悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

子どもは大人を見ている

小、中、高と学校のクラスというくくりの中にいれられる。 集団があれば、立ち位置もできる。

それぞれのステージによって、自分の立ち位置も微妙に違ったり、そうでなかったり。

否が応でもそこに組み込まれるから、高校までの学校ってちょっと疲れるところもあった。

 

『パッとしない子』という短編小説には、現在国民的アイドルとなって、MCなどでも活躍している青年が、かつてその弟の担任だった中年の女性教師と再会するという設定。
あっという間に読めるのだが、心をじわりと動かす。


パッとしない子 (Kindle Single)

主人公は女性教師。超有名人の担任ではなかったが、弟を通して関わりがないこともない。
序盤の主人公の周囲へのそのアイドルに対するコメントなどは、本当にありがち、いかにも自分でも言ってしまいそうな下世話なもの。

 


タイトル通り、昔の彼はパッとしない子だったと評する。

再会した青年から主人公が言われたことで、物語が大きくひっくり返る。

 

視点が女性教師の目線であるのが、斬新。それで、読んでいる自分も我が身を振り返り、変な汗が出てきそう。教師の方が読んだらもっと怖いんじゃないか。

 

あどけない小学生。大人になってしまえば、自分は大人として見下ろすことしかしないが、考えてみれば、そんなに何も考えていないわけではない。大人になると、それを忘れる。

 

私は、クラス全体からすれば、少なくとも小、中学生時代は「パッとしない子」ではなかった。
とても目立っていたわけでもないが、なにかと活躍する場を与えられていた方だ。
だが、私はここに出てくる、「教師にうまいこと懐いてかわいがられる」というタイプでもなかった。
9年間で本当に尊敬した先生は一人しかいない。

私が小学5、6年のときの30歳の男の担任A先生は、児童から嫌われていた。
自分が嫌われていたことを子どもから取り上げたメモで知って、昼休みに放送でクラス全員を呼び出し、そのメモに関わっていたクラスの女子全員を立たせて順番にビンタした。理不尽な、と思ったが、当時は大きな問題にはならなかった。
放課後「明日はボイコットしよう」と女子が集まって相談したものの、結局親に諭されてみんな何事もなかったように登校した(もちろん親にも人気はなかったから、親は子どもたちに同情的だったが、時代なのだろう)のだが、もちろんA先生との距離は圧倒的に広がった。

だが、A先生を見下している学年主任の50代のベテラン女性教師B先生が、A先生が不在で自習のときに補助でやってきて、A先生とうちのクラスをひっくるめてバカにしたのを見たときには、軽蔑した。

担任が不甲斐なかったおかげで、B先生にはコバンザメのような中堅女性教師がくっついているということも私たちは知った。その先生も、B先生に同調して私たちのクラスを見下していた。

面白いことにB先生のクラスの児童だった友達から聞いたが、そのクラスではB先生は人気で、卒業後もクラス会で先生が呼ばれていたらしい。
私たちのクラスでは、比較的すぐ開かれたクラス会でさえ、誰もA先生を呼ぼうとはしなかった。

 

また、専科の教師が一人の生徒のちょっとした態度(未だになにが悪かったのかわからない)にヘソをまげで授業を投げ出したときに、なぜかクラス全員で謝りにいかなくてはならなかったのも理不尽だった。A先生が力がないせいで、担任にも守られていなかった。謝罪はA先生なしの児童だけだった。

なんか、ずいぶん暗い感じだが、クラスメイトはそのおかげか一致団結して仲が良かった。学校全体が悪いわけではなかったので。

そういえば中学のときにはやたらと女子にボディタッチをするおじいちゃん先生がいたっけ。指導方法含めてやはり軽蔑していた。なんと、担任教師が保護者を口説いたという話も聞いた…。

 

いまは日常のしつけと称した簡単な体罰もなくなっていると思うが、息子が小学校のときにもヒステリーで生徒のプリントを破った先生がいた。
やはり、子どもの反応は冷めていた。破られた子は、黙ってテープで補修していたらしい。

 

教師だって人間だ。
私も親になってみて、この先生たちみたいに、自分の感情でつい怒鳴り散らしてしまったりすることがある。
塾講師をしていたとき、一人のときはおとなしかった子が、友達が加わった途端やんちゃになるのを経験した。
先生は集団の中で、体罰でとりあえず黙らせることもできないから、大変だと思う。

 

それでも、この小説には考えさせられる。


以前書いたが、息子が体調を崩して保健室によく行くようになったとき、担任が

「周りの子によく保健室にいく子だと思われている」

と私に言った。それで、ああ、この先生は、保健室に行くのはよろしくない、と言いたいのね、と受け取ったのだが、本作でも似たようなシーンが登場する。

もちろん、人間だから、完璧を求めているわけではないが。ただ、こういう自分や教師など子どもの周りの大人の対応は、確実に子どもの中にプリントされて、なんらかの判断がなされるのだ、と思う。

 

悪いことはしていない。

 

そう。この主人公も、理不尽なビンタをした私の担任ほど悪くない。だからこそ、懐かしの再会を期待していた。

でも、そんな教師の一言が、子どもに不信感を与えたり、その後に少なくとも影響したりする。

数年前の自殺した中学生と先生のノートのやりとりを思い出した。

matome.naver.jp

 

子どもは、見透かしている。身近な大人が薄っぺらい価値観で物事を処理していることを。

この自殺した中学生だって、担任が敢えて目をそらしていることをいちいち受け取っていたのだと思う。担任は、でもそれに思い至らない。

 

息子と他学年の担任だったが、保護者が、その先生の対応に疑問を投げかけても、このノートの先生のようにスルーする、少し知らないふり、わかっていないふりをしていた。
そのくせ、問題のないときには保護者や周りの先生には明るく馴れ馴れしく若い女性の先生らしくしていたのを私も度々見た。
結局このクラスでは保護者たちの先生に対する大きな不信が広がり、保護者会のたびに長時間の話し合いになって、校長まで顔を出すようになった。

大人はこうやって、納得がいくまで対応を求めることもできるが、子どもはそうではない。
私たちが、ビンタの翌日結局普通に登校したように。
その後も特に行動を起こさなかったように。
何も言わない。

親や教師は、その後子どもが黙っていたら、事態は沈静化したと勘違いする。
子どもの中でまだなにかがくすぶっているとは思わないのじゃないか。
ノートを書いた先生も、その日その日の返信で完結したと思っていなかったか。
 

この小説の主人公はそこまで青年と関わっていない。だけど、彼も、その家族も主人公が大嫌いだった、そんなこと全く思っていなかった。彼女にとっては青天の霹靂。

  

きっと、私の行う理不尽も、先生や大人がする矛盾した言動も、子どもはなんらかの思いで受け止めているんだろうな、と思ってドキリとする。

 

タイトルに戻るが、学校の場で、優等生であることを先生が期待しているのがわかる。
パッとしない子は、パッとする子たれと期待される。親もそうなってほしいと望む。

私も先生の要望にはそれなりに答えてきたけれども、勝手にリーダーを期待され、そのままでいいよ、と言ってくれる感じは学校では受け取れなかった。

パッとしない子は、記憶にならないくらい問題も起こさないのだから、社会に出てもそれなりに順応できるのではないか。さらに、精神的な成長は個人差がある。今は頼りなくても、将来立派になる子は多い。

 

話は先生とかつての教え子だが、親子でも同じだ。

特に親に大人気なのは、「パッとする子」だろう。

青年のように「パッとしない子」にはそういう大人の期待に敏感な子もいるだろう。

「パッとしない」とはなんと上から目線か。作者のそういう思いもこのタイトルに含まれているのかな、と思う。

 

悪気のない、大人の態度。

それを子どもは見つめている。

親としては、忘れないでおきたいと思う。 

 

 


パッとしない子 (Kindle Single)

 

 

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