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悩める子育て

中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

常にギリギリで生きている男

以前にも書いたが、中学受験時、初めて息子が今の学校の過去問をやったちょうど今頃。
苦手の算数で9点をとった。あと数ヶ月後には受験をするかもしれない学校の過去問だ。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

しばらくぶりに過去記事を読んでみたが、やはり息子は相変わらずだ。

今回、あることでも、前々から備えるようにとアドバイスしたけれども、本人は目の前のことで忙しなく、結局私が予想した通り、〆切前の怒涛の展開が繰り広げられた。

とは言っても、何もしないでのんびりしていて後になって切羽詰まるわけではないので、仕方のない面もあるのだが。

 
時間管理とは何事にも大切なことだが、息子はとても苦手としている。

 

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いろいろな記事をネットで漁って見ても、多くはギリギリでやる人はできない人の烙印を押されているし、本人がだらしがないとかきちんと守ろうとしていないと本人の不真面目さを指摘しているものが多いように思う。

子どもの先輩のお母さんともよくお話するが、とても真面目なその親子のお母さんの口癖は「時間管理がきちんとできれば大丈夫。」と一般論であるが語られたりして、それを聞くとなんとも変な汗が出てしまう。


私の中ではこれも理屈ではどうにもならない特性だと思う部分もある。

その症状で社会生活に支障が出ているようならば、病院の受診が勧められているだろうが、発達障害も、診断されるほどではないが同様の症状を持つ人のことも、身近にそういう人がいない人々の理解は難しい。

 

 

 

私は読んでいないが、こんなタイトルの本がでるように、時間管理を苦手とする人たちがいる。この本のアマゾンレビューで興味深いのが、星1つの方の、ここに書いてあるような対策こそ発達障害の人には苦手、という内容のコメントだ。

 

片付けなんかもそうなのかもしれないが、いい方法を知ったらできるようになったという人がいる一方で、その方法の実行自体が難しい人には解決できない。
それをいい方法さえ知ればできるようになる、と信じている人からしたら、「なんでできないの?」となるのだろう。

 

実際私も息子がいくつか習慣にしてほしい事をどれだけ言っても、手を替え品を替え工夫を提案しても続ける事ができないことには「なんでできないの?」という思いがある。理解はできない。が、ただ、息子にはそれが苦手らしい、と認識する。

 

別のところで、子どもの度を超した遅刻癖がひどいという相談に、「親がだらしない」「こうすればいいのでは? なんでしないの?」という意見が並ぶ。時々発達障害を疑う意見は見られるも、本人の努力の問題だと思っている人もそれなりにいる事がわかる。

つい最近も、職場に発達障害の人がいるという友達が、その人の仕事のできなさを話題にしてきた。
また、別の人から、部活の先輩が色々な事ができずに後輩からバカにされたりしている、という話を聞いた時も、話し手はその先輩に同情的ではなかった。
むしろ両者ともその人のせいで仕事が滞ることへの不満を持っているようだった。

 

自分の身近な人でも理解がないことを改めて残念に思う。
そして、自分自身、振り回される側だったとしたら、やはりイラっとしてしまう恐れもあるのではと思う。
 

治療が必要な発達障害の人の苦労は計り知れないが、我が子のように大きな支障が出ているわけでもなく受診も勧められない子でも、実際は似たような苦手があり、そこはなかなかどうにもならない。

 

幸いなのかなんなのか、息子はなんだかんだギリギリに生きていても、どうにかうまくこなせてしまう事が多い。
今回も結果としては成功。受験の時もそうだった。9点からの逆転合格。
模試だと集中できない。先のことを見据えて動けない。
それでもほとんど満足いく結果を出してしまった。

以前何かで読んだ事がある。ギリギリで間に合った経験のある人は、その成功体験を覚えているからなかなか備えるようにはならないと言う。

それを受けてか「一度大きな失敗をしたほうがいい」と言う意見も散見するが、それでも治らない人は本当に治らない。失敗に懲りて治るというなら、論理的に動けているんだから、そもそも大して困らないはず。

 

人は自分の理解できない他人の行動について、自分の理解を超えた部分はその人の「性格のダメさ」でかたづける傾向が多くないか。少なくとも勝手な想像でかたづけないでわからないものについてはわからないままにしておけないか。

アルコール依存とか薬物中毒の人が「もうしない」という約束を守れないことを、簡単に「信じられない」ということは傲慢のように思う。

 

 今回息子のできばえを見て、やっぱりこういう人生なんだ。彼は彼の持っているポテンシャルだけで生きていくしかないのだろう、と思った。

かと言って完全に放っておいてはなおさら身につかない。自分であれこれ工夫や対策をしないので、友達の職場の人のように、メモを取るなど自分なりに苦手をできる限り減らす努力も必要だが、それをこんこんと説くしかない。

知能は人より優れている場合も多いので、なんでこの難しい作業ができて、こんなに簡単な事ができないのかと不思議になることも多いかも知れない。

子どもの場合は、例えば早熟のように思え、大人と対等に話せることも多いからこそ、できて当たり前とこちらも誤解してしまう。
それで、決まった時間に出るとかものを失くさないと言った簡単な事ができないのかと腹が立つという経験が私にもあった。それで声を荒げたことも一度や二度ではない。

今は、私がそうやって彼の苦手を真っ向から否定してしまわないかとどこかで恐れていたりする。これだけ書いていたって、わかっているつもりだって、やはり生活は毎日だ。毎日フツーの感覚でなされる会話を聞いていれば、余計な雑音となって入ってくる。
感情的になることも以前は多かった。最近は「きちんとすること」から少し距離を置こうと思っている。
今では、自律できていて、なお努力できる能力の高い子などを見ると、
「将来のエリートだな〜。」
なんて他人事として見られることが多くなってきた。

 

小学校は特に、「ちゃんとしていること」が一番大事なことだと教えこまれる機関なんじゃないかと思う。

毎日遅刻せずに学校に来て、友達とは仲良く遊び、先生の言うことには従う。

それが求められる子。

親も自分の子がはみ出さないよう、きちんとやっているきちんとした親と見られるように気を張っているように思う。

 

わが子に深刻な悩みは少なかったが、それでも、年に何度か学校から課題がなかなか終わらないけれど大丈夫かと連絡があったりすると心配になったし、持病に対する無理解を感じたことはあった。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

息子にはどれだけ先のことを考えなくてはいけないと言っても、なかなか身につかない。かと言ってその成長はゼロではない。
だからこそ、何度でも言い続けるしかないのだろう。

とにかく何年経っても同じこと言ってるなーとうんざりした時にふと思った。

「何度でも何度でも何度でも言ってやる!」ドリカムの『何度でも』が身に沁みる。

  

vt-maguna.hatenablog.com

 

↑本番に強いのだけが彼にとっての強み。これはいまだにそうで、1000人以上を前にしても動じないのだそうだ。

結局、周りの子が緊張でガチガチになっているなか平然としている神経が私にはわからないし持てないのと同じように、物事を俯瞰して見て時間管理を徹底し、対策するということは彼には難しいと言うことなのだろう。これって人による傾向の違いだと思えば少し受け入れられないだろうか。
 

結局ギリギリで生きる彼はなかなかそのやり方を変えることはできないかもしれない。
あとは彼のもつ能力をどこまで発揮できるかどうか次第だ。
そこは、周りが無理やりいってどうにかなるものでもないのだ。

ある困難な状況にハマった時、この方法でダメだと感じたら、無理に進めるのではなく、子どもを無能だと決めつけるのではなく、その場で最良と思える選択をしたいと思っている。何が最良かは模索中だ。

 

受験に対して私の価値観での「万全を期す」事ができなければ、あとは見届けるしかない。思春期になり、親の仕事はもはや見守るだけ(あとは少々の情報提供)なのだと思うこの頃。

私が高校時代に学校を辞めたいと言った時、冷静に辞めた方が大変だと思うよとは言いつつ、私の考えを真っ向から否定しないで立ち直るまで待ってくれた両親に感謝している。あの時、問答無用で学校を辞めるなと言われていたら、辞めなかったかも知れないが、親はわかってくれないという思いしか残らなかったと思う。

そういう、親として心配したくないというエゴだけで動きたくはないな、と思っている。

 

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