「はじめまして、愛しています」というドラマを先月までやっていました。
特別養子縁組で家族になろうとする夫婦と子のドラマ。
色々と思うところはありましたが、一つ心に響いた言葉が、児童相談所の職員から投げかけられた
「どんな子に育てたいですか」
という問いかけでした。
出産したら、世話に追われてあっという間に子どもは育っていく。
その場その場で起こることに対処しつつ、そのとき思ったことをやってきたような気がします。
どんな子に。というか、どんな大人に育てたいか、でしょうか。
そうやって一息ついて改めて考えてみるのもいいかもしれません。
なぜなら、私もそうですが多くの親は、目の前のことについ心を動かされてしまい、表面的なことにこだわってしまいがちですから。
今も息子は学校の委員会に追われています。はっきりいって全然勉強できていません。
先日、友達と放課後図書室に行ったと話していました。
その友達は学年の中でもトップクラスの成績。宿題の多い進学塾に通っています。
塾前に図書室で勉強と聞いたので、「塾の宿題をやっていたの?」と聞いたら、
「いや、あいつはちゃんとしているから、塾の宿題は終わらせている。授業の復習をしていた。」
その塾の宿題に追われて学校で宿題をやっている友達も多い中、まだ試験まで一月もあるのに復習というなんとも理想的な態度。
「すごいねー、で、あんたは?」
と聞くと、今はまっているある学問についての勉強をしていたと。
いや、君こそ山積している自主学習があるだろう?
と、思うのですが。言ったところで聞かないのですよ。
まさに以前書いた内発的動機で、普通の人がやらないような勉強をしている息子。
テストの点には1点もならないよ。
↓内発的動機はこちらで
そして昨日は委員会で企業の方と打ち合わせ。おとといの晩も昨日の晩もその準備やまとめに勉強時間なしどころか寝不足なのに、夕方には時々通っている物理の実験教室に顔をだす(無料ですので、行かなくてもよい)。
充実してますよ。でも不安との闘いです。親としては。
でも。
やっぱり自分で考えて動いてほしい。つまらないこと言っても仕様がないか、と思うのです。これでも時々スケジュールを書かせたりはしているのですが、委員会でぶっとびますね。
さて、こんな風に目の前の「試験に役立つ勉強をしてよ」ということにとらわれてストレスを感じてしまうからこそ、根っこの「どう育てるか」って真剣に考えてみたらいいかなと。
自分で考え、動ける大人
困難に立ち向かえる大人
社会に貢献できる大人
人を大事にできる大人
差別しない大人
情報を分析して臨機応変に動ける大人
こんなところでしょうか。漠然としすぎていますか?
でも、細かいことを親が考えたところで、子どもはどうせそうはならない。けれども、親として、人間を作るという意味では、これらをベースにできたらと思います。
息子にとっては特に最後が難しそうですが。あとは、困難に立ち向かえるかどうか、そう大きな困難にぶち当たったことのないであろう息子。
そのためには自己肯定感なんかも大切かもしれませんね。
失敗は宝だと何度も話しているのですが、心に響いているかどうか。
その他はなんとなく、今はできそうな気がしています。自分の(勉強)時間を削って友達と協力して委員会でみんなのために働いている。
実際社会貢献は、私は彼にはそれなりに高い貢献をしてほしいなとちょっとよくばる気持ちはあるのですが。技術的なことでも人的な援助としてでもいいので。
私の亡き父が本当に人助けばかりやっていたので、なんだか息子は父に似ている、と感じるのですが、これからの人生、自分の生活のことも考えてほしいとも思うのです。
それで、時代にあった臨機応変に動ける人になってほしい。これは最低限の生活ができるようにという親のエゴでもあるのですが。
細かいことは考えず、これをベースに子どもの成長を見守っていけたらなぁと思うのです。
それでも失敗は宝と言いつつ「危機管理がなってない!」とか、「浪人を最初からできると思わないでね!」とかせこいこといっちゃってるんですけどね。
まあ、このブログそのものが私の自省ブログでもあるのでご了承ください。
みなさんはどんな子(大人)に育てたいのでしょうか。興味津々です。