たまに、このブログにどんな検索で来られたのかを見ることがあります。
その中で、たまたま出会ったブログに考えさせられました。
少し古いのですが、お兄さんの死を迎えて、そのお兄さんの生き様を。
ある面ではとても優れていて、ある面では簡単なこともできなかったりする。
うまく自分の思うように社会と合わせていけなかったお兄さん。
冒頭の「ひきこもりの兄」というところで、私が想像したステレオタイプのひきこもり男性と本当のお兄さんの姿とは全く違っていた。
知らないということはこういうことなんだな。ひきこもりと一括りにしても、その理由もその人のキャラクターもきっとそれぞれであること。
動物や子どもが好きだったり、体を鍛えたり、ひきこもりになる前にはむしろ普通の人よりずっと活動的で才能あふれる人が、どこをどうしてこうなってしまったのか。
最近こうやって自分の知らない苦労をしている人の話を聞くにつけ、やはりあまりよく知らない人のことをさも知ったかのように語ることはできないと感じる。
知人で夫がリストラにあい職を失ってから、紹介された仕事をことごとく気に入らないと辞めて、家族がいるのに無職期間が長い人がいました。
支える家族がいるのに自分の好き嫌いだけで簡単に仕事を辞めるってどうなの? そういう簡単な気持ち程度で片付けがちでしたが、好きで職を転々とする人はおそらくいないと思うので、そこはその人にしかわからないのだ、と思うようになりました。
耐性がどの程度あるかは人それぞれ。それを自分の尺度でダメだししても意味がない。
世の中には、面白いと思わないような仕事を淡々と続けられる人もいる。
最近息子と見たドラマ「地味にスゴイ」では、前向きな主人公が本来の希望でない校閲という地味な仕事についていても、その仕事で得た様々な知識が自分の夢の仕事に役に立つはずとワクワクして語るシーンがある。あのドラマを見る限り校閲はなかなか大変だけど面白いと思うのだが。
そういう人は強いのかもしれないし、そうありたいし、これから社会に出て行く若い人たちにはそうであって欲しいと思うが、そうできない人もたくさんいる。
好きな仕事をしたいためにいろいろ下準備や努力をしていく、どちらかというと私はそういうタイプだけれども、その主人公ほどポジティブにはなれないし、むしろ嫌な仕事にたいしてあまり鈍感ではないと思う。
好き嫌いがはっきりしているというのは、いい面も悪い面もあると改めて思った。
才能をどう生かすか、結構難しい課題だなぁと思う。