悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

友達親子じゃない。叱らない育児じゃない。

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いままでずっと、子どもに自分の意見を押し付けるだけの親に疑問を投げかけてきました。
子どもの言葉を聞いてあげる。それはとても大事なことです。
でも、私は決して叱らない育児をしているわけではありません。
子どもをのびのび育てたい。けれどもそれはわがままな子に育てたいわけではありません。

「叱らない」ということの定義が難しいですけれど、「叱る」とは、私はしつけや本人に必要だと思われることをさせる(またはさせない)ために叱責すること。中には大きな声で感情的には言うべきでないと考える方もいらっしゃいますが、私は親が大きな声で叱責してしまうこともあると思っています。ある程度は許容範囲かと。
私にとって「叱らない育児」とは、注意すべきことをきちんとしない。子どもにやさしくいいなだめる程度で済ませてしまうことも含まれます。

 

幼稚園の時、お友達のお母さんで叱らない育児をしているような(意識してしているかはわからないので)方がいました。
友達親子何人かで行動している時にそのお母さんの子のぐずりに付き合わされて、こちらも行動を変えること数回。
一緒に食事をしても、他のお母さんは子どもになんでも食べるよう指導している横で、その子はいつも好きなものだけちょこっと食べてあとは残してもデザートを頼んでいました。
その子が息子に悪さをして、それをお母さんが何も言わないので私が注意したことがありました。
そのあと、お母さんからメールが来ました。普通に謝罪もありましたが、「私が連れて行かなければよかった。あの子はこういうことがあって今日はちょっと機嫌がすぐれなかっただけです。あの子のせいではありません。」

と言ったことがながながと書いてありました。

そのお母さんは食事もそうですが、おやつも子どものほしがるままに与えていたので、当然、子どもたちはどんどん肥満になっていきました。

料理上手で時々私たちにもおすそ分けをくれたりごちそうしてくれましたが、子どもたちは食べてくれないの、と嘆いていました。ひどい偏食でした。
お母さんは私が息子に幼稚園の支度などを自分でさせると話していたら、
「うちはとてもできないわ。ちゃんとできないかもしれないし、自分でやった方が早いから。」
と言われました。

 

今その子は学校での人間関係に悩んで不登校です。
その原因は子育てにあるかどうかは小学校が違うので、私にはわかりません。
そのお母さんは、小学校でいじめ問題があって、その子は当事者ではないけれども、同じ学校の子の多くが行く中学校へは通いたくない、と言ったのですが、「(選択制で選べる他の)公立中学校も大差ないでしょう。」と、それを受け入れませんでした。
結局一年も通わず不登校になりました。

 

一見子どもの世話を焼いてあげるのでいいお母さんのようですが、子どもに食育をすること、失敗があっても自分でやらせることは実際結構大変です。
また、注意をして泣かれたりするのも面倒です。
けれども先を考えたら必要なこと。
そのお母さんは自分が認めてあげれば楽、自分でやった方が失敗しないからいい、と今のことだけを考えているのでしょうか?
本当に子どもが助けを必要としている時(学校選択)に対応しないということで、なんだか怠慢な気がしてしまうのです。

親は友達ではない

また、巷では「友達親子」が増えているとか。
厳格すぎて子どもを支配する親も問題ですが、親は子どもと同等ではないことをしっかり教えるのも大事だと思います。
息子は今でも甘えます。でも、親をバカにするようなことや軽く見る言葉遣いをしたら厳しく叱ります。

「あんたが毎日生活できているのは誰のおかげか。」

決して子どもはその家の王様になっていいわけはありません。

目上の先輩として子どもを支え、ある時はアドバイスし、厳しく叱咤激励し、子どものいうことには耳を傾け、導いていく。
時には親も失敗するけれども、そんな現実の大人を見せていくことも必要かもしれない。

叱られないで育つことの不安

今は学校も体罰禁止で、強く先生から怒られる経験もすくない子どもたち。
優しい先生たちと遊んでもらい、家へ帰れば友達母さんがいて、何をしてもやさしく注意されるだけ。
そういった環境では、人間関係に上下があることは理解しにくいのではないでしょうか?

一方社会に出れば、はっきりとした上下関係があります。
これがわからないままこの社会に入ると、いろいろ齟齬が生じると思うのです。

「とりあえず、(先生や親が)おっかないから、適当にいうこと聞いておく」

私たちがやってきたことですが、これって結構、この社会に順応するために大事な適当さなのではないでしょうか?

 

なぜなら、実際仕事はある程度簡単でつまらないことだってやらなくてはいけないし、それをやる専門がいるかというと、そうでない会社も多い。
新人が入社直後にやりがいのある仕事につけるなんてことはなかなかないでしょう。
何でも自分のやりたいことができる、能力があれば任せてもらえる、という合理的でないところも生じてくるなか、「とりあえずこわいから。とりあえず目上だし。」みたいな視点は、ストレスなくそれを受け入れるのにいいのではないでしょうか。

また、ちょっと叱られただけで、休職をしてしまったり、辞めてしまったりという耐性も、叱られることに慣れている、というのは強いはず。

便利すぎて我慢が足りない

私たちも高度成長期に育ってきていますが、それでも今は一層便利で無駄がなくなりました。
携帯電話の普及までは、連絡がつくまで何度も電話をしたり、知らない家の人に伝言を頼んだり(今は電話に出られない若い子も多いとか。普段使わないものね。)、出かける時にも何時の電車に乗れば無駄なく間に合うかが一発でわかる。
きっと昔の人はもっと余裕を持って家を出て、その分待ち時間も多かったでしょう。
お腹がすけばすぐに食料が調達でき、調理の面倒もなく口にいれられる。
(こんな都会生活に慣れすぎて、以前田舎に観光に行って昼時を逃してコンビニもなく食堂も昼食営業を終えていて飢えに苦しんだことがあって、反省しました。)

特に都心は、電車を乗り過ごしてもすぐにやってくるし、合理的に生きていると思います。
けれども社会はそういうことばかりではない。
無駄な待ち時間、不条理なやり直し。なかなか出ない結果。
そういった耐性をつけるのも子育てには大事かもしれません。

理屈じゃなくて親のいうことをとりあえず聞くことも大事なことだと思います。

そういう親子関係は、小さい頃に育まれることです。

中学生を過ぎると、それから親が何かを言ってもすでに親子関係が完成してしまっているので、なかなか変わらない。
小さい頃に親が子どもにどう接するかは、想像以上に大切だと思いました。
子どもが親をなめることのないように、また、親はいざというとき頼れる存在であると子どもに思わせるために、親が毅然としかししっかり子どもを見て接する必要があると思います。

 

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