友達がやたら多い人の闇
昨日は友達の数や、周りと上手くやってくれることをつい親として望みがち、という記事を書きました。
そこで、触れた、友達がやたら多い人の闇について。
はじめに遭遇したのは、大学のサークルの友達。女子はとても少なく、同じ学年では最終的に三人のうちの一人の女の子。
彼女はサークルの誰とでも親しげに話せる気さくな子で、だからみんなに慕われていました。
彼女の引越しの時、彼女のお母さんと二人で長話する機会がありました。
お母さんに彼女は昔の友達と付き合いが全然ないと聞いてとても驚きました。
私は彼女にはそれなりに信頼されていたようで、いろいろ相談を受けたりしましたが、やはり、少し淡白だなと感じることはいくつかありました。
たまにみんなで飲みに行っても、二次会は行かず、「テレビが見たいから」と行って帰ってしまう。約束をしてもドタキャンがすごく多い。
結局みんなと会うことがストレスでもあったんじゃないか、一度二人で会うときにドタキャンされて私が怒ったことがありました。そういう(文句を言われる)ことはあまりなかったようで、彼女は「あとで泣いた」と言っていて焦ったのですが、そのあとも付き合いは続いていました。
それでも、卒業して結婚して地元に帰り、だんだん疎遠に。年賀状だけの付き合いが数年続いています。他の人とは付き合いもないようす。離婚もしました。
あれだけ親しくしたのにな、という気持ちはあります。同じ場所に所属しているときとそこから出たときのギャップが大きいのです。
学生時代のバイト先にも、そういう誰にでも好かれる気さくな人がいました。
それで、社員の男の人に告白されたそうなのですが、その人のことを陰でけちょんけちょんにけなしていて、それなら断るのかと思っていると、いざバイト先で出会うといつものように愛想よく笑って対応をしているのを見て怖くなりました。
彼女はバイト先では人気者でしたが、自分では友達は一人しかいないと言っていましたが、その唯一の友達のことを相当悪くみんなに話していました。この人がきっかけで、愛想の良い人気者が苦手になったと思います。
学生時代のクラスの友達に長身美人で気さくな子がいました。
彼女はサバサバした感じで親しみやすく、美人だったので、所属サークルで男の子に付き合ってと言われては、すぐに振られてを繰り返していました。私たちクラスの友達の間でも淡白で、その場では楽しく会話するのですが、心は許さないという感じだったので、付き合った男の子がもの足りないのだろうな、と思いました。学生時代は何度もグループで旅行をしたりしましたが、卒業後わりとすぐに関係は切れました。
もう一人このクラスの友達の一人にすごく顔が広い子がいましたが、結局この子も卒業後数年して関係は切れました。
私が敢えて選んでいない、というのもあるのですが、他の友達ともその子たちは縁が切れているのです。
そういった人たちはみな話は上手なんだけど、いつもせわしなく、あまり腰を据えて話したり付き合いをすることができないので、最初は一緒にいて楽しいのですが、確かに物足りないのです。
人間関係って、あまりにも「誰でもいい。あなたじゃなくてもいい。」というメッセージを受け取っても付き合えるものじゃないと思うのです。
あなただから会いたい、あなただから話したい、という関係でなければ付き合いは希薄になっていくのでしょう。
そして、あまりに友達の数が多すぎる人は、なぜ人気者か。
相手に臨機応変にうまく話を合わせる、だからその場では相手は楽しい気分になるのじゃないでしょうか。
でも、本人にはそれは無理しているわけで、あまり面白いものでもない。だから疲れるから長時間一緒にいたくないのじゃないか。
なんで無理して他人に合わせるのか、どこかで自分の人に対する虚しさを数で埋めて安心したいのじゃないか。本当は人付き合いが苦手なんじゃないか、と思えてきました。
薄々気づいてからは、あまりその手の人に必要以上に近づかないようになりました。
そういう関係に興味がないからです。
相手に無理して合わせない、だからこそ、誰にでも好かれるわけでもない。
そういう態度は自分に負担がないので、人付き合いにストレスもない。
私は話の合わないママ友とケンカしたりしてますし、またいまはそれなりに相手は自分と違うと知りつつ、先日も長電話してしまいましたが、もう言いたいことは言い合ってしまったので、ストレスはそうありません。もう意見が違うと、「そこは考え方違うしね。」と話せるので。
一方、息子の小学校のクラスのお母さんで、わりと誰とでも話をして華やかな人がいましたが、結局陰口ばかりで、その陰口の相手に会うとどこ吹く風で親しげに話しているのを見て怖い人だと思いました。
興味深かったのは、複数のお母さんがその華やかなお母さんから嫌われているんじゃないか、と私に話してきたことです。私も思ったことあります。
(うちの学年のお母さんたちは、その人をボスママにしたてておだてるようなタイプじゃなかった)
結局うまくやっているつもりだったのかもしれないけれど、その裏に愛があるかないかは伝わってしまうのだろうな。
最終的には卒業後の付き合いもその方だけできなくなってしまった(皆が省いたわけではなく、自爆です)。最後はなんだか気の毒になってしまいました。
本当に充実した人間関係は?
少し前に「リア充」や「ぼっち」という言葉がはやりましたが、なにをもってそういうかにもよるのですが、それなりに「リア充」に見える人が実は闇を抱えていたりすることを感じると、本当に充実しているのは、自分が相手に「その相手だからこそ」という信頼や親しみを持てて、相手からもそれを受け取れるという関係を築けている人、なのだと思います。
そういった関係が築けるためには、何が必要か。
無理をしない
比べない
愛を感じ、愛を伝える
あたりでしょうか。
そのベースとなるのは、「自己肯定感」なのだろうと思うのです。
自分が自分のままでいい。
なんなら無理して関係を続けなくてもいい。
居心地が悪い関係は潔く切れる。
「こんなこと言ったら嫌われちゃうかも」
「断られたら怖いから誘えない」
そういう考えが、恋愛も躊躇させてしまうのじゃないか。
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自己肯定感は昨今結構言われていますよね。
子どもを育てるのに欠かせない物のような気がします。
どうしたら養えるのか、また考えてみたいと思います。
息子は、そういう面では、マイペースではあるけれども好きな友達ははっきりしているし、友達も息子のことを好きでいてくれるようです。
また、委員会などの仕事を一緒にしている友達とは電話で怒鳴りあいになるくらい揉めたりもしていますが、それでも仲良くやっているようです。
その相手の子のお母さんも「聞いていてひやひやする。そんな言い方して、嫌われちゃうよ。」と注意したらしいのですが、その子は「そんなことない。あいつなら大丈夫。」と言うらしいのです。息子も同じです。
そんな関係がこれからも築ければいいな、と思うのです。
一方、部活では先輩に甘え上手な友達に比べて、息子はわりとひょうひょうとしているようです。先輩もかわいがってくれているので好きなようですが、甘えるのは下手なようです。小学校でも後輩には抱きつかれるほどなつかれていますが、先輩とは距離をとっていました。
友達の甘えよう、先輩のかわいがりようを聞いていると、もう少しかわいくすればいいのにと思うのですが、まあそれが息子なのだ、と思うようにしています。