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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

『カレーライスを一から作る』〜ものが何でできているのかを知ることで学ぶこと

昨年のことですが、知人の開催した上映会で、『カレーライスを一から作る』という映画を見ました。

 

www.ichikaracurry.com

 

探検家の関野氏の武蔵野大学のゼミの活動を追ったドキュメンタリー。

大きな会場での上映は終了したようですが、上映会開催の受付はしているようです。さらに本も出ています。

 

kokocara.pal-system.co.jp

こちらの記事で映画の内容について関野氏が語っています。

ゼミ生たちが、カレーに必要なものを皿からスパイスからすべて一からつくるというのがテーマ。

それぞれが担当に別れて、稲だったり肉である鳥を雛から育てたり、畑や田を耕すところからスタートします。

 

ダチョウの雛を三羽飼い、みな続々と死んでしまうところや、その後ホロホロ鳥や烏骨鶏を育てているところでは、私が小学生の時飼育係になり、鶏やうさぎ、キジバトなどの飼育をしたことを思い出しました。

スーパーからキャベツの外側の葉など不要な野菜をもらって餌を作ったり、鶏が骨折して病院に抱えて連れて行ったこと、朝小屋から離した鶏たちを朝礼前に慌てて小屋に戻すのに苦労したこと、鶏同士の喧嘩の仲裁、ウサギの赤ちゃんが生まれて学校のみんなが触りたがり、すぐに死んでしまったこと。死んだウサギや鶏を花壇に埋めるとき、以前埋めた鶏の骨が出てきたこと。猫に小屋が荒らされて、可愛がっていた一番若い鶏が死んでしまったこと。都心の小学校でしたが、随分いろいろな経験をしました。

我が家でもうずらから文鳥、猫などいろいろな動物を看取ってきましたが、今は生き物を飼わない人には、死と向き合うことは少ないのだと思います。

 

食肉動物を育てて食べることを考えるといえば、『ブタがいた教室』という映画も以前見ましたが、ペットのように育てた動物を食べることと最初から食べ物として対する動物を食べることは明らかに違うと感じます。食肉処理をされている方のお話でも、食肉は食べるものと割り切っている、我が家のペットが死んだ時は辛かったと話しています。
今回も、中には鳥を殺すのをやめようという意見を言う人もいますが、みんなで鳥を締めるシーンが淡々と描かれます。当然食べるの前提だろうと思ってはいましたが、見ていてさすがに心臓がえぐられるような思いがしました。

 

そういった直接的な感想も多々あるのですが、一番感じたのは分解について。

私たちは今、テレビをつけたら、当たり前に見ることができる。電子レンジのボタンを押したら食材が温まる。車もエンジンをかけてアクセルを踏めば進む。スマホもパソコンもしかり。

そして、それが当たり前になってから育った私たちはものの仕組みを知らず、意識もしません。子どもたちは言わずもがな。

学生時代青春18切符で東京から京都を訪れましたが、それまで大阪に飛行機で行くことが多かった私には、めちゃめちゃ距離を感じて、日本の広さを実感したものです。

 

精製された綺麗なものや、技術を総動員して作った超効率的な仕組みで、その起源を知らずにふわふわしたところだけ受け取っている。料理をしない人はなおさらそうかもしれない。

 

そこに突きつけられる、ほぼ全部オリジナルのカレー作り。玄関開けたら2分でご飯でも、鍋でレトルト5分でもない。9ヶ月。

 

実はこの分解して分解して、その一つ一つを作り上げていくという作業はAIに似ていると思いました。
AI化するために、その過程でさせたい動きを分解していきます。なんとなく自動化って簡単なんじゃないかと思っていたら、全然そうではない。

人間の脳ってかなりハイレベルなんだなぁと実感するほどこの作業が地道で、ちょっとした作業や動作をさせるためにはたくさんの指示やデータが必要です。

そういう作る人の地道な努力が見えずに、「スマート」と言われて使う側にはとっても簡単になっています。

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ただ、これから機械に指示するいわゆるプログラミングの仕事はより増えていくだろうと思います。
ボタン一つで解決できるから何も知らなくていいわけではなく、むしろだからこそ、その仕組みを知り作ることができるかどうかも問われるのかな。

子どもの頃家のレコードプレーヤーを買い替え、ボタン一つで針を落としてくれるものに変わりました。しばらくしてボタンを押してもうんともすんとも言わなくなったプレーヤーを見て、前の手で針を置くものだったらこんなことにならなかったのに〜と思ったことがあります。

仕組みを知らないと、不具合があってもお手上げなんですよね、自動化って。

大きな震災も起きて、ライフラインの断たれた環境でどう生活できるかを考えさせられました。

 

起源を意識すること、何からできているかを知ることの大切さでいろいろ考えさせられました。実は今読んでいる本では、思考もとことん分解していった先に本質が見えるということを知りました。そのうちまとめたい。

 

食べ物(生活)とAIと思考と。

分解は大事というのをしみじみ感じたことでした。

昔、理系の妹が理系彼氏をクリスマスに家に読んだ時、雪だるまのオブジェが回るクリスマスグッズがあり、それをあっという間に二人で分解していたっけ。

これどうなってんの?

という疑問を持つことは大事ですね。そういう好奇心は伸ばしたい。

 

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入試〜なにがあるかわからない

www.tokyo-np.co.jp

 

新聞でセンター試験のトラブルについて報じられていた。

計画的な不正はともかく、指示前に問題を見てしまうとか、終了後もマークシートの修正をしてしまうとか、これはその時間にもよるが些細なことだが、不正になってしまっては今までの努力が無駄になる。

試験中に嘔吐、本人だけでなく周りの影響も。私の受験時にも隣で鼻血を出して教室を出た受験者がいた。

交通の遅れなどもしかり。

以前書いたが、自分の受験時に、試験問題の修正箇所が多数あり、前の黒板に書かれているが大きい教室の後ろにいた私には読めないというトラブルもあった。合格圏だと思っていたがそこは不合格だった。

 

息子の中学受験時も、朝試験会場へ行く途中で、電車のなか見知らぬ男性になぜか何度か謝られたり、別の日には乗っていたバスで喧嘩が起きて5分ほど仲裁に運転手が入ってバスは停滞した。待たされている他の乗客の怒号も、結果的には事態を早く収束させたけれども、怖かった。息子はどういう気持ちだったろう。
その時はちょうど試験前に学校へ着くという時間にプラス一時間余裕を持っていたから、まだ落ち着いていたが、そうでなければどうだったか。

入試ではないが、塾の模試で外部生だった私が内部生の教室で受験する羽目になったこともあった。

 

模試でよかったが、息子は算数が全然できなかった、と言うのを引きずって、得点源の社会の後半すべてを白紙で出したこともあった。

 

模試はとにかくそういうことが多くて実力が出せなかった。ケアレスミスと時間配分が苦手な息子にはそれが実力かもとも思われた。

 

入試が始まり、ずっと勉強を見てきた私は、

あとは時間配分を忘れず、ミスをしないように。それだけできていれば絶対大丈夫。

ということしかできなかった。
そう声がけをしたのがいいか悪いかはわからない。プレッシャーになる人もいるかもしれない。

 

息子は以前も習っていたドラムの発表会などで、リハーサルでこれで出られるの?といった緩い感じだが、本番までに叱咤激励すると、本番はかなり実力を発揮できてきた過去があった。

本番は強いはず。

それにすがるだけだった。

合格したところもあり、不合格だったところもある。(詳細は中学受験カテゴリにてどうぞ)
だいたいが予想通りではあったが、今通っている学校の合格はまったくわからなかった。ただ、入学してみて学内の順位もそう悪くなく、やはりまぐれで入ったわけではない。模試でやりまくっていたケアレスミスや時間配分ミスがなくなったのだということに尽きる。

 

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何が言いたいか。

今までやってきた勉強の成果が入試の結果になる

とは断言できないということ。

 

当日の精神的なコンディション、当日のトラブルに対する動揺、当日の集中力。当日の体調。当日の環境(寒さや積雪、交通機関)。

 

自分ではどうしようもないことも当然ある。備えられることはなんだろう。

集中力。何かあっても動じない精神力。体調管理。試験会場へ向かう時間的余裕。

親としては、不安にさせないためにドーンと構えていることか。

 

そんなところだろうか。部活の先輩たちが受けたセンター試験。どんどん息子の本番も近づいてくる。

 

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