悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

東大に三人入れた母の子育て法読み比べ〜「勉強しろ」と絶対言わない子育て

受験や子育てについて本をご紹介してきたが、ブログを書き始めた当初からすでに売れに売れていた『「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方』。
著者佐藤さんの考え方はまあまあ馴染んだし、興味がないわけでもなかったが、なんとなく手を取らずにいた。
テレビなどの前知識から、どうせ真似できないんじゃないか、という想いもあったし、母親の子育て法なんてその親子それぞれで違うものという考えもあった。

ただ、やっぱり子どもの受験が一年また一年と近づくにあたって、そろそろ読んでもいいかなと思っていた折、たまたま図書館で出会ったのも何かの縁。

 

さて、同じ日、同じコーナーにあったのが、この本の三年前に出版された『なぜか3兄弟全員が東大合格!「勉強しろ」と絶対言わない子育て』

出た!「勉強しろと言わない」フレーズ!
読み比べてみるのも面白いかなと思って借りてみた。


以下はいずれも私の勝手な感想です。人により受け取り方は違うと思うので悪しからず。

「勉強しろ」と絶対言わない子育て

後者はのん気な子育て法、一見佐藤さんと真逆なイメージ。著者は共に民宿経営をする高学歴でないという夫婦の子ども。ゆえに東大に入れたのはDNAでないと言うが…。


全体的に読んでみて持った印象は、いやいや、生来の能力高いよ、ということ。
頭の良さ、理解力の高さは別に学歴とは直結しない。
今ほど大学受験がメジャーじゃなかった我々の少し上の世代。そしてガツガツ勉強しなくてもそれなりに正社員として雇用されたバブル期。頭がよくたって環境などで勉強に興味がなかったなどで学歴を重視しない進路を歩んできた人も多いと思う。

 

頑張らないでも子どもの力を伸ばせると言うが、それは、子どもによるよ。
目次を見てもわかると思うが、読み聞かせをしなくても読書好きになる長男。
子どもはさっさと寝かせて自分の時間を楽しむ。もちろんそれもいいかもしれない。
子育てしかなくなって辛くなることもない。
ただ、なんとなく、この人は好きにしていたが子どもに才能があって、なるべくして東大生になったという印象。

ただ、お母さんが長男の早熟な性質を見て、公立中学では不安と思い中学受験をさせ名門進学校に入学できたことは親として環境を作ってあげたのかなと思う。
こちらは1980年代の受験というから、当時にしては中学受験をさせたのは特別な環境と言えるかもしれない。教育関係はあまり古くなってしまうと参考になりづらいかも。

ただ、中学に入ったらあとは子どもの責任。宿題をやっていないと言われても関与しない。

ここで、著者というよりこの本のコンセプトってなんだと疑問に思う。
東大合格をタイトルにあげているということは、読者設定として、それなりに高学歴を目指す親子なのではないか。
けれど、読み聞かせもしない、夜は自分の時間。

「子の幸せのために自己犠牲を払うより、母の幸せが優先。母が楽しく毎日を過ごし、やりたいことをやるほうが子には好影響」

 こう言い切ってしまうのは、よくある「ママがキラキラしていたら子どもも幸せ」なんていう言い訳に聞こえてしまう。別に好影響じゃないだろうと。
対極に子育てを無理してやっていていつもイライラしているお母さん、くらいしか設定していないのか。

「勉強は、それぞれしたい時期になってからすればいい。高校生からでも大学生からでも、大人になってからでもいい」

 したい時期なんて来ない人の方が多い。来なければ勉強しない人生だけど、だからこそこの本の目的って? このお母さんの子育ての目標って、自立させること以外に特にないんじゃないの? と思う。

今思えば、放っておいても本の虫になる子を当時まだメジャーと言えない中学受験をさせていい環境においた。それこそが東大に入った決めてなんじゃないか。
いまはきっと当時よりずっと中学受験も大変なものになっているだろう。

そうだとすれば、子どもに合わせた環境を探して中学受験させました。

この一行で終わりのような気がする。東大生はこうして生まれた的の本ではない。

一章の「こんなに勉強できなかった長男と、こんなにのん気だった母」、同じく次男三男と同様なタイトルの項が続くのだが、ちょっとイラっとする。

息子のいる学校だって、東大に入る子もいれば、無名とまではいかなくとも、中高に比べて大きく偏差値を落とす大学に入る子もいる。希望して入るならともかく、そこまで成績が落ち込んでしまう結果として。

 

長男を中学受験させたから、平等にするためだけで次男三男にも中学受験をさせたというなんとも非合理的な理由も共感できない。
読んでいて、何が目的でどうしたいのかあまり見てこない。
また、長男にはとても手をかけたが三男はほったらかし、次男に三男の世話をさせたとか、とても本にして読者の参考になるようなことではないのでは。

中にはなるほどねと思うようなこともあるが、コンセプトとはずれている。

面白いのは、「息子から一言」というコメントが随所にあるのだが、母が良かれと思って書いていることに対して、子ども側からの冷静な視線があったりするところ。
編集さんの思惑をちらっと感じてしまうのだ。
たとえば、

食事中はテレビを絶対見ないで会話をする、といった一見よしとされている方法。

◎息子のコメント

ただし会話必須となると「この母を喜ばせなくては」「食事の間を持たせなくては」というプレッシャーもありました。単純に楽しかっただけでなく、愉快半分・我慢半分といったところでしょうか(笑)。

 こういうところが実は母として参考になる。
自分が良かれと思ってやっているけど、本当はどう感じているのかとどきっとする。

続く子どもとの関係は「友達以上・親子未満」のところでも、子どもの教育は放任なのに大学時代に息子たちの飲み会や旅行などに顔を出したりする!

◎息子のコメント

母に押しかけて来られて、嬉しいわけも愉快なわけでもないのですけど、好奇心いっぱいで目をキラキラさせてやってくるので、止める理由もなく……という感じでした。

 やっぱそうだよね〜〜。
さらに「小学校時代は思い切り自然とふれあう」では、

◎息子のコメント

大きくなってからは「面倒だな……」とイヤイヤ家族遊びについて行ったことも、実は多かったです。しかし、親が「あははは」と本気で楽しんでいるので、仕方がないと思っていました。(中略)いつも先頭になって楽しんだのは母です。かなり合わせた部分はあったと思いますが、(後略)

 なんとなく、この家族、お母さんやりたい放題で能力高い息子たちがぐれもせず母に気を遣いながら立派に成人したってストーリーなのかな、という印象。

 

また、長男が塾に通うことになったとき、2時間強なので弟たちも連れて行ったが、母が他のママたちとおしゃべりに夢中になっている間、子どもたちは騒ぐこともなくジッと待っていて、それを他のママたちに感心されたというくだりは、「してはいけないことをきちんと教えた結果」だと言っているけれど、本に書くことじゃないな、思う。

 

結局自分がしたいことに子どもたちを付き合わせていたんじゃないのかな。

 

こんな感じで進むので、途中からはツッコミ入れながら流し読みになってしまったのだが。

全てを鵜呑みにしない

私もまだ子どもが小学生の時、子どもの進路についての雑誌特集などでこういうよくできたお子さんの経験談をいくつか読んで、

「そうか、勉強しろなんて言っちゃいけないのね。」なんて真に受けたりもした。
だけど、実際息子が小学校の時の「ちゃれんじ」の課題を全然自分でこなせないことや中学受験をするにも関わらずエンジンがかからないという実態を目の当たりにして、それでも我慢(という名の放任)をしていたら、単に何にも努力しない子にしかならなそうと感じた。

それから、こういう放っておいても勉強に興味を持ち、自律ができる子もいるが、自分の子がそのタイプでなければその話はあまり参考にならないということを学んだ。

 

東大などのブランドがあれば話の種にはなる。三人も受かればなおさら。
その名前だけで興味を持つ人は多い。この書籍のタイトルも出版社がより受け入れられそうでキャッチーなものをつけているのだろう。
だがそういう人目を引くものがすべて価値があるわけでもない。
実際知人で同様なブランドを持って書籍を出した人がいるが、その内容に実情を知っているものとしてはどうなのかなと思うことが多かった。
テレビじゃないが、本当はどうであれ、受けて見てもらえればいいのか。

願わくば、東大とかハーバードとかそういううわべのブランドだけでなく、本当にいい内容の本が読みたい。一発逆転ものとか、できない親からできる子なんて夢物語は汎用性がない。
この本で学んだのは、やっぱり「息子の一言」かなぁ。反省材料として。

確か過去記事で紹介した本の著者が、子育て本をとてもたくさん読んだとあったが、
子育て本も玉石混交であることは否めない(教育関係に限らないが)。
あまりうのみにせず、いろいろな本を読んで冷静に俯瞰して見られることが本を糧にするには必要なことだと思う。
自分のほしいコメントを言ってくれるだけの本ではなく、違った価値観で書かれた本を読むことが大事だと思う。

 

vt-maguna.hatenablog.com

  

 

誤解なきように言えば、この本の著者の子育てを全面的に否定するつもりは全くない。
ただ、東大合格という看板を掲げての「いつでも学びたい時に学べば」という著者の姿勢にはこの本の目的が満たされていないと感じる。

さらに、自分優先の言い訳を体のいい言葉にすり替えているようなところが鼻につく。

本にするわけだから、何もしませんでしたとは言えないのかもしれないが。

 

でも、長男の環境を整えてあげたことは大事だったと思うし、自然にふれあうとか家族と話をするとか美術館・博物館・図書館を利用する、よその子と比べないなど普通の子育てとして参考にならないこともない。
東大がなんぼのもんかと思って、好きな仕事をしている夫が一番えらいと言うのも素敵だと思う。だからこその、反学歴本なんじゃないのと感じる。主題がぶれる。

子どもたちの中高時代何もしなかった著者はこう言っている。

私にあえて対策があるとしたら、「大学受験を意識の外に追い払ったこと」です。もう大人である子どもにプレッシャーをかけないことが、一番の大学受験対策ではなかったかと思います。

 対策? 後付けにすぎない気が。

あえて価値があるとすれば、ここで言うように、子どもを自分の理想にあてはめようとしてヒステリックになってしまっているやりすぎの親御さんにはクールダウンするために読んでもいいかもしれないけれど…。
そういうヒステリックな親は子どもにとっていいことひとつもないから。
適当に子育てしてなるようになれ、というのなら本にしなくていいと思うが。
 

この記述のすぐあとに長男から、ギリギリまで勉強をせず、いわゆる受験勉強を軽く見て授業中も本を読みふけっていた結果、高三になって焦るも遅く、浪人することになったという経緯が書かれている。1年半の受験勉強で東大に入れたのは彼のもともとの才能としか思えない。

 

こういう、中二病じゃないが、斜に構えて受験勉強をすることをバカにしてしまうのは子どもの愚かさだ。
うちの息子も放っておけばこうだと思う。
学校の自治活動や同好会・有志の活動、難しい本を読みこなしている自分は、受験に向けてカリカリ予習復習している隣のやつよりいけてるみたいな。
所詮中高生は子どもだ。
一方同じように遊びまくっていた多くの先輩が、「あの時もっとやっておけばよかった」と、今活躍している人さえいうのを聞く。

 

だから、なにが大事なのかをたびたび息子と確認する。私はそういうあなたの活動も評価する。できれば私も両立させたい。だからこそいろいろ言わせてもらう。
 

できる限りの手をかけ続けたのが、一方の『秀才の育て方』の佐藤さんだ。
長くなったので次回へ。

 

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