悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

中高6年間をどう過ごすか

前回記事から我が家を振り返って考える。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

 

 

中高一貫校に在籍し、高校受験のない6年間を過ごしているが、それも半ばを過ぎ、受験まではきっとあっという間。
学校での様々な仕事を請け負う息子。この分量で仕事をしていると、ゲームをして遊んでいる暇さえない状態。仕事を少し減らしなさいと話した。

ただ、部活も仕事もやめろとまでは言えないでいる。

なぜか。

やはり、得たものが大きかった。

入学当初からイベントを仕切る役割で苦労した。

返事が返ってこない、予定通りに進まない、予算を立てるのが難しい。必要なものの購入をいつどうするか。

中学一年生だから当たり前なのだが、大人から見てとてももどかしかった。

どうすればいいかを家で話し合ったこともあった。

毎年何かしら大仕事を請け負って、だんだん人にうまくやってもらう術や業者とのやりとりなど様々なものに慣れてきた。

締切に間に合いそうもなくなった時、どうやって他の人の力を借りるか、そもそもの計画が杜撰なのじゃないか、今後どうするか、そんな話もした。

昨年度は息子が企画立案し始めは反対者もあったものの賛同を得て予算を通し、協力者を集めて動かしたものがあった。

さらに、その仕事があるにも関わらず、別の仕事も請け負ったのでなぜかと聞くと、友達に頼まれたという。その友達自体も似たようなもので、その仕事を先生から一任されている。

 

学校の仕事はほとんど希望制、当たり前だがボランティアで、仕事をすることで勉強時間を削っている現状、要領のいい子からしてみたら時間の無駄と思われるかもしれない。

思った以上に全然勉強は進んでいないし、人に頼まれることはいわば本人にもやりがいにつながるので、地道にひとりで勉強することより魅力的なのだろう。

勉強からの逃避じゃないのかと話したこともあった。

そのために体を壊したこともあり、常に私の中では悩ましいことだった。

成績の下落も経験し、ただそこで少し危機感もあったようで昨年末には復活した(勉強時間はさして増えてはいないのだが)。

 

一方で、ほかの保護者の方には賞賛されることもあったが、それは社交辞令も多いのだろうと思っていた。
だが、やはり人によっては、どうせダラダラしているのなら何かしてほしいとか、何もやろうとしない子どもに、何かチャレンジしてほしいと先生に相談している親御さんもいた。

そもそも大学受験の勉強だけをさせるためにはあまり向いていないとされる学校であるから、そう考える保護者の方も多いのかもしれない。もちろん淡々とやるべき勉強をやっているお子さんもいるから、人それぞれだが。

 

何か活動するにあたって、それは大学へ入ってからでもいいのではという思いもある。
他の進学校があれやこれやと適時ふさわしいと思われるカリキュラムをかなりの負荷で与えていると聞くにつけ、「小学生の時の方がよほど勉強していた」と多くの保護者が言うような、一見のんびりした環境でその中で安穏としていていいのかという焦りもある。

 

ただ、部活では目標に向かって鍛錬し、できなければ叱咤されることもあり、仲間と協力して作戦を練るなど、すべてが経験になる。
部活では(部長などリーダー格にならなければ)おおよそやることは決まっていて、部活によっては顧問に従って進めるため、どちらかというと忍耐力や努力に焦点があたりがちだが、自主活動になるともっと経験の範囲は広がる。

それこそいつどこでどんなタイミングで打ち合わせをするか、どんな方法で先生や周りに納得してもらうか。
生徒だけでの話し合いなど、聞くとずいぶん不毛なやりとりも多かったりする。そこからどう練り上げて完成させるか。さらに時間管理。役割分担…。

 

以前息子がまだ小学生の頃だったか、会社を起した高校生が世界で評価されて立派にプレゼンをしているのを見たことがある。

その時は堂々としていてまるで大人のようだと感心したが、高校の先輩たちのやっていることを見れば、ああ、これくらいのことってやらせる場があればできることなのかもしれないと思った。

 

大学へ行ってからでも遅くはない。
ただ、大学でできるとしたら、わりと一つのプロジェクトだけになっていくのじゃないか。自分がいるサークルなり、有志で集まったグループなり。そもそもそこには賛同者だけが集まって、やりたいことをやっている。

中高でやることの意義は、そういう賛同者ばかりでないところで、如何に話を聞いてもらうか、納得させられるか、また自分がやらなくてもいいところで手を挙げるか。

ちょっと意味合いが違ってくるように思う。逆に言えば中高で何もやらなければ、大学へ入っても自分の好みや損得で動く以外の一歩を踏み出せるだろうか。

やらない人からよく聞く言葉に「そういうの私は/うちの子はできない」というのがある。

でも、そんなことはない。前記事で紹介したスタント先生の本では、まさにどちらかというと常に「お客さん」であっただろう、受け身で学力もやる気もない学生たちが、自分の研究で特許をとったり英語で時間きっかりのスピーチができるようになっている。

 

そういう場にいたかどうか。これが大きな影響を与えるのだといろいろ見て感じた。

 

そろそろ息子も進路を考えなくてはいけない。志望校しかり、受験方法しかり。
残りの高校生活をどうやって過ごすか。

私自身は、受験予備校的な進学校へ行き、やれ部活はするな、やれスキー教室はいくなと先生に禁止され(一年次の成績が悪くて)、まああまりにも自分のキャラクターに合わなくて辛かったのだが、開き直って成績をあげた。

それが今につながっているので全否定するつもりもない。

ただ、様々な友達と影響を与え合い、意見の相違に時には揉めたりしながらも互いにそれを認めている息子を見ると、かけがえのない時間を過ごし、いい経験をしたのだと思う。

 

要はさじ加減だと思うのだが、その辺を親子で付き合わせていくのは意外と難しい。

今から受験予備校よろしく勉強に専念すれば、おそらく志望校は目指せると思う。
ただ、それがあまりにも息子には現実的に感じられないし、一方今までと同じように勉強時間を犠牲にしていては、確実に志望校は現実的ではなくなると思う。

いままでと同じではダメだということは息子も承知しているようだが、どの程度変えられるかは本人もわからないと思う。

両立させたいからこその6年間だったが、なかなか思うようにはいっていないのが現状。やっぱり悩ましい。

 

ちなみに部活の先輩は、高三秋で引退した人、高二秋で引退した人、受験結果に大差はなかった。というか、微妙に高三組の方がよかった。

先生は、高三までやることを評価しているが、何しろ学力も要領のよさも集中力にも個人差があるから鵜呑みにするつもりはない。息子にもあなた次第だと言っているし、息子自身もどうするかわからないと言っている。高三までやりきって志望校合格をとれるのは羨ましい限りだが…。

 

 

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