年末に長電話で話した友達から、急遽東京に来るのだけどとダメ元でお誘いがあり、二年ぶりくらいで会ってきました。
おそらく起立性調節障害のような症状で悩まされている息子くんも高校受験のさなか。
私立の滑り止めは無事合格。
県立まであと一月もあると、その時間を持て余しているようでもありました。
小児科には行ったそうですが、薬の処方はなかったようで、様子をみましょうだったと。
え? 様子見て治らないからかかったのでないの? 受験に行けなかったら困るよね、とちょっと不安に。
とにかくダメな日は横にぺったり寝た状態でしかいられなかった息子を思い出し、こちらも気が気でなくなりました。
病気で医者にかかるって、特にこういうはっきりしていない症状の場合、結構ストレスなんですよね。期待していたような対応をされないことが多くて。
入試はもちろん、入学当初から学校へ行けないということは避けられたらいいな、と思うばかり。
そんな友達が息子くんの言動に
「一時は息子が何を考えているのかわからなくなった」
と言っていました。
受験のために塾に通わせても、「周りのレベルが低い」という。
だけど学校でトップの成績なわけではないから、根拠もなくバカにしているように思えたそう。
でも彼は、以前会った時、私からはとても知的好奇心旺盛な子に見えました。
その時は自分の興味のある数学の話をしてくれました。
そんなに学校の勉強をしていなかったというから、成績がトップでなくても理解力も高そう。
彼女は自分とは違う息子くんの言うことがよくわからなかったと。
子どものことは自分と同じ感覚で考えようとしてしまうけど、そうじゃないのね、と言っていました。
学校にも彼の興味に合うような話し相手は一人しかいなかったと。
彼女にとってはいなかで選択肢もないことから、環境を整えるのは難しかったと思います。地方の人には高校受験が最初のチャンスかもしれません。
彼女も合格に合わせて引越しをするそうです。
自分に合った学校へ行けるか行けないかは、その数年間をどう過ごすかに大きな影響を与えます。
選ぼうと思えば選べる時代。学区と内申と偏差値だけでほぼほぼ行く学校決まっていた、という私たちの時代とは違うなぁ。
さらに、病気ではないかと認識する前は、朝起きられないことで親子で時々喧嘩になり、ある日も遅刻になっちゃうよと声をかけたら目覚まし時計を投げつけられたそうで、友達も限界を感じて実のお母さんにヘルプに来てもらったのだとか。
本人が一番行かなくちゃと思っているのですね。
この病気のつらいことは理解されにくいこと。そういう体調不良のない人が、夜とても元気に活動している子を見て病気ではないと思うのもわかります。
私も中学時代、毎晩3時〜4時まで寝られずに部屋で遊んでいました。そこまで起きていられるって、そのときの私も少し病気の症状があったのかも。
実際朝はめちゃくちゃ辛かったので。高校へ電車で通う頃には、毎朝なんでこんなに死ぬほど辛い思いして行かなきゃいけないんだろうと思っていたのを覚えています。
学業にしろ、生活にしろ、親と子どもが置かれた環境や立場が違えば、そのとき感じることも違ってくる。母と息子は性別も違うのでなおさら。私も未だに息子がよくわからないことが多いです。
でも、わからないと自覚していれば、まだましなのかな。
なんでこんなこと言うんだろう? なんでこんなことするの?
散々言ってもきかないのはなぜ?
そうやって親が真剣に考えれば、決めつけて対応するよりはいいのではないでしょうか。
そして、どんな親子だって分かり合えてるなんてことないのでは。
私自身親に見せない顔もあることだし。息子が思春期になってからは、たびたび自分がどんな中高生だったかを振り返ります。
呆れるほどなにも考えていなかったな、と思い出すと、少しイライラが収まります。
少し前某掲示板で、
「勉強しない中学生の息子に手を焼いている、母親がもっと見てやった方がいいか」
という話題がありました。
多かったのが、
「中学にもなってきちんとできないなら、それはその子の責任」
「親が見るなんて過保護すぎる」
といった意見でした。
確かに、きちんとしている子は放っておいてもやるし、将来のことを意識させれば納得してやる賢い子がいるのも事実。
でも、息子のようにいくら言っても楽観的でやらずに赤点を取るまで懲りない、もしくは赤点が常態になればそれが自分の実力と思いこんで開き直る子がいるのも事実。
同じ学校の息子の友達には、いまは絶対塾へ行かないと断言していて、ふだんどころか試験前さえ勉強をしない子がいます。そう宣言するからには、やると決めたときには本気出すのだろうかと思いつつ、それを受け入れざるを得ないお母さん大変だな、とも思いました。
でも、そのご家庭がすごいなと思うのは、そんな試験前に勉強しないわが子と合奏をしたというのです。彼がギターで、家族がそれぞれの楽器(ピアノや弦楽器)で合わせてクリスマスの曲を。
確かに友達関係でも頑固者らしいその彼は、意見の相違ですっぱり仕事を辞めちゃったりすることがあり、なかなか一筋縄ではいかない子だとは思いましたが、素敵な家族に支えられているのだなぁと感動しました。
結局子育てなんて一律で語れないのでしょう。
むしろ、自律だけでやっていける人のほうが圧倒的に少ないのじゃないか。
会社だって、出勤時間の縛りがあるからきちんと通える。社会には様々なルールがあるから守れる。お給料をもらえるからそれなりに仕事ができる。コーチがいるから辛い練習も耐えられる。
世の中そういう縛りや周りの目やフォローがあるからできていることって多いのじゃないか。
親は子どもを理解できないことを自覚しつつも、毎日毎日地道に見守ることしかできないのだと思います。見守るにはある程度手をかける必要も含まれるかもしれません。
親は他人がどう言おうが気にせず、自分のよいと思えるやり方でやるしかないのでしょう。無責任に「中学生にもなって」とか「朝親が起こしているなんて」と言うその人たちがわが子の子育てに責任を持ってくれるわけじゃないのだから。