読んでくださりありがとうございます。
相変わらず息子の勉強に干渉するのを自制中のズボラ母ですが、息子は以前より勉強時間は明らかに減っています。予想してはいましたが、確実に成績は下がることでしょう。
まだまだ闘いは続く、と思いますが、ここでも周りにも宣言しているせいか、思いのほかイライラはしません。
そんな息子ですが、都合のいいときばかり母を利用しようとするのか、アフリカの問題を出せと言ってきました。
雑談中、「(以前私と夫が訪れた)ケニアの気候はどんなだ〜〜?」と問題を出したのをきっかけに、マサイ族の話になり、マサイ族の赤い衣装について見せようとネットを検索していたら、このような記事がありました。
TEDはよくテレビでも拝見して、多様な職業や環境にいる人の話から刺激を受けているのですが、彼女の話は聞いたことがありませんでした。
アフリカの多くの国ではまだまだ男尊女卑の古い価値観がはびこっていると聞きます。
そんな困難のなか、留学して戻ってきて学校を作る、並大抵のことじゃありませんよね。
普通なら到底聞き入れてもらえないような留学の話をおそらくすごい苦労をして勝ち取ったのでしょう。
ノーベル平和賞をとったマララ・ユスフザイさんもそうですが、困難に屈することなくできることをというか、できるだろうという以上の努力をして実現する力って、どうやって培われるのでしょうね。
こういった、社会に大きな貢献をする大仕事まででなくとも、育児においても自分で自分の人生を考えるときにも、自分で人生を切り拓いていく力は大事ですね。
過去にとらわれて言い訳をしながら、「だから仕方ない」「私には無理なのだ」と自分の人生から逃げながら、それでも他人を見ては妬み卑屈になるような人を見ると、もったいないと思います。
ベストセラーなんて普段読まないのですが、そうであることを知らずにタイトルに惹かれて手にとった『嫌われる勇気』を読んだときに、こういった日頃感じていた思いがそこに書いてあって、「そうそうそうだよね!」と共感することが多かったです。
アドラー心理学というのは恥ずかしながら知りませんでした。
『嫌われる勇気』には言い訳をしながらやらないことを、
「こういう原因だからやらない、できない」のではなく、
「やりたくないから、そのための原因を作っている」
と言っています。
結構厳しいんですよね。言い訳許されないから。
でも、なんか、心にポンと飛び込んでくるものがありました。
「言い訳をしないでまず動いてみる」
そういう勇気を少しだけくれた本です。
上記の内容とは少しずれますが、この本については多くの部分に共感したり、新たな発見があったりしてとてもまとめきれません。それに一度読んだだけでは理解できないようなところもありますし。何回も読み返してみようと思います。
改めてざっくり読んでみて、特に私の心を打ったところをご紹介します。
ちまちま本からテキスト入力をしようと思ったのですが、ウェブというのはありがたく、要旨をまとめているサイトがたくさんありましたので、ご興味のある方はそちらを参照なさってください。
最初に読んだときに、「課題の分離」というところに一番はっとさせられました。
「相手が自分を嫌いになるかどうかは相手の課題だから、自分にどうこうできることではない」
こう改めて確認するだけで、さほど些細なことにとらわれていないと思っていた私も気が楽になりました。
ここで書くために改めて該当箇所を読み返していたら、まさに私の目下チャレンジ中のこと(この記事冒頭参照)が書いてありました。
これまた違うウェブサイトにお世話になることにします。
長いのでさらに引用↓
勉強することは子供の課題です。そこに対して親が"勉強しなさい"と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることは出来ないでしょう。我々は"これは誰の課題なのか"という視点から、 自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
世の親たちは頻繁に"あなたのためを思って"という言葉を使います。しかし、 親達はあきらかに自分の目的、それは世間体や見栄かもしれませんし、支配欲かもしれません、を満たすために動いています。つまり、"あなたのため"ではなく"私のため"であり、その欺瞞を察知するからこそ、 子供は反発するのです。
アドラー心理学は放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子供が何をしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、 子どもが何をしているのかを知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思った時にはいつでも援助する用意がある事を伝えておく。けれども、子供の課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。
おぉ、読んだことを忘れていたけど私はこれをしていたのだ。
手に取った当初はちょっとした人間関係で「もやっとしたこと」があったので、あまり上記部分を気に留めていませんでした。
しかし、結構難しいですよ、厳しいですよ。世のお母様方わかりますよね〜。
それでも、実際周りを見ていて「言い過ぎる親の子どものよからぬ結果」を客観的に見ていて、うちの子含め、「いえば言うほど、本来の目的(成績をあげる)から子どもの意識が遠ざかっている」のを目の当たりにしてきたので、思い切ってチャレンジできたのかな、と思います。
耳を塞いだ息子を初めて見ました。
「あー。だめだこりゃ。」
しかし、昨日は干渉をやめてから初めて息子から「問題を出して」と言ってきたし、「英語を教えてくれないの?」と言ってきました。
少し、
「なにが大事なのかを考えてほしい。自分で自分の課題に責任を持て(というようなことをもうちょっとかみくだいて)」
と話をしたら、英語をやる件に関しては、「もう一度考えてみる。その話はまた今度ね。」
と言いました。
今までは距離を置くことで、全部見ないようにすることで言わないようにしてきたので、私はサポートだけして干渉をしないでできるのかしら。
またそれはそのときのチャレンジかな。
子育てはやはり修行ですね〜〜。
私のチャレンジ課題のきっかけはこちらで↓