お金で解決する
先日朝テレビで PTA活動について報じていました。
医療従事者で1月前のシフトに縛られて活動に参加できない人が便利屋を雇って自分の穴を埋めたという。
なるほどねと思う反面、お金をかけなくてはいけないのかとも思いました。
確かに仕事は個人的な収入のためにやっているのだから、それを仕事をしていない人が予定をつけてやってくれるのに任せると言うわけにもいかないでしょう。
以前ベビーシッターが主人公の映画を見ました。コメディで面白かったのですが、ああ、本来バリバリ働く親の子育てって、こうやってシッターを雇うことでようやくなりたつのだろう、それなのに日本ではよほど上流でないと人を雇うということをしない。
PTA改革
そもそもそれは必要なのか
(そもそも小学校自体に補助スタッフ的な人はもっと必要かと思います。)
また、いまどき習い事も多くて子どもも忙しい。
受験が多くなってくると、子どもの手伝いも難しくなります。
小学校ではお祭りのようなイベントで子どもが手伝うことが多かったのですが、それを続けていくことに無理が出てくるような気がします。
そうでなくても学校行事は盛りだくさん。
地域行事などの中には必要ないのではないかと思うことも多くありました。
うちの小学校では地域をまたいでいたので、似たようなイベントが複数ありました。
塾で手伝えない上級生などは少し肩身がせまくもありました。
小学校は地域のなかに複数ありますから、親子で地域とのふれあいを求める方には、学校の枠を超えて有志でイベントを開催する、少し広い範囲の地域に根付いたNPOのようなものがあってもいいのかもしれません。子ども会のように結局働いてくれる親子しか参加できないものではなく、ゆるい感じで働いたり参加だけでもできるようなものなどどうでしょうか。
アナログからデジタルへ
それがいまやメールのやりとりだけですませることができる。定期仕事についてはほとんどお客さんと顔を合わせることがなくてよいのです。
PTAはサロンではない
また、小学校で広報役員をしたとき、前年度は広報の打ち合わせを学校公開日にやっていました。学校が近所でなかったため、なにかのついでというのもあります。
しかし、長時間の会議で結局子どもの参観ができないと役員さんは不満を漏らしていました。会議の後半は愚痴大会。会議に出てこない人もいて、それについての不満もあったようでした。
次年度、私は同級生のお母さんが部長をしているのを副部長としてサポートしました。
記事の内容なども前もって候補を考えてくると、だいたいイベントなどは毎年同じですので特に異論もなく内容が決定しました。
作業に入ると、二人でおおよそのページ割と担当を決めて、マニュアルを作り、公開日の会議ではそれをお知らせするだけで15分ほどで終了でしました。
その日来れない人にも担当表と書類をメールで送ることで、満遍なく担当してもらえました。
当時はガラケーが多数でしたので、それらのやりとりはパソコンでやることが多かったのですが、みなさんご主人に聞くなりしてパソコンを使ってくれるなど協力的で、公開日も授業を参観できると感謝されました。そのため全員がきちんと参加してくれました。その年は非常にストレスもなくできました。
公立小学校には、さほど時間に追われておらず、雑談をして楽しみたいお母さんもいらっしゃいます。しかし、仕事に追われている保護者にしてみれば、それに付き合いたくはない方も。義務としてPTAの仕事を受けるのであれば、できる限り少ない時間と手間ですませたいと思う方は多いでしょう。PTAを保護者のサロンにするべきではないと思うのです。サロンを作りたいのであれば、それはそれで自由参加で作られれば良いと思います。
出席できなくても仕事に参加できる、そういったシステムをITをうまく取り入れて作っていけばよいのではないでしょうか?
自分のやりたいようにやるためには手を挙げる必要がある
ここからは個人的な話になります。
広報委員で私は入稿担当でしたが、学校までは最短でも30〜40分交通機関を使ってかかるので、印刷会社さんには自宅近くまで来ていただくことで学校に行かない方法をとりました。その前年度までは、旧来の殿様商売をしていた業者を使っていて、広報部長さんが自分でその会社まで車を使って原稿を届けていたようです。
修正もいい加減でしたので、業者の見直しを前年度委員さんがしてくれました。
いまどきこんなサービスの悪い業者が生き残っているのは、まさにPTAの先送り(自分の代で変えなくてもいいか)の弊害だと思います。
というわけで、原稿と写真集めを委員に担当わけし、原稿も写真もすべてメールで私に送っていただき、校正紙も出れば印刷会社からメールでおくっていただき、必要なら自宅に届けてもらいました。
印刷会社はレイアウトもすべてやってくれるので、原稿と写真と台割とおおまかなレイアウトを送るだけで完成されたのでした。
それで一号あたりの会議は初回と出来上がりの配送など多くても3回でしたし、配送は来られる人だけで数人で済ませられるものでした。
アルバムの写真共有などは、Flickrを使いました。Flickrは英語なので、セキュリティ関係のマニュアルも作りました。
おそらくこの細かい活動報告があったのもあり、係り決めなどの変更のお願いはありましたが、皆さん当日は大変協力的でした。
私が卒対の委員長に手を挙げたのは他にやりたくないものがあり、それを避けるためでもありました(ずるいともいう。でもみんな委員長もやりたくなかったのだ)。
人を動かすために自分がやる
なかなか仕事に手をつけてくれない担当さんがいたときは、自分も「どれかやるから仕事を振って」と言って先にやるようにしたら、その後は自分で動いてくれました。
労うことの大切さ
広報に戻ると、前年度愚痴大会だった代の部長さんには、「先生に原稿を頼んだのにだしてくれず、催促したらすごく不機嫌な対応をされた」と聞いていました。
それで、すこしおおげさくらいに「いつもお世話になっています。お忙しいところお手数ですが」とお願いすることで、その先生の態度は全く別のものになりました。
また、卒対委員同士でも各担当がやってきたことに対して、感謝の気持ちと評価を与えあうことができたので、とても気持ち良く仕事ができました。
係なんだからやって当たり前じゃなく、互いにねぎらうというのは想像以上にモチベーションをあげるのだと知りました。
広報のときでも私と部長の作業が多かったのを多くの保護者の方に労っていただいたことで、不満なくがんばれたというのもあります。
もちろん大勢いればどうしても話の通じない方もいたりして、万事うまくいくとは限りませんし、大規模な学校で自分が何かを変えていくのはなかなか難しいかもしれませんが。