悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

生物学的視点で楽に生きるために〜『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』

生物の研究をしている教授の書いた『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』を楽しく拝読しました。

 

生物とはこういうもの、という視点から、人間について悩みや楽に生きる方法について語っていて興味深いです。

 

脳のバグで苦労する人間 

自ら自分を辛い状況に追い込む生物は人間だけなのだそうです。

それを脳のバグであり、進化の過程で遺伝子の御用などにより偶然生まれた脳には不都合があるのだ。

もともと二足歩行で重い脳を持ってしまったおかしな体のつくりなのだから、少しでも楽しみませんか、というのがこの本の趣旨だとか。

遺伝子がバラエティに富んだ個性をつくる

本書では遺伝子に着目して、人の性格と思われるところも説明しています。

たとえば、愛情を抱くのには「オキシトシン」というホルモンが関わり深いのですが、オキシトシンの分泌量や受容体の数が遺伝子によって決まる→ゆえに愛情を感じやすいかどうかが決まるのです。

そう考えると自分が人にあまり興味がないのも遺伝子のせいかもしれないからと気が楽になる方もいらっしゃるかも。

 

同様にストレス耐性についてもβエンドルフィンという脳内麻薬の受容体が多い遺伝的性質で左右されるとか。
ストレスがかかるほど強く幸せを感じ、その脳内麻薬の回路はどんどん強化されるらしいので、高ストレスで快感を得られるということになるそうです。

 

なるほど、テレビなどで過酷な訓練をするアスリートを見て、いったいどうなっちゃってんの? と思っていましたが、彼らと自分のストレス耐性がそもそも違ってしまっていると考えるとなんとなく合点がいきます。

 

著者は極限環境生物に詳しいらしいのですが、これもおなじで、ストレスに強い極限生物はそれが当たり前で普通に暮らしているのです。

 

暴力性についても遺伝子が関わり、脳が発達しているほど同種間での殺し合いがあるらしいというのもちょっと意外で驚きました。

 

ほかにもナルコレプシーという睡眠障害、酒の強さ、空気の読めなさなども遺伝子に関わるので、それらをもって生まれた遺伝的性質だそう。

そう捉えれば、遺伝的にそうなのだから仕方ないと寛容になれるのではないでしょうか。

 

個性についても遺伝子により、人によって千差万別である。生物はそういった個体による強い部分と弱い部分をよくわかっていて、向いていることをして、向いていないことはしないとできるだけ楽をしようとしているらしい。

 

人間は大脳新皮質が余計なことを考えるせいで、楽ではない方に逸脱していくことがある。

それで、様々なストレスが生じるということらしいです。楽に生きたいなら、まず自分の特性を知り、それにあった環境を見つけることが大事と述べています。

 

でも、客観視は意外と難しい。人は期待されている答えを想定し、自分でもそういう人間だと思い込んだりしているらしい。

確かに周りの期待や見栄が自分に影響を及ぼす可能性はありそうですね。
子どもなどは親の期待通りにしている自分を演じているのか本当にそうなのかわからなくなっている場合もあるのではないでしょうか。

親が望む習い事を「やりたい」といい、望む勉強を「やりたい」という。
だから、「やめたくない」というのも同様、親が本当かどうかはよく見極めないといけないなと思ったことがあります。

 

著者は周囲の評価を気にするのでなく、個性にあった環境を選ぶようになったことでストレスが減ったそうです。

 

なるほど、好きだなぁと思う考え方がありました。

仕事の優秀さも、なにをもって優れているとするかのモノサシはいっぱいある。
ですから、ある仕事がダメでもほかの仕事なら成果を出すことは多い。

つまり、成果が出ていないということは、その仕事がその人に合っていないと考えた方がいい、ということ。

 

また、

「優秀であるかどうか」は、人間の脳が決めているだけのこと。視点を変えればどうにでもなるものですので、これを深く論じても意味はありません。

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

 

というフレーズには救われる人も多いのでは。

 

この辺から、どんどん楽にしてもらえる文章が続きます。

「長所・短所に良し悪しはない」(見出しより)

遺伝子は生物が生き残るために多様なバリエーションを作る。それが我々の個性となっている。

だから、人との比較に意味はないと著者は言っています。

結局、自分はその体以上でも以下でもない存在です。たまたま持って生まれたその体で生き残るか否か、それが生物としての一生です。

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

ここまで割り切れると、潔いですし、小さな悩みは吹き飛びますよね。

 

家族でさえ異なる個性、だからこそ、

まったく違う遺伝子を持つ上司や先輩の成功話なんて、面白く聞いておけばいいだけの話で、それを自分と比較してどうなるものでもありません。  

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

 

またユダヤ人の歴史的背景特有の遺伝子についての話も興味深い ものでした。

楽をしてしぶとく生きる

しぶとく生きるためにどうすればいいかも章立てして語っています。

 

楽をして生きられるために、自分をよく知り、自分にあった環境を手に入れるのが大事ですが、それを手に入れるには苦労も伴います。

自分はどこまで環境をよくしたいのかとはっきりさせることが大事だと言います。

 

確かに人の求める幸せは千差万別ですよね。

自然の中でのんびり暮らすのか、豪華なくらしを望むのか。家族を持ちたいのか、一人で生きたいのか。

 

中には外部の評価で自分の環境を決めようとする人がいます。
人から羨ましいと思われたい、要するに見栄っ張りですね。

それによって無理をしたりするから楽でなくなる…。

 

仕事に関しての考えもシンプルです。

生物と同じ、

仕事とは生きる糧を得るための手段です。 

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

 

やりがい、生きがい、格好いい仕事。

自分の脳が言っていることはだいたいトラブルのもと

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

 

だから、そんなことに振り回されずに生きるのがいいと言っています。

 

逆境にどう向き合うか

さらに、逆境への向き合い方として、動物のように「無理もしないで死ぬ」と覚悟を決めるのも生きやすくなると。

 

私は普段自分で選択して生きていたいと思う方ですが、一方こういった感覚というのも理解できます。

例えば天変地異が来たら? 不治の病になったら? 死ぬときは死ぬ。

 

一度病気になったとき、進行すれば死ぬかもしれないと知っても、実はあまり感じることはありませんでした。

父が亡くなったとき、それはもっと身近なものに感じられました。
近しい人が死ぬことで、得体の知れない怖いものでなくなったというか。

 

もちろん、今実際に死に直面したら、絶対に生きたいと思うし、その日が近づけば怖くて逃げ出したくなるだろうというのはわかるのですが、同時にいずれ死ぬのが早まっただけ、という気持ちもあるのです。

 

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また、ちょっと感動した箇所がありました。

くじけないことを学生に学んでほしいという筆者。

もちろん、無理して辛い思いをしてくじけないということではありません。

著者は「勝つまで負ける」という言葉を作ったそうですが、失敗は失敗と認めないと同じことの繰り返しになる、と語っています。

 

今まさに息子に毎日話していることです。
認めずに失敗を繰り返しているので…。そのときに同時に息子に話すことですが、本書でも連戦連敗でいいと。

ダメだと思うからなかなか認められないのでは。

 

そうやって失敗ばかりしてもくじけずに続ける。動物もくじけない遺伝子を持っていると著者は考えています。

 

今あなたがいきているということは、その間の、数えきれないくらいの世代の生物が、隕石が落ちようが、火山が噴火しようが、黙々と生きてきたわけです。子孫を残す前に投げやりになってもいいところ、そうせずに頑張ったもののみが子孫を残し、今の私たちにつながっているのです。

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

 

これを読んで、初めて自分の何代か前のご先祖さまだけでなく、人間以前であった生物にまで考えてちょっとうるっときてしまいました。

まさに命のバトンなんだなぁ。

 

 

後悔しない選択を

中高生に向けて、進路を語るときには同じ後悔ならやって後悔しようと伝えるという筆者。選択についても、生物学者らしい見解をしています。

選択の本質は捨てるほうにある

(中略)

過去に自分が捨て去った可能性の死体が死屍累々としている。この可能性の死体に対して、今の自分は申し訳ができるのか。

(『考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子』より引用)

こちらの話にはなるほど、と改めて自分を振り返ってしまいました。

 

仕事で楽をするために〜生物学から見たマネジメント〜

自分に向いてないと思ったとき、それを周りに相談すること。
そもそも会社であてがわれる役割は自然発生的なものではないので、向いていない可能性がある。

先述の通り、人は個性もそれぞれ。その人にできるだけあった役割ができれば、それがいい。

さらにその役割に上下があるわけではなく、区別にすぎない。

とても馴染む考え方だと思いました。 

ルールで楽になる

これは、私が息子にいくつか意識的に教えていることです。
息子は素直に聞くことができません。
ちょっとしたアドバイスだとしても、

「でもそれは〜だからできなかった」

という言い訳をします。

できないことが多い息子が、言われることを少なくするための自衛ともいえるかもしれませんが、言い訳をするせいで、上述したように同じ間違いを繰り返しています。

 

それで、言い訳をしないように、「ルール化」する。

こと、息子の中では、なにか指摘されたときに客観的に自分を見ることができなくなり、言い訳に終始しがちです。ときにはそんな無茶なというような後付けをしたりもします。

 

そうなると、いくらそれが支離滅裂な屁理屈だと言ってももう引っ込められません。

 

それで、もう「なにがあってもとにかくこうする。」と決めたことがいくつもあります。

 

たとえば帰ってきて着替えたら一番先に弁当箱を洗う。毎日やると決めた課題(ひとつにあまり時間がかからないもの)をやってからでないと他のことをできない(勉強もパソコンも)。だからといってなかなか守れないのですけどね。

 

本書でも言い訳をしないためにルールをつくるといいと書かれています。
コミュニケーションをとるときも好意を受け入れ、感謝を表すということや、怒りが生じたときに相手の立場に立つということをルール化することで、少し冷静になれると言います。

  

 まだ学校現場などでも、なんとなく決められた優秀さという基準があって、それに「合わない」個性の持ち主は「優秀でない」と思われてしまったりする。

 

親もその優秀さにこだわりすぎて、子どもになにが合っているのかよりも、その基準に合わせようとやっきになってしまう。これは基準が他者にあるから。

 

そこから解放されて、本当に子どもが楽に生きるにはどうしたらいいのかを考えるのが大事なのかなと思いました。

辛いことが嫌いな私にはとても興味深く、納得と「へぇ!」(古い…)がたくさんの本でした!

いまは若い人たちがブラック部活からブラックバイト→ブラック企業と考えすぎて本来の生きる力を見失ってしまいがち。

もうちょっと楽をしてしぶとく生きていかなくては!

 

 

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