一人息子を育てて十数年、やはりそれなりに困難だと感じました。
先日、実家に行き、夕食後、息子がwiiをするといって30分したら帰るといいつつ、時間になってもまったく終える気配なし。その場でどれだけ「終えるって言ったじゃない」と言っても聞かない。
これは実は毎回のことで、言った時には守る気はないわけではない(一応時間を気にしている)。しかし、いざ始めてしまえば、もうあとは気がすむまで(本人にとってはそれでも途中なのだろうが)やらないと終えられないのです。
いくらその時間になって、約束したからやめてといってもやめられない。
もちろん是が非でもというならテレビの電源を切ってしまえばいいのだけれど、問題はそこではありません。
その時に、母にも「昔からこの子は言うこと聞かなかったよね」と言われました。
たびたび、決めたお手伝いや勉強をきちんとこなしたり、こなせなかったときにはそれなりに対策をたてられてまたやっていくことができるお子さんの話を聞くとうらやましいなあ、うちでは無理だわ、と思いました。
実際、食後の片付けをするように言っていたけれども、食卓から食器を片すだけ。洗うのはあとでやるからと聞かず、食器を下げるだけでも大変な苦労を伴うので、そこを罰などを課してやらせることは困難というか無意味のように思え(翌日もおなじですから、そうであれば毎晩闘わなくてはいけない)、結局数年ののち、片付けをやらせることをやめました。
他に手伝いもしていないので、せめて弁当箱くらい洗いなさいと言ってやらせるのですが、なかなか取り掛からず、忘れてしまうことや、数回言われてから夜中にやることが多いのです。
それで、前から言っていましたが、改めて帰ってきてすぐやるように、一昨日話をしました。
夕飯前に終わっていなければ、終えるまで食べられないということで備えようと。
昨日の夕方、部活がなかった息子は帰宅が外出していた私より早かったので、外から自宅の息子と電話ではなしたときに、「弁当箱洗ってしまいなさいよ」といったのですが、帰っても台所にいてまだやっていない。テレビをつけていてチラチラ見ながら。
ここで息子が小学低学年の頃の私なら感情的になっていました。けれども、もういい加減わかっているので、ああ、やっぱりね。という程度。電話から50分ほどたっていましたので、そのことを指摘しました。
それで、私は別のことをしている間、息子は台所にいるようでした。
まもなく台所から出てきたので、おやつを買ってきたと言ったらやってきて食べ始め、その後私が台所に行くと、弁当箱が洗わずに置いてある。
もう、なにがなんだかわからないのです。
一時間以上、弁当箱を出して洗ってができないでいる。
なにをしていたのと問うと、「テレビを見ていた」。なんで作業を終えないままその場を去るのか。また、必ず小物や箸などすこしだけ洗わずに残す。
弁当箱くらい3分もあれば終わるのだから先に終わらせたら、といままでに話してきたのですが、もう理屈がまったく通用しないので、いまは淡々とやりなさいというのみになっています。彼にとっては理屈よりそのときの気分が大事なのです。ですので、約束をいくらしたところで、そのときにやりたくないと思うと、一切人の言うことは聞きません。
昨日の出来事はさすがにびっくりしたのですが、すぐに取りかからないこと、結果忘れてしまうことは毎日のことです。
諦めるということをおそらく人より強く学習したのは、もともと息子のこういう態度からでした。
ですから、なにかがきちんとできないことを「しつけをしていない」と簡単に言ってほしくないし、私自身も他の方にそういう思い込みはしないようになりました。
いまでは毎日は言いません。特に反抗期も加わって、言われることをとても拒否するので、毎日うるさく言いつづけることがプラスよりマイナスになると思っているので。
ただ、放任するわけではない。そのためには子どもを見ていて時々は言わないといけないと思っています。
勉強に関しても同様。いくら必要だと思っても、結局他のことにとらわれるとできずに終わり、最近はなかなか計画的に進められているとは言えません。
時々スケジュールを作らせるのですが、守ることはできないし、守ろうという積極的な気持ちもみえません。
受験までまだ時間はあるとはいえ、積み重ねですから、気にならないと言ったら嘘になります。
以前も書きましたが、小学二年生頃に担任の先生からできていないことをお電話にて指摘されてから、少し試行錯誤はありましたが、ADHDの傾向もありつつ、そちらのテストなどは受けるほどの支障もないので、結果的にはそういった対策はしてきませんでした。
ただ昨日の目の前の仕事すらしないで終わったことにしてしまう、というのは多分に本人の苦手とするところなのだと思うのです。
それでも、とっさに私はやっていないことを問い詰めてしまいました。
すでに一時間以上経っていること、さらに10分程度台所にいたということ、やはり私には「弁当箱を洗いに来た」という目的を果たさずにその場を去って忘れてしまうことが理解できないのが本音です。
それでも感情的にはならず、このままでいいはずはないからどうしようかということを話そうとしましたが、「昨日も話したから必要ない」と言い張って、「今度からやるから大丈夫」と連呼する息子。
私はそれで今までもずっとやらなかったので、それではこれからも同じだからなんとかしたいと思ってしまうのです。
結果話を聞かないので喧嘩になり、私もギブアップしてしまいました。
聞く気がない人にどれだけ時間をかけても変わらないのはわかっていたので。
1.不注意
・忘れ物が多い
・何かやりかけでもそのままほったらかしにする
・集中しづらい、でも自分がやりたいことや興味のあることに対しては集中しすぎて切り替えができない
・片づけや整理整頓が苦手
・注意が長続きせず、気が散りやすい
・話を聞いていないように見える
・忘れっぽく、物をなくしやすい
https://h-navi.jp/column/article/97 より引用
↑全部息子の特徴ですが、今回は
何かやりかけでほったらかす=弁当箱洗い途中
集中しすぎて切り替えできない=ゲーム
気が散りやすい=テレビに気をとられる
といったところでしょうか。
以前ご紹介したと思いますが、この本をもう一度読み直した方がいいかもしれません。
大変役に立ち、ADHDでない普通の子育てにも有用で、すべての親に読む価値があるような気がするのですが、もういいかと手放してしまったのですよね。それともそろそろ大人のADHDで悩んでいる方向けの本でも読んだ方がいいのでしょうかね。
できれば、塾や学校が始まる時間があるように、やりたいかやりたくないかではなくて、やらなくてはいけない時間だ、ということを理解してほしいのです。
そして、自分がやるべきことをすぐに忘れてしまうという性質を理解して、備える工夫をしてほしいのです。
親としては、こんなんでは社会に出たときに通用しないと思うのですが、息子も昨日話していましたが、「学校ではちゃんとやっているのだから大丈夫」の一点張り。
まあ、外で出来るならいいのか、と思いつつ。
今朝、どうしても今日までに必要な書類(保護者サイン付き)を忘れて途中で戻ってきました。当然遅刻。今年遅刻も数回しています。学校生活にも支障でているじゃない。
起きられないわけではないのに遅刻をすることはおかしい。ということも話しました。それでも、もちろん本人の体調(起立性調節障害歴あり)にもよるが、本当に行けないわけじゃないのであれば、間に合う時間に出るべき、ということも何時までに出なさいと話しているけれどもまったくそれを考慮していない。もちろん本人も遅れないよう努力してはいます。でもその努力の仕方がいろいろずれているのです。起きてきてどかっと座ってのんびり食事をしている。その時それではダメだと話してもききません。
でも、結局間に合わなそうな時間になってバタバタと出かけていく。
結局、本人ができないならそこまで止まり。勉強も生活習慣も。かといって親としてまだ全てを諦めるのは早すぎる気がします。
学校は行くべき、いや無理していかなくても良い。
遅刻はしてはダメ、いや無理なら仕方ない。
手伝いはさせるべき、できないならしなくてもよい。
何事もその場合によって100%とは言い切れない。
結局どうするかは私が決めなくてはいけないのですよね。
社会に出すためになにが必要かについても、いまそれを本人が対応できるかどうかも含めて考えなくては。
なにが一番大事なのか、改めて考えないと。
そうはいっても、それぞれいろいろなことで子育てに苦労されていることを知ると、まだまだうちはお気楽な方かと思ってみたり。