悩める子育て

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リオパラリンピックが面白い〜もっと身近に障がい者スポーツを!

リオ五輪で学んだこと

リオ五輪も大変楽しく拝見しました。
今回の大会では「最後の一瞬まで諦めない」ということの大切さを何度も教えられました。
見ている方が「もうだめー」と思ってしまい、諦めるとは信じることの辛さを手放すことでもあるのだと感じました。
最後までフルの集中力を維持できる、自分が勝てると信じている選手たちの精神力にうちのめさせられました。
その自身のバックアップとなっているのは、それだけ練習をしてきたからなのでしょう。

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パラリンピックをいろいろ見て気づいたこと 

興奮冷めやらぬなか、パラリンピックが開催されました。
東京オリンピック・パラリンピックを控えてか、以前よりパラリンピックの競技をきちんとテレビで観戦できる機会が増えて、大変楽しめます。

今までも冬季パラリンピックなどでスキーなどを一部みたほかはあまり見たことがなかった、パラリンピックのいくつかの競技をみて、印象が変わりました。

 

まず、技術の高さ。例えば視力がない選手の音への反応のすごさ。
車椅子の選手の上半身のパワー。義足の方の自分の足のように扱える走り。

オリンピック選手ももちろん素晴らしいのですが、パラリンピックの選手は私たちの想像を超えたところの凄さを教えてくれるのだということ。

見えなくてもこんなにできるの? 恐怖感との戦いは?
扱いの難しいという義足を自在に操る技術力って? むしろ障がいのない我々を大きく超えている。

 

それから、ゲームの面白さ。
車椅子バスケをみました。選手の技術力もこれまた普通のバスケを見るよりすごい。
みんな片手でホイホイパスをする。すばやい方向転換。めちゃくちゃかっこいい! 普通に普段から試合をみたい! そう思える面白さでした。

柔道は視覚障害のある選手がやるので、互いに組んでから始まることを知りました。
組み手争いが長く冗長でイライラする時があるので、すぐに技をかけられるのは見応えがありました。

そして、そうやってゲームを楽しんでいる時、一般的に感じる「障がい者=大変な困難を抱えた人」という健常者と区別するような意識はすっ飛んでいる、ということにもき付きました。

私の身近に病気以外で車椅子に乗っていたり、手足に欠損があったり、その他の障がいに悩んでいるという方はいません。
それでも父が病気で衰弱して車椅子になった時、意外と車椅子の方は多いのだなぁとは感じましたが、普段障がいのある方を見る機会はあまりありません。

私たちだって背の高さ、体重、肌の色、様々です。
それと同じなんだよね、背が低い人は高い人に高いところのものをとってもらう。
小さい人は大きい人が入れないところにあるものをとってあげられる。

最近こんなニュースがありました。

www.j-cast.com

 

「バリバラ」って、時々見ることがありました。なかなか面白いんですよね。
いろんな、かなり重度の障がいを抱えている人たちが普通にお笑いをしていたり、

あるときは「統合失調症」についてのドラマなんかをやっていて、参考になりましたがそこにもたくさんの障がい者がそれぞれ個性的で生き生きとした演技をしていました。

この放送は残念ながら知らなかったのですが、「感動ポルノ」という言葉を知りました。障がいを抱えて真摯に生きる姿は感動的よね!という押し付けに疑問を投げかける言葉ですね。

logmi.jp

 

パラリンピックを見ると、バリバラのお笑い同様、私たちと同じようにそれぞれの日常を生きているという当たり前のことがわかりました。

 

東京マラソンを現地で見たことがありますが、最初に車椅子のマラソンがスタートします。待っていると、車椅子の選手がさっそうとやってくる。
それなのに、ほとんど放映されないことに違和感を感じていました。
もっともっと、身近になってほしいです。

オリンピックは都民としては反対でしたが、こういう競技が注目されることは、単純に見るものが増えて楽しいなーと思います。
2020はなにかパラリンピックを見に行けたらいいなぁ。
そして、それをきっかけにいまの特に若い世代の息子たちに、障がいのある方も身近に感じられるようになってほしいと思います。

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