たかだか四十数年ですが、生きるにつれ、知らない世界が多いことを知ると実感します。
息子と話していて、それを実感することが多い連休でした。
もともとの性格のタイプもあるでしょう。私と夫はわりと似ているようで、こういったすれ違いがほとんどなくきてしまいました。
そのことも私を無知にしていたなぁと思うのですが、子どもを育てて感じる自分の知らない世界はあまりにも多かったし、これからもそうなんだろうと思います。
思春期の頃は、自分がいろいろわかってきて、少し大人がわかった気になる年齢。
以前から、新聞の投書欄の若者は一刀両断するのだなぁ、とそれが若さゆえの自信で通過点なのだと思ってきました。
それでも、息子は本を読むので頭でっかちになりがち。ここのところ気になるのは
「それはこうでしょ。」という断定でした。
そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。わからないのに鵜呑みにするべきじゃないというと、わからなくない、絶対そうと言う。
ただの反論と思われるかもしれませんが、職業観などについても
「◯◯はこうだからなりたくない。」
などとよく知りもしないで決めつけることが多くてとても気になりました。
そういうお年頃と言ってしまえばそうかもしれないけれど、世の中にはそのまま狭い価値観で生きている大人も非常に多いと思うのです。
これからの世の中、私も夫も混沌としていて先のことがわからないと思っています。
わからないからこそ決め付けられない。一体どうやって生きていけば幸せなのか。もちろんどんなルートだろうと幸福を確証するものではないのはわかっています。ただ、自分が将来を考えていた頃の見えやすかったレールは今はないような気がしています。
書けばきりがないので省きますが、この2、30年に起こった予想外の出来事。世界情勢もひっくりかえったし、身近な生活も、業界地図も。そんなことを息子に話しつつ、だからこそ、なにがよさそうかもわからないと。
そういうときに必要なのは、適切に情報を集めて判断できるような能力と、行動する力、新しいものを試せるような開拓精神、臨機応変さなどなのかな、と漠然と思ったりします。
でも、息子はかなりの保守派でそういうと大変嫌がるのですが、古いものが大好き、新しいものはあまり興味ない、という変わったタイプだったりもします。
好きな電車から、音楽、文学、言語、歴史、思想まで…。
もちろんその趣味が悪いとは言いませんが、もう少し現実にも対応してほしいと思ってしまいます。というのも趣味的なことだけではなく、人の忠言や助言を受け入れる姿勢もない、頑固さなのです。
息子の学校での業務連絡が多すぎてガラケーでは割高で、必要になりスマホを持たせましたが、スマホひとつ持たせるのに苦労しました。でも、実際持てば便利に使います。
あれだけ嫌がっていたのはただの思い込みじゃないか。
勉強法一つも、自分のやり方がないのにこちらの意見を取り入れさせるのに大変苦労しました。もともとこだわりが強いのかもしれませんが、自分で考えるというわけではありません。
素直と対極の頑固です。
自分が未熟であると知るのは、ある程度年をとってからなのかもしれない。
だけど、もう少し新しいことに目を向けて、なにか新しいことを考えてほしい、と思うのです。
私も夫も日々変わる技術をどんどん学んでアウトプットしていく仕事をしているので、面倒でもアンテナをはっていなくちゃと思うタイプ。似ていない。
子どもがどう生きるかは親の干渉することじゃないけれど、あともう少しの間はせめて柔軟さと謙虚さと失敗を恐れない強さを持ってほしいと思っています。
人生は経験の積み重ねで、素直に向き合えば、知れば知るほど自分の生きている世界はとても狭いことを意識します。
その狭いなかだけで人生を終える人も多いかもしれない。ほかのことに興味なんて持たなくても生きていければいいという人もいるかもしれない。
これはこうだと自分の少ない知識で決めつけて、満足すればいいと思う人もいるかもしれない。
でも、たとえば小さなことなら、
子育てにおいて発達障害のことを知ったりすると、自分や身近な人の行動まで少し見方がかわってキャパシティが増えた気がします。
子どもがベビーサインを使っているのをみて、赤ちゃんにもちゃんと考えがあるのだと知って、対応が変わりました。
それはその後、「人はコミュニケーションが上手にとれないから何も考えていないわけではない」という理解につながりました。
一時昏睡だった叔父がいろいろ聞こえていたと聞いたり、自閉症の青年の本を読んで。
また、アメリカ大統領選後の各地のインタビュードキュメンタリーを見れば、それぞれの立場での考えがあることを理解しました。
休み中三人で話して、息子が予想外に頑なだったことを知って、まだ子どもだからと笑ってもいられないなぁ、と思いました。
自分と違う考え方の存在を認め、尊重することができるか、そういうことができるようになってほしい。
録画していた「東京裁判」のドラマを息子と見ていて、判事達の法の解釈の違いのぶつかり合いを目の当たりにしました。
連休中には映画「沈黙」も見に行きました。
こちらも信仰について、自分がどうすべきなのかについて、何が重要なのかを一面から見ていては呑み込めないと痛感することができます。
私は高校時代に原作を読んで大変価値観を広げた作品でしたので、ぜひ息子に見せたかったのです。とても重い作品なのですが、興味深くみてくれたようです。
できれば親の説教じゃなくて、考える機会を与えるのに良質なものを取り入れていければいいなと思っています。
巷で10周年とか20周年などと聞くと、「え、もうそんな?」と思うことが増えてきました。息子を社会に出すまでもう10年すら残っていない。先日そんな話をしたら息子も驚いていました。
今は毎日忙しくて話す時間もないとか言ってられない…。