ケニアにサファリをしに行ったことがあります。
動物番組が好きで、よくアフリカの国立公園をテレビでみていましたが、その光景が眼前に広がる素晴らしい旅でした。
サファリの車中にスワヒリ語のJambo Bwanaという曲を教えてもらいました。ケニアは素晴らしい国です、と紹介するような曲ですが、そこにハクナ・マタタという言葉があります。
「なんとかなるさ」、というような意味です。
私はこのときに知ったのですが、「ライオン・キング」でも有名なのですね。
youtubeで「ハクナ・マタタ」という歌を聞きましたが、とてもいいですね。
似たような言葉で、ビートルズの「Let it be」やドリス・デイの「Que Sera, Sera」という曲も有名ですね。
さらに、夫がインドに旅行したとき、向こうの方から何度も「No problem」と言われたと。まぁこちらはどこまで信じていいのやら、ですが…。
にも書きましたが、子育てって、とかく「人からきちんとした親とみてもらいたい」と、自分の優等生ぶりを発揮する場と頑張りすぎてしまいがち。
自分のことならそれなりに取り繕えるけど、子どものことは隠しておけない。
「親の顔が見てみたい」って恐ろしい言葉が鎮座している日本では、みんな必死ですよね。
「挨拶できる」「きちんと座っている」「お箸の持ち方がきれい」……。
それを我が子が褒められれば、親は、「わたしちゃんとしてる」と、ほっとする。
だから、そこに異様に厳しくなったり。
もちろん、大事ですよ、挨拶できる子はできない子より愛されやすいだろうし、きちんとしてない子は迷惑だと思われがちだし。
特に最近の日本はとにかく「周りに迷惑をかけない」ことが一番大事みたいになっていて、少しだけ息苦しい。
かくいう私も、放任気味の父が唯一うるさかったのが、「公共の場での迷惑」でしたから、結構気を使う方ではあります。幸い息子は外で駆け回るタイプではなかったけれど。
でもね、それだけじゃない!ってことに気づいて欲しい親御さんはいらっしゃいますよ。体裁だけうるさく言ってりゃ子育てしてるって言えるのかという。
男の子は特に、いくら言ったって聞かない子は多いと思います。それを目くじら立てて「しつけがなってない」って言う。
そんな子を抱えた親御さんは自分の育児に自信をなくしたりする。
もし、悩みから解放されるのが難しいとき、「ハクナ・マタタ」と唱えてみては?
自分が高校生の頃、それまでの自分は「きちんとしている」ことにとらわれていた気がします。高校入学後、進学校に入って、今まで難なくこなしていた自分が、そううまくいかないことに、学校を辞めたくなったことがありました。
中学時代は優等生とはつるまず遊んでいたつもりが、知らず知らずに自分は「ちゃんとしている」とい思っていたのかも。自分が高校中退だなんてありえない!
そんな自分がふがいない、とプライドが傷ついたのだと思います。
その頃出会った曲に「笑ってしまえ、自分なんて所詮そんなもの」というような詞があって、突然霧が晴れたことがありました。
あ、自分てたいしたことないんだ、でもそれでいいんだ、と思えた瞬間。
私はその時「きちんとした自分」からさよならしたので、子育て時はあまり苦労しましせんでした。なので、担任の先生から「そういう風に見られる」と言われた時にも「だからなんじゃい」と思えたのですが。
高校生の頃、「風とともに去りぬ」を見て、いろいろ内容は理解できたのか、できないのか、もう忘れてしまいましたが、これまたすごい!と思ったセリフが、ラストシーンです。
思い出し、映画を見直してみました。
レット・バトラーに去られてしまい、途方にくれたスカーレットが、
「彼を引き止めないと。きっと方法があるはずよ。」
と泣きながらつぶやき、だがその後、
「今は考えられない、変になりそう。明日考えよう。」
というのです。
この、「明日考えよう」に度肝を抜かれたのを覚えています。
そこにヒロインの強さがあるのかな。当時は、「それでいいんだー??」でした。
なるようになるさ、あした考えよう…。
実は最近もちょっとトラブルがあり、眠れないことがあったのですが、「そのうち時が解決するだろう」と思っていたら、本当に日々忘れていきます。
忘れるって能力なんだな、と実感しつつ。
そういえば、「鈍感力」何て言葉もありましたね。
冒頭の「Que Sera, Sera」なんて、改めてyoutubeで訳とともに聴いてみたら、これまんま子育てされている親御さんに送りたい曲ですね。よかったらぜひ。
夫婦でも親子でも、人はなかなか変えられないし、自分もなかなか変わらない。だけど、それでいいじゃん。楽しくいきましょ。