医学生になる息子を持つ人が、息子が
「人に頭を下げたくないから、医者になる」
と話していたのを聞いて、そんな志ではよくないと母親なりに悩んでいる話をネットで読みました。私はお母さんえらいと密かに思ったのですが…。
それに対して、
「もう大人なんだから親がとやかく言うことじゃない」
「本人が経験して学べばいい」
という意見が、私の想像より多くありました。
子どもの自立と、どこまで口を出すかということと、似たようで少し違う問題かと思いました。
人としてどう生きていくべきかを親が教えることって、ある年齢以上になったら必要ないのでしょうか?
でも、社会に出るまでにすべてを教えられるわけではないし、社会に出たからこそ体験して自覚することも多いでしょう。
そして多くの場合、他人はあまりよくない行いやふるまいをしている人がいても、それを指摘してくれません。
経験をしたからって、成長するとは限らないし、いい年をしても威張りくさっていたり、差別主義だったりする大人も多かったりする。
以前書いたけれど、
「どんな子に育てたいですか」
という問いに対しての答えは、必ずしも未成年の時限定で目指すものでもないのでは?
言われなければわからないことは多い。
トラブルを経験すればいい、というのも一つの考えかもしれないけれど、トラブルというほどのものでもなければ、本人は自覚をしないまま、周りに迷惑を撒き散らしたりすることもありうるでしょう。
それはそれでもう仕方ないのでしょうか。
一方子どもの立場で考えれば、確かに大学生ともなれば一人前のつもりでいるだろうし、そこで親にとやかく言われたくないという気持ちもわかります。
別に、成人した子どもに無理やり自分の思うようにさせようという気はありません。
それでも、親としてはこう考える、という話はしてもいいのかなと思います。
成人したら、自分の罪は自分で責任をとる。
それはわかるけれども、親になんの責任もないわけではないでしょう。
あとは、子どもを押しつぶしてしまわないように、自分で歩かせるようにしつつも、大事だと思うことはきちんと伝えていけたらと思っています。
そういえば私も、就職活動をしない選択をしたとき、父から控えめではありますが「そんなことでいいのか」と言われたのを覚えています。
言われたことに対してはもっともすぎて反論する気はありませんでしたが、結局我を通しました。それでも父の言うことは「やはりそうだよね」と思ったものです。
子どもがいうことを聞かなかったからといって、言わないのと同じであるわけではないということです。
冒頭の件のように、意外と簡単に
「過干渉だ」
「放っておけばいい」
と言われがちですが、なかには、言っている人が子どもをきちんと見ていないのじゃないか、と思うようになってきました。
手抜きの言い訳に子離れを使うのは違うのじゃないか、と感じてきました。
先日、「好きか嫌いか言う時間」という番組で、中高生がいじめやスクールカースト、ブラック部活などについて語っていました。
番組にはもう少し掘り下げてほしい思いもありましたが、なんだか大変そうないまの子どもたち。
自分たちとは違う時代、むしろ普通にやっていくのが少し難しそうなこどもたちの環境に大人が無関心でいてはよくない、と思うのです。
放っておいても子は育つ時代ではないのかもしれません。
いろいろ見ていたら、我が家は放っておいてもこども三人立派に育ちましたという意見を読みました。
それは、親のフォローを必要としなくとも立派に大人になる子も中にはいるのでしょう。
それが子育ての成功とイコールではない。
どうあがいてもなかなか思うようにいかずに、幸せで楽しいけれども心配やストレスも多い子育てをしている私にはそう思えてなりません。
あとは、立派に育てたと思っているのは親だけってこともあるでしょうし。
自分の経験上、都合の悪いことは隠してきてますから。
一方で、以前書きましたが、親が子どもを自分の思うように管理しようとしすぎて、子どもとの関係が崩れてしまっているケースも。
子どもへの「関わり方」やその「程度」もその子によって適切なものがあるわけで、そうなると育児書の通りにいかないなんていうのは当たり前のことかもしれません。
大事なのは、我が子にどのやり方が適切か見極めることかと。
「干渉」が必要なのではなく、「見守り、見極め、導く」ことなのかと。
それがむずかしいんだけどね。
実際私はブログを書き始めた頃は、こちらの心配に耳を塞ぐ息子にしばらく何も言わないよう我慢していました。それはそれでその時期必要だったと思っています。
けれど、一向に変わらないということを「知って」、やはりここは違う方法でなくてはいけないと模索を始めています。
「就活家族」というドラマで、不甲斐ない我が子たちに正論を話すお父さんに、
「今になって急に父親ヅラしないでよ!」
という娘。
息子も娘も、今まで信頼関係を築いてこなかった父親に急に正論を言われても、素直に聞く気持ちはないということ。
どちらの気持ちもよくわかる。お父さんが、息子が入塾した悪徳就活塾に話をしに行く。なんとかしなきゃと奔走する。
ここは踏ん張りどころなのかもしれないと思って見ています。
信頼関係は作らなきゃいけない、と改めて思いました。成人した子を持つ友達の話を聞いていると、やはりまだまだ危なっかしくて、一人で出せないところもあるのだもの。
前回記事の息子の尻拭いじゃないけれど、どこまで親が手を貸すのか、放っておくのかは難しいです。
実はこの出来事のあとも、レポートを出さなくてはいけないことで一悶着ありました。
長くなるので次回にしようと思います。