い学校は、入試で「作法が身についているか」を重視する傾向が強くなっています。

つまりそれらの学校に入るなら中学入試、高校入試で作法が身についているかを問われているということだ。
 
「学習の作法」について大人になればできるようになることをどれだけ早くできるようになるか、の差が、やはり学力の差なのだろうかと考えさせられる。
 と著者もまとめているが、だからこそ、中学受験時の作法を意識した勉強が役に立つと言えるのだろう。

就活を見据える子育て

第七章では、大学受験からそのさきへ。その後の人生で要求される力について。
大学受験は今やゴールではない。

いい大学へ入れただけでは、望む職につけなかったり、思うように活躍できない。

それは今まで読んできた本にも書いてあった。

 

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東大は公立出身の子どもが欲しいと言っているという気になる意見を紹介している。
「百ます計算」でおなじみの隂山英男先生の意見として、「中高一貫校出身の子どもたちは、かなり無理して難関校に入ったような場合、テストで点を取るための勉強しかしていないから、伸び代がない」と言った感じ。
この辺は、まあなんとも一概に言えないんじゃないかと思うのだけれど。
息子の周りを見ていても、受験勉強と全く関係ない知識にやたらと詳しかったり、好きなことを突き詰めているような子も多いからだ。
中高一貫校の生徒がみんな同じタイプでは決してない。ただ、親が学校名、偏差値ありきで尻を叩いて勉強をさせてきたような子はそうなってしまうのかもしれない。
 
教育学者の汐見稔幸先生からは、東大数学科の学生が卒業する頃にアメリカの学生にかなわなくなる理由として、
数学の世界を新たに作り出す「感性」が育っていないからだというのです。感性を育てるのは子どものころの豊かな「体験」です。
 と、子ども時代の体験の必要性をあげています。
 
また、 隂山先生によると、教育の終わりは大学入試ではなく、就活になっているというが、同感だ。実際東大を出ていても就職できない人も珍しくないという。学歴がある上での豊かな経験が必要なのだという。汐見先生によると真の学力をつけるために子どもの頃にどうしてあげればいいのかというと、本当に必要なのは、
混沌とした現実(カオス)の中からある法則(コスモス)を少しずつじっくりと見つけ出していくという面白さを教えてくれる
ことだという。 
日常生活の中で、カオスからコスモスを導き出すおもしろさを体験する会話、あるいはそういうことを実際に体験するおもしろさを大事にしてやらないと、土台がしっかりした知性になっていかない
家庭でおもしろい会話をすることでカオスからコスモスを作り出していく練習になるという。子ども扱いをしない知的な会話を日常生活の中ですること。 
小学生時代は、年齢が小さければ小さいほど、そういうことの体験をしっかりしながら、つまり考えることのおもしろさを少しずつわかりながらコスモスの論理に接するということがないといけない。そうしないと、絶対後伸びをしない子になっちゃう。
 恐ろしい。でも、これはなんとなく子どもが小さい時から感じていた。
詰め込みをして、ほんの少し他の子より知識が多くたって、そんなことは学ぶの楽しい、もっと知りたい! 考えたい! という興味を持った子にはあっという間に抜かされるだろう。 
 
子どもは基本的になんでも知りたがり。
勉強については知的会話を増やすことで、もっと知りたい、考えたいと思えるように寄せていくことができるのじゃないか。 
後伸びするためには、学力にも土台が肝心だという。
 

学力と心の土台を作る

汐見先生は、知的な力の伸ばし方として4段ブロックをあげていて、その一番下の土台部分には「生活の豊かさ・体験(疑問・驚き・感動)」があり、その上に「熱中度・集中度」があるという。
 また、『わが子の「やる気スイッチ」はいつ入る?』の著者である菅野純先生のいう心の土台とは、まず〈人間のよさ〉体験だと言う。その上に「心のエネルギー」として「安心感・楽しさ・認められる」が入り、一番上に「社会生活の技術」がある。 この学力と心の土台をしっかりさせることが必要。
 
さらに、中学時代には自分は社会の中でどこで、どんな人と生きていくかを考える時だと。その時期を過ごすのに汐見先生は公立中学校の多様な中で過ごすことをオススメしている。
社会が多様であることを知ることで「自分はどういう土俵で人生の相撲をとるのかを考える素材をきちんと持っている」ようになる。
 
確かに、息子は公立中学で過ごした私に比べて、そういう多様な人がいることの理解はしづらいのかもしれない。例えば医者や教師を目指すとしたら、自分が将来向き合うのは本当に色々な立場の人であろうから、その時初めてそんなことを知って驚く、または自分と違う立場価値観の人のことを想像できないなんてことは少ない方がいい。
 
ただ、今は読書したり、テレビを見たりすることで社会に自分とは全く異なるような生活をしている人がいることを知る機会はもてる。
割と意識的にそういうドキュメンタリーなどは見せてきたつもりだ。
本書でもオススメしているが、大学時代にアジアに行かせるとか、世界を見てまわる時期があることが必要だと思う。
 
夫は学生時代にインドをしばらく放浪していた。もともと世界にことさら関心があるタイプではなかったのだが、大して考えもなくふらっと出かけた。
小さな村を訪れて毎日そこの子らと遊んだりしていたそうだ。
今あまりその片鱗が見えるわけではないのだが、現地からの手紙にはマザーテレサのことを改めて尊敬するというようなことが書いてあって、その場を訪れることの影響力を感じた。
当時の彼は勉強も将来のことも何も考えていないチャラい大学生だった。予想外の反応だったのだ。
 
というわけで、この夏息子には『十五の夏』という本を読ませた。
息子は併読派で、20冊くらい抱えているので、夏も終わったというのにまだ読み終わっていないらしいのだが。
本書はのちに外交官から作家・神学者となる佐藤優氏の高一の夏のソ連・東欧ひとり旅の記録。息子も今とても極東からロシアに行きたがっていて、大学へ入ったら友達と数人でロシアを旅すると約束している。ぜひアジアも訪れてもらいたい。
 
公立か私立か、人は皆どれか一つしか経験できない。このことについては、自分なら、わが子ならどうすればいいか、と考えるしかないと思っている。学力だけではなく、私立に入れることに多大なメリットも感じているからだ。
 
汐見先生は、中高の6年間を通してやりたいことを見つけて進路を選ぶのが中高生時代の一番大事な課題だという。初めから大学ありきだったり、自分の成績や得意科目で進路を決めるだけの6年間にしてはダメだと私も思う。

就活で求められる力をつける

隂山先生は立命館付属高校の例をあげ、様々なグローバルなボランティア活動をやる機会の多い彼らが就職試験にとても強いと言う。

 

著者も言う。

多くの人と面接すると、きれいに表面だけ取り繕われた言葉の化けの皮はあっけなく剥がれてしまうのは想像にかたくない。だから就活は厳しいのだ。それまで生きてきた人生のすべてが問われるからだ。

(中略)

言葉で自分のすべてを語るための掘り下げ機関としては、就活までの大学生活の3年間はあまりに短い。とてもそれだけの期間では間に合わないのだ。

 だからこそ、子どもの時からの体験や知的会話など、土台作りが大切になってくるのだろう。

 

そして、勉強ばかりやってきてやっと東大へ入るような、勉強以外に何もなかったような子では、社会で求められる人材とはなり得ない。

 

著者も考える。

「こういうふうに、充実した子ども時代、中高時代を過ごしてなおかつ東大に入れる人が本来東大に入るべき人なのだな」と。「そうでなかったら東大に無理して行かず、その子の分にあった大学に行った方がよほどその先の人生にとってよかろう」と。

 

そうなのだ。なんとなく感じていたことが言葉になっていた。

 

ちなみに今や海外でボランティアプログラムに参加した程度だとふつうになってしまっているのだとか。それらの体験をどれだけ深く掘り下げたかどうかということなのだ。わかる。お金を出してそこに参加するという受身だけではなく、自ら行動を起こすことが望まれるのではないか。

 

かといって、学歴は関係ないわけではない。今の就活はある程度以上の偏差値の大学に入れることに加えて、人生に必要な体験も十分に持っているハイスペックな人が求められている。

だから内定をもらえる人は何社からももらい、一方もらえない人は全然もらえないという事態になっている。

 

これから子どもの進路を考えるその時々に目指すのは就活で問われる力だということ。そこを求めて中学受験をするのかしないのか考えてほしいとまとめられている。

 

初めはたまたま手に取った本だったが、この六章七章は高校生の保護者としても改めて考えることが多かった。

 

少し前だが実際テレビ番組での企画でやった模擬面接をしたのだが、3人の学生の受け答えには恐ろしいほどその人のバックグラウンドが垣間見えた。立候補してやるくらいだから自分のアピールに自信がある人たちだったのだろうが、具体的な体験をうまく語れている人、抽象的なこれからやっていくと言った話だけの人、どちらを取るか迷うまでもない、という感じを受けた。

 

先日先輩の保護者の方と話していて、入学した時に勉強の話が来るかと思ったら、校長先生からは「高校は社会に出る準備をするところ」というお話があったと聞いた。

「心の土台」を思い出す。

 

親が就活までの20年間あまりで与えられる教育の目標は、その後の人生の礎となるその子の土台を学力、心ともにしっかり作り、就活で望まれる自分で考えて行動する力をつけるべく勉強だけでなく体験も充実させるということ。

就活まで数えるともう少しあるが、大学入試まではあとほんの少し。ここまで過ぎてみればあっという間だ。

 

先の見えないきょうび、確かなレールはあるようでない。

真に望まれる能力の基準はとても高い。流されている暇はないように思う。

 

息子はどちらかというと、体験の方はまあまあできているように思う。大学時代に補強していってほしい。問題は学力の方だ。

というわけで改めて、『学力の作法』を読んで見たいと思う。

 

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