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悩める子育て

過ぎてみたらたいしたことなかったいろいろ

思春期の親に向けたメッセージ

年齢を冠した書籍が結構ある。有名どころは「13歳のハローワーク」など。
以前、図書館の資料検索で、「13歳」から順番に検索してみると面白そうな本が多くあった。

子ども向けの本もあるが、少し背伸びした感じのジャンル(哲学や法学や経済学など)について10代向けに噛み砕いて書いているので、子どもに読ませるために借りたり、自分が無知の分野を簡単に齧るために借りたりと使い道は多い。

本書は親向けなので、黙って読むことに。

大学教授をしている内田さんと精神科医の名越さんの対談。

いわゆる子育てマニュアル的な本ではない。

まえがきで内田さんが書かれているが、

「子供が日本社会の最弱の環であり、社会はそこから綻びてくる」

(「14歳の子を持つ親たちへ」より引用)

というところが対談の主題となった理由だと。大学教授をされていて、高等教育でできることは限られていると感じていることから、もっと前の初等中等教育の立て直しの大切さを感じている。

これは、周りの子を見ていても痛感する。
教育の問題は単純にどこが悪いと言えない複雑さを持つ。制度を変えるのはすぐには難しいが、個人が自分のマインドセットを変えることは誰にでもすぐにでもできる、という。

 

 

大事なのは、

「子どもが何を考えているのかわからなくて当たり前」「どう対処していいかわからなくて当たり前」という仕方で、「腹を括る」ことである。

(「14歳の子を持つ親たちへ」より引用)

というが、同感だ。

マニュアル本が多いのは、それを求める人が多いからだろうが、私は太鼓判を押してもらわなくては自分の選択をできないのは頼りないと思っている。というか、自信を持って選択して、将来を確信することなんて誰にもできないのだから、自分の問題として考えなくてはいけない。

 

vt-maguna.hatenablog.com

 

結局暗中模索というか、自分の選択を信じていくしかない。

 

さて、内容については、延々とお二人の持論が続いてゆく。
いくつか付箋を貼ったところを。

 

第2章 「病気なのは親の方?」より

自分の意見をはっきり言うことをよしとされている教育現場や親に対してそれを強制することは罪だと言っている。
自分の思いをうまく言葉にできないことを承認してあげること。同時にその堂々巡りするつぶやきをどこかで断念する必要があることを教えること。

自分が自分について語ることは、つねに語り足りないか、語り過ぎるかどちらかで、自分の思いを過不足なく言葉にできるなんてことは起こりえない。(中略)
言葉による完全な表現を断念した人間だけが、豊かな言葉を獲得してゆくことができる。

(「14歳の子を持つ親たちへ」より引用)

 

なるほど。あまり考えたことがなかった。でも、はっきり言うことがよしとされると、迷うこともなく貧困な言葉ですべてを語ってしまったりするのだと書いてあり、納得。なんでも「かわいい」とか「やばい」とか。

また、「何でも話し合える明るい家庭」というのに疑問を呈している。家族でも、いや狭いところで共に生きている家族だからこそ必要な節度がある、ということも。

小学校の高学年くらいから親は少しずつ子どもの中に土足で踏み込んでいくことをやめていかなくてはいけないのだろうな。「見守る」というのはこういうことか。

第3章 「二極化する文化資本」より

「利口組」「バカ組」という二極として例示している。
バランスを考えて方向転換もできる感性の豊かな知的な家族には選択の自由も出てきて、学校も選べる。偏差値一辺倒ではなく、子どもが二人いてもそれぞれに合った進路を選べる家庭。

一方で、そういう予備知識がない家族は人に聞いてはそれを試すが、包括的に捉えられない。要するに上っ面だけ真似をしているに過ぎないということだろうか。

どちらの親も思い当たる。兄弟がまったく違う進路を選んでいるという家庭も実はいくつも知っている。それぞれの子をよく見ているのだな、と思う。

一方で、それこそ幼少期から早期教育をやらせまくっていたはずなのに、うまく生かさずそのことに疑問も感じていない様子の人も。

 

ちょっと話がずれるが、大人の資格取得なんかでも同じ印象を持ったことがある。
いつも英会話だとかインテリア◯◯だかを高いお金をかけて習っているのだが、なんらその後それを生かす術を知らない友達。教室が終わったらそれで終わり。

 

また、東大の学生にも文化資本の差が歴然としているらしいことを紹介している。
音楽、美術、海外旅行などに触れた経験がまったくない子もいて、二十歳過ぎるとその差は埋まらないのだとか。その差の方が偏差値の差より大きいと。子どもの頃の体験の大事さ。視野の広さのベースになるのだろう。
 

名越さんが診療をしていて感じるのは、むしろ親のほうが言葉が通じにくいのではないかということ。

第2章で言われていたが、子どもよりむしろ親が問題と思われるケースが多い。
なまじそれで長いこと生きているだけに、言葉が通じないのじゃないか。

 

実際私の周りにも、子どものトラブルの原因はすべて子どもに押しつけている方が複数いる。まさに「言葉が通じない」。医者でさえ、言いたいことの本質を親にうまく伝えられず、「結局どうすればいいのですか」とまとめられちゃうと言っていた。

 

第4章 「「自分」は一つではない」より

内田さんが、自分は、「どうなのかな、やっぱりこっちかな」という揺らぎがある。それは可動域が広いからで、その中で揺らいではいるが、そこから出てしまうことがない。

しかし、日本人には、可動域が狭くてそこにいられなくなると壊して「転向」してしまうというメンタリティがあると。

この辺の話は結構興味深いのだが、要点をまとめるのは難しい。

ただ、わかる気がする。
もてはやしていたのに一転ボコボコに叩く、なんていうテレビの世界もこんな感じ?

私も断言はできるだけ避けたいと思っているし、自分にわからない部分がたくさんあることも知っているから、キャパシティは広く持っていたいなと思う。
 

この章では身体感覚についても語られている。やはりここでもすべてを脳で考えてがっつり言語化して全部理解するなんて不可能だと言っているようだ。
内田さんによれば、六割わかればオッケーという。
まえがきのところでも触れたが、そもそも他人なんて(子どもなんて)何考えているかわからない、と考えていると、ドンと大きく構えていられるし、逆にきちんと見ることができるのじゃないかな。
  

長くなるので、続きは次回へ。

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