あと三ヶ月の精神状態
中学受験まではあと三ヶ月を切りました。
いま受験生の子は、三ヶ月後には進むべき進路が概ね決まっているはず。
以前息子の惨憺たる模試の成績を公表しましたが、その頃の息子がどうであったか、とあるブログを読んだのをきっかけに、改めて聞いてみました。
受験を考えた最初のきっかけとなった、行きたかった学校は、過去問も模試も全然合格に届かない。夫はもうあそこは全然無理だから受けるのをやめようと言っていたし、体調不良も続いていて、あまりいい状態ではありませんでした。
サピックスの比較合判では本当にひどくて、この成績で入った人はいない、みたいな結果が出ていました。
それを我が家では「誰も入ってないじゃん! 少し点数が上の人に一人だけ合格した人がいるみたい。この人にどんな奇跡が起きたのか!」
と笑っていました。
欠席か迷うほどの体調だったので、万全じゃなかったというのもありましたが、そもそもそれ以前の成績も低迷していたので、特別悪い成績とも言えなかった。
改めて、そこを受けるとか受けないとか言っていた受験生の今頃、どういう思いだったか聞いてみたら、「そりゃ、受けたいなーとは思ったよ。」
「受からないとは思わなかった?」
「まだまだ先だから、考えてもいなかった。これからやりゃどうにかなるかもと思っていた。」
うーん、超楽天的男子はこういうものか。あまり参考にもならなそうで恐縮です。
学校はそこだけじゃない
学校に関しては、やはり一月の受験の口火を切る安全圏の学校には受かると思っていた、と本人がいう通り、その学校の存在は大きかったと思います。
少し遠くではありましたが、そこに行くことが悲しいことではないと思えたこと。
それが結構大事だったかな、と思うのです。
もし、合格可能性の低いチャレンジ校に立ち向かうなら、そのバックアップとなる「ここもいい学校だよ」という安全校が選べると少しは気が楽なのかもしれません。
根拠のない自信最強説
息子は本当に根拠のない自信を持っていて、それで今はひどい中だるみをしています。
自学自習といえば聞こえは良いけれど、委員会活動を何個も掛け持ちしていて、それなりに顔を売っているようですし、そこで得るものは社会に出て強いとは聞くけれども、母は「その前に大学受験は?」と言いたくなってしまうのです。
実は夫も根拠のない自信の持ち主でしたが、若い頃より、この根拠のない自信というのを私は少し軽く見ておりました。
しかし、改めて見ると、根拠のない自信を持てるというのは結構強い、ということを感じました。
みなさんどう感じているのか探してみました。
この記事、投資家についてとちょっとジャンルが違うのですが、なるほどと思うことが書いてありました。
要約すると、「努力」などの根拠のある自信を持つ人は、その根拠が崩れ去った時には自信も崩れる。
根拠のある自信は「他者との比較」が原点だけれども、根拠のない自信は「自分だからできる」という他者が関係ないので、自分よりすごい才能を持った人がいてもひるまないのだそうです。それは自分自身を信じているから。
私は自分を客観視するほうでしたが、夫同様そう劣等感や妬み、逆に優越感もあまり感じないので、他者の視点は気にしていませんでした。
似た者夫婦の息子が最強の俺様なのもうなずけるのですが。
だからこそ、家族全員でどこかお笑いネタとして、初回の過去問9点とか、誰も合格していない比較合判を笑ってやりすごしていたのかもしれません。
もちろん怒号が飛び交う日がなかったとは言えませんが。
根拠のない自信をもつために
一方こちらの記事では、自信がない人は自分を客観視できるから成長できる、根拠のない自信を持つ人は、自分を実力以上に評価しがち、と書いてあります。
http://yagi-coach.com/mindset/zisinganai/
上の記事で、ダニング=クルーガー効果という
未熟あるいは能力の低い個人が、自らの容姿や発言・行動などを実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。
(wikipediaより引用)
があることにふれていますが、たしかに、そういうところもあるかもしれません。私が根拠のない自信を軽く見ていたのもその辺があるから。
それでも、自信がない人は客観視できすぎてしまい、行動することに萎縮してしまい本来の実力を発揮できないところがあるそう。
そして、結局自己肯定感を高めることなどで、自信を持ちましょう、というまとめをしています。
この記事で言われている、自信のない人が自信を持てるようになるためにするべき対策の中で、良いと思ったものを。
- 自己否定するくせに気づく→自己否定にメリットはあるかと考える
- 言い訳や責任転嫁をすることを許す→自分にも他者にも厳しい人に多いのかもしれない
- 他人を批判しない
- 他人の評価を気にしない→他人に都合の良い自分ってどうなの?
- 自信=傲慢ではない
- 現状の自分ではなく、「未来の自分」の立場で思考する
逆に、根拠のない自信を持っている人は「未来の自分」から物事を判断します。 未来の自分とは、今の自分がどんな行動をするかで決まります。つまり「今の行動を良いものにすれば、未来は素敵なものになる」と思考しているため、未知なことでも行動できるのです。
(http://yagi-coach.com/mindset/zisinganai/より引用)
最後の「未来の自分」これまさに息子ですね。今の自分で測っていないのだ。この記事のように建設的に考えていたわけではなく、目下私の悩みの根源である息子得意の先送りの術がいいほうに働いているだけかもしれないけれど。
そして、根拠のない自信を持つのも自信がない人もどちらも「勘違い」だと。
同じ勘違いなら、どちらの勘違いで生きた方が楽しそうですか?
今回の記事で「自信のメカニズム」を知ったあなたは、どちらでも自由に選択することができます。 ぶっちゃけ、自信がない人が自信家になれば最強です。なぜなら「両極の光と影」を知っているからです。これは、両極の光の部分だけを意図的に選び、人生設計ができる力を意味します。
(http://yagi-coach.com/mindset/zisinganai/より引用)
最近この「どっちが楽しいか」「どっちの結果がいいか」で物事を少し考えられるようになってきました。
怒りにとらわれて険悪になるより、そこは言わずに笑いあったほうが「楽しい」というふうに。
「根拠のない自信」で検索すると結構面白い記事がヒットします。
結局自尊心、自己肯定感は大事なのかと改めて。
でも、うちはそれほど気を使って褒める育児などしてきたわけではありません。
ただ、得意な子ばかりの中で苦手っぽくなっていた体操教室は息子が辞めたいと行った時にすぐ辞めました。
劣等感を育んでしまいそうな環境からは避けてきたような気がします。
いまは自己肯定感だかがしっかりしすぎて、何にでもチャレンジし、できるかどうかなんて心配のかけらもなく立候補している息子は、部活でも先生や先輩のアドバイスは聞かず、親の言うことならなおさら聞かずに我が道独走中です。
サピックスで言われた「素直な子は伸びます」という言葉を何度息子に伝えたかわからないけれど、できないものは仕方ない。不器用だけど、最強だ、くらいに思うしかないと腹をくくっています。
茂木さんも言っています。「根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ。」
ただ、自信のない人に「根拠のない自信を持て」と言っても、上述されているようにそういう方はある意味客観視に長けている賢い方とも言えるので、そうそう簡単に「騙されたと思って」はできないのじゃないでしょうか。
ちょっと話がずれますが、掃除が嫌いな人が「ほこりでは死なない」とか言ってるのを聞くことありますよね。
最初に聞いた時にちょっと面白い言い回しだと思ったのですよ。そうなんだ、死ななきゃいいのかって。
結局何でも「死ななきゃいいんじゃないか」。幸い中学受験じゃ「死なない」。
最後に別の視点から。
やっぱり「自分」なのですよね。